第27章 鉈の幅
洞窟の入口へ近づくと、仲間の足音が岩に反響し始めた。袖の下には、手当てを終えた布の感触が残っている。
奥で小石が転がった。逃げ込んだ二体か、別のものか。ユーゴは剣へ手をかけた。
「待って。その長さで振れる?」
ロゼットが天井を指した。
入口の向こうは低く、二人で並べそうにもない。抜くことはできても、肩から振り下ろせば岩を打つ。ユーゴは柄を握ったまま、肘を少し動かしてみた。上腕の傷まで引き攣った。
「先に気づけばよかった」
剣を収め、荷から狩猟鉈を取る。枝を払い、獲物を処理するたびに握ってきた柄だ。長剣を授かった後も、毎日の旅ではこちらを使っていた。
ブリジットは自分の斧と入口を見比べた。
「あたしは、どうしたもんかね」
「その斧で壁を叩くのはやめて。崩れたら、帰り道までなくなるわ」
「分かってるよ。この得物を使わずに済ませられる相手なら、よかったけどさ」
彼女は入口の近くへ戻り、倒したゴブリンの傍らからダガーを拾った。刃の欠けを確かめ、布で握りを拭う。手の中で一度だけ向きを変えた。
「軽すぎる。振った気がしないね」
「振り回さなくていい。俺が前に立つから、横と、下がるところを頼めるか」
「ああ。そのくらいの幅なら、押し返す方が早いかもしれない」
斧を背に留めると、ブリジットは一度入口へ身を入れ、柄が岩へ当たらないか確かめた。腰を落として進めば通れる。出てきた彼女が、ノエへ向き直った。
「一番後ろ、頼める?」
「はい。前ばかり見て、後ろを空けないようにします。止まるときは、僕にも聞こえるように」
ユーゴ、ブリジット、ロゼット、ノエ。その順に並ぶ。ロゼットはランタンを用意し、ノエへ渡した。彼が肩の脇へ掲げると、壁を伝う明かりが前へ伸びた。人の影が幾重にも重なり、角の先には届かない。
「曲がるところでは、待ってください。皆さんが進む方向へ灯りも一緒に動かすので」
「分かった。先に一人で行かない」
ユーゴは返事をしてから、後ろまで届いたか顔を向けた。ノエが灯りを小さく持ち上げる。ロゼットは火のカートリッジを荷の奥へ移した。
「撃つのは雷と氷。ここで火を広げたら、煙も熱も私たちに返ってくる。息をする場所をなくしたくないわ」
入口から奥へ流れる空気は冷たかったが、細い通路の先までは見えなかった。ユーゴは鉈を下へ向け、最初の一歩を入れた。
*
靴底で砂が鳴った。
前から反響が返る。後ろのブリジットの息は近く、肩を回す余裕がない。ユーゴは岩の角へ手を添え、先を覗いた。
石が飛んできた。
顎を引くと、頬の脇で石が割れた。粉が目に入りかける。その下から、粗末な槍が突き出された。
鉈の腹で穂先を外へ押す。柄を引き戻される前に一歩詰めた。相手は後退し、さらに突こうとしたが、長い柄の尻が岩へ当たった。
ユーゴは大きく振りかぶらず、短く刃を落とした。
「横!」
背後の声で、足を止める。右の暗い裂け目から、別のゴブリンが身体を乗り出していた。ユーゴの腰へ伸びた腕を、後ろからブリジットが掴む。
岩へ打ちつける音がした。ダガーが短く動き、相手の脚から力が抜けた。
「ここにも穴がある。後ろへ下がるなら、左に寄って」
ブリジットは相手を横穴へ押し戻した。ユーゴは足元を見て、彼女の立つ場所を空ける。
「助かった」
「前は見てて。脇は、あたしが見る」
短い返事の後で、ユーゴは角の先を確かめ直した。
最初の曲がり角を四人が越えると、外の明るさは見えなくなった。ユーゴは足を止めたまま待つ。ノエが最後尾から横穴を照らし、それから進む方へ灯りを戻した。壁の窪みと地面の石が、淡く奥まで見える。
「こちらは、ついています」
後ろから声が届いて、また歩いた。曲がるたびにその声を待った。
前方で足音が響く。退く音に聞こえた。
追えばすぐ届く。そう思ったところで、鉈を握る手を止めた。相手は、ただ逃げているのだろうか。
