第29章 毛皮の値段
倒れた巨体から武器を遠ざけると、ユーゴは広間の壁沿いを確かめた。
荷の陰、岩のくぼみ、通ってきた入口。動くものは見つからない。ブリジットが入口へ立ち、床からダガーを拾い上げた。
ノエが壁へ手をつき、立とうとした。ユーゴはそちらへ戻った。
「少し、座っててくれ。腕は、まだ押さえられる」
ユーゴは手当て用の布を上腕の傷へ当て、反対の手で押さえた。
「ブリジットも、肩を押さえててくれ。ノエが休む間は、自分たちで止めよう」
ブリジットはダガーを手の届くところへ置き、肩の傷へ布を押し当てた。入口へ目を向けたまま頷く。ノエもそれを見て、一度頷いた。
「水を、もらえますか。少し休んだら、見ます」
ロゼットが水袋を渡した。ノエは両手で受け取り、少しずつ飲んだ。ユーゴも剣を置いて隣へ腰を下ろし、傷を押さえたまま、剣を握っていた指をゆっくり伸ばした。一本ずつ引っかかるようだった。
入口のランタンを近くへ寄せ、ノエが袖に手をかけたのは、その手が開くようになった頃だった。
「腕を、ここへ」
言われた高さで腕を支え、傷へ当てた布は押さえ続けた。ノエが袖を避け、手を添える。指を曲げ伸ばしするたび、剣を握り続けた掌にも鈍い痛みが残っていた。
「肩も当たりましたね」
「ああ。腕ほどじゃない」
ノエは顔を上げて確かめ、それから手当てを続けた。ユーゴは指示に合わせて傷を押さえながら、治療を受けた。すぐ治る、とも、大丈夫、とも言わない。その慎重さが今はありがたかった。
ブリジットと交代すると、ユーゴは通路を向いて立った。彼女が斧を床へ置く音がした。肩の布を自分で押さえたまま座ると、ノエが傷の具合を確かめ、治療へ移った。
「さっき、膝をつくかと思ったよ」
「つかせなくて、よかったです」
ノエの声に、ブリジットが短く笑った。
四人でここまで来た。入口で並んだときには、こんなふうに声だけで誰が何をしているか分かるとは思わなかった。
*
息が整ってから、ユーゴはロゼットの荷へ目を向けた。さっきノエへ使ったスクロールは、もうそこにない。
「白い狼の毛皮って、あのスクロールより高いのか?」
ロゼットが荷の留め具から手を離した。
「高くなるかもしれないわ。普通の毛皮より、ずっと。でも、傷の具合も仕上がりも、買い手もまだ分からない」
ユーゴは、草の上に横たわっていた白い身体を思い出した。価値があるかもしれないとは、ルヴィエでも聞いた。それでも、幾らになるのか想像できず、加工と保管を頼んだままになっている。
「じゃあ、あれで足りるかは、まだ分からないんだな」
「そうね」
「譲るって言ったのは、取り消すつもりじゃない。使ってくれなかったら、俺たち、ここから出られなかった」
ノエが包帯をしまう手を止めた。ロゼットは一度そちらを見て、閉じた荷の脇へ座った。
「私物なら、私が使いたいと思ったときに使う。でも、あれは売り物だったの」
「売るはずの物を、四人のために使ったんだろ」
「ええ。だから、取引をしたうえで使いたかった。私の持ち物だからって、売り物まで一緒にしてしまいたくないのよ」
ユーゴは荷の中を思い浮かべた。ロゼットの着替えも、道具も、村へ届ける商品も、同じリュックに収まっている。彼女の中では、同じではなかった。
「それで、毛皮をよこせって?」
「……あれは、商人の意地。何か対価を受け取るって、あなたと約束してから使いたかったの」
ロゼットは留め具を指で押した。
「毛皮を自分のものにしたくて、ああ言ったわけじゃないわ」
ユーゴは彼女の顔を見た。ロゼットは目を逸らさなかった。
「ただでもらったことには、したくない。俺も」
「だったら、値段も知らないまま、ここで全部決めないでおきましょう」
急かす声ではなかった。ユーゴは腰の革袋から手を離した。
ロゼットはそこで、少し口元を緩めた。
「旅の途中で、一緒に毛皮を引き取りに行きましょう。仕上がりを見て、費用も聞いて。それから相談すればいいわ」
「分かった。一緒に行こう」
ブリジットが入口からこちらを向いた。
「じゃあ、二人で見てきなよ。白い狼の毛皮なんて、あたしも仕上がったところは見てみたい」
「まずは、ここから持って帰る物を見ないとね」
ロゼットは帳面を開き、使ったスクロールの分を書き留めた。毛皮の値段を尋ねたはずが、次に二人で立ち寄る場所が決まっていた。
*
広間の隅で見つかったのは、刃の欠けた鎌だった。
ブリジットが持ち上げ、柄についた印を見る。
「これ、村のだ。なくなったって言ってた」
隣の袋には保存食があった。湿って傷んだものと、まだ持ち帰れそうなものを分ける。毛布、衣類、家畜につける道具。戦っている間にはただの障害物に見えていた山が、人の家にあった品へ変わっていく。
ユーゴは縛り紐を探した。ロゼットが農具の刃へ布を巻く。
「換金できそうなものは?」
聞くと、彼女は広間を見渡した。
「あの武器を、持ち帰って売りたい?」
巨体が使っていたものは、曲がった鉄を無理に留めてある。運ぶだけでも一人分の手が塞がりそうだった。
「いや。これを運ぶなら、鎌を持っていく」
「私もそう思う」
通路へ戻り、術者の杖と触媒も確かめた。ロゼットは欠けた木の先を調べ、短く首を振った。高い完成魔道具を手に入れた、というものではないらしい。
討伐の確認に必要な物を分け、ノエが持ち直したランタンを頼りに外へ出た。集落の小屋も調べる。袋の中には、村で聞いた生活用品が入っていた。
ユーゴが持ち主ごとに品を分けていると、ロゼットが空いた布を隣へ広げた。
「分かる物には名前をつけて。分からない物も、村へ見せてから。知らないから私たちの物、にはしない」
村の人なら分かるかもしれない。ユーゴは別の束を作り、その紐を締めた。
隅の大きな袋を引くと、底が地面へ擦れた。持ち上げようとして、腕が引き攣る。
「それまで持ったら、帰り道で荷を捨てることになるよ」
ブリジットが紐を押さえた。ユーゴは手を離し、口を開いて中を確かめる。重い家畜用の道具が重なっていた。
「ここへ残したって、村で伝えよう。場所を書いてもらえるか」
「ええ。勝手に捨てたことにならないよう、中身も」
ロゼットが帳面を開いた。ユーゴは道具を一つずつ示し、持ち帰る束から分けた。
ロゼットが紙の端へ数字を書き、消した。もう一度計算しても、口元は緩まなかった。
「やっぱり、赤字。基本報酬と、売っていい物だけじゃ、あのスクロールには届かない」
「毛皮を売ったら?」
「売るかどうかも、引き取るときに相談しましょう。今ここにあるお金じゃないし、加工代もまだ払ってない。穴が埋まるつもりで次の仕入れをしたら、困るでしょう」
ユーゴは頷いた。毛皮の話をしただけで、使った商品や仕入れのお金が戻るわけではなかった。
ロゼットは帳面を閉じると、返す品の束を二つに分けた。重い方を自分の荷へ寄せ、衣類をユーゴへ渡す。
「これなら、腕を曲げたままでも持てる?」
ユーゴが抱えると、ノエが袖を確かめた。布に新しく血が滲んでいないのを見て、頷く。
「歩いてみて、引かれるようなら言ってください」
ブリジットはロゼットの荷を見て、鎌の束へ手を伸ばした。
「そっちは、あたしが持つ。片方に寄せたら歩きにくいよ」
*
集落の入口から沢道を覗くと、下りの先へ木々の間の道が続いていた。
ブリジットが先を確かめてから手を上げた。ユーゴは荷を持ち直して続く。来たときに上がった斜面は、もう横にあった。今からあの岩を越えろと言われたら、荷を下ろさずには進めなかっただろう。
「ここなら、担いだまま歩ける」
「足元は見て。引きずった跡で、土が崩れてるところがある」
ブリジットの足が避けた場所を、ユーゴも跨いだ。ノエとロゼットが通るまで待つ。水の音は道より低いところから聞こえていた。
荷が増え、足は重い。ユーゴが少し遅れると、前のブリジットも止まった。息を整えて顔を上げると、彼女は村の方を見ていた。
「朝は、ここを通れなかったんだよね」
「見つからずに、奥まで入るために」
「今は、帰るために使える」
ブリジットが歩き出した。ユーゴは道の先を見た。まだ木々に隠れて村は見えない。それでも、戻る方へ一歩ずつ近づいていた。
木々の切れ目から畑が見えたとき、誰かに叫びたい気がした。けれど先にこちらを見つけたのは、巡回していた領兵だった。
「戻ったか。全員いるな」
ユーゴは返事をし、四人が見えるところまで進んだ。
*
村長の前へ荷を下ろすと、肩が急に軽くなった。
ユーゴは森の集落から順に話した。外の敵を分けて倒したこと、逃げたものを追った洞窟で魔法を使う個体がいたこと、その奥で巨大な首領を倒したこと。
領兵が途中で場所を聞き、ブリジットが紙へ指を置いた。ロゼットは回収した品と討伐を確かめる物を分けて見せる。ノエは入口の椅子へ座り、三人の報告を聞いていた。
「ここに、運べなかった道具があります。どの小屋かも書いてあります」
ユーゴが付け加えると、領兵は紙を自分の方へ向け直した。持ち主を確かめ、取りに行けるか調べる、と答えた。
「森へ、もう行けるんだな」
農夫が言った。
「集落と洞窟は攻略しました。ただ、明日から入る場所は、兵の人と確かめてください。森の全部を見たわけじゃないので」
ユーゴが答えると、領兵は巡回で確かめると言った。農夫は何度も頷き、それから荷の中に鎌を見つけた。
「これだ」
柄を受け取った手が、刻んだ印を撫でる。刃の欠けを見て顔をしかめたが、すぐ懐へ抱えた。
「柄から作り直さなくて済む。こっちは、まだ使える」
隣では、籠を持った女が毛布を広げていた。端を確かめ、土を払う。さっきまで洞窟の臭いがしていた物が、抱え直された途端に持ち主のところへ戻った。
ブリジットを呼ぶ声がした。
外で待っていた人々が、彼女の荷を取ろうと手を伸ばす。幼い頃を知る老人が、斧より先に肩の傷を見て眉を寄せた。
「無茶をして」
「帰ってきたろ。手当てもしてもらった」
彼女はノエを示した。青年が立ち上がりかけると、村人が座っていてくれと止める。
家族だと紹介された人も、ブリジットの前へ来た。
「無事で、よかった」
「うん」
ブリジットは荷紐を握ったまま返した。続きの言葉が出るまで、少し間があった。そこへ村長が今夜の食事の話を持ってきたので、ユーゴは受け取った荷を入口の脇へ運んだ。
振り返ると、ブリジットがまだ戸口にいた。
こちらを見て、口の端を上げる。
「帰れたね」
「ああ」
今度は周りに、四人以外の声があった。
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