通路の奥で、青白いものが膨らんだ。
「伏せて!」
青白い光が四人の影を床へ落とした。ノエの声と同時に、ユーゴは膝を曲げた。後ろでランタンを置く音がし、明かりが低くなる。腕の前に薄い膜のような明るさが広がり、ぶつかった光が横の岩壁へ逸れた。頬を熱い空気が撫でる。
すぐには消えなかった。ノエの息が、背中でひどく近く聞こえた。
「前に、魔法を使うのがいる」
ユーゴが伝えると、ロゼットが肩越しに覗こうとした。
歩兵が二体、その後ろで杖を構えた個体がこちらを見ている。普通のものより賢そうだ、などと考える暇はなかった。杖の先に、次の光が寄り始めた。
「前が塞がってる。撃てない!」
*
「角まで戻る!」
ユーゴは後ろへ声を送った。直線の先から狙えない場所まで戻りたいが、急に下がれば仲間へぶつかる。
「下がれます!」
ノエがランタンを拾い、最後尾から動いた。ロゼット、ブリジットと順に間が空き、ユーゴも鉈を前へ向けたまま足を戻す。四人が角を曲がると、ようやく杖が見えなくなった。
次の光が角の向こうを走った。石に当たった音が腹へ響く。
「一人ずつ出たら、前の二体に止められる」
ユーゴは鉈を握り直した。上腕が重い。長剣なら届いた距離でも、今は相手の刃のすぐ近くまで行かなければならない。
「手前を退かせて。射線ができれば、杖を止める」
ロゼットが銃を低く持つ。ブリジットは角から前を見た。
「角の先の左、壁が少し引っ込んでたね。あそこで一体、あたしが引く。ユーゴ、残りも左へ寄せられる?」
ユーゴは頷いた。二人が並んで立てるほどの場所ではない。けれど、一人が肩を入れ、引き込んだ小さな身体を壁へ押さえる余地ならあった。
「やる。ノエ、次のを防げるか」
返事まで、一呼吸あった。
「次の一発は防ぎます。でも、続けては無理です。その次を撃たれる前に、止めてください」
ユーゴは頷いた。安心した、と言ってしまえば、必要以上のことまで任せる気がした。
「一度で道を作る」
角から出ると、歩兵が前へ来た。槍ではなく、今度は短剣だった。逃げる足を見せ、追ってきた腕を鉈で受ける。
ブリジットが左のくぼみへ身体を寄せる。ロゼットはその後ろ、ノエは曲がり角の内側でランタンを床へ置いた。低い灯りが、これから進む直線の足元を照らしていた。
ブリジットが首根っこを掴んだ。ユーゴは右の壁へ身体を薄く寄せ、小さな身体が引きずられるのを通す。彼女が左のくぼみへ押しつけると、ダガーの柄が一度上下した。倒れた敵を壁際へ寄せるまで待ち、ユーゴは前へ出た。
残りの一体がユーゴへ刃を突き出した。
鉈で受けたまま押す。力を込め過ぎれば、傷が開く。それでも壁まで半歩あった。ユーゴは腰を入れ、相手の足を踏んで左へ寄せた。
杖の先が光る。まだ間に合わない。息を吸いかけた喉が詰まった。
後ろからノエの声が響き、腕の前に光の膜が重なった。ぶつかった魔法が弾ける。ユーゴは目を閉じず、押さえていた短剣を壁から離さなかった。
「今!」
ロゼットの銃口が、空いた右側へ出た。
雷が杖の先へ走る。集まりかけていた光が乱れ、魔導ゴブリンの腕が跳ねた。
ユーゴは目の前の短剣を外へ流し、鉈で仕留めた。すぐには奥へ踏み込まず、足元を跨ぐ場所を選ぶ。ブリジットが後ろから続いた。
魔導ゴブリンは杖を引き、狭い通路を退こうとした。ユーゴは左の壁へ寄ったまま、後ろへ手を上げて進むのを止めた。ブリジットも左へ肩を寄せる。さっき空けた右側を、もう一度銃口が狙う。
「足を止める。手前は踏まないで!」
氷が相手の後ろへ広がった。踏ん張ろうとした足が滑り、杖が天井を掻く。だが倒れ切らず、石を掴んでユーゴの顔へ投げつけてきた。
顎を引いたところへ、杖が横から打ちつけられる。
避ける幅はない。ユーゴが鉈を当てると、腕に痺れが走った。押し返そうとしても、肘が壁へ当たる。
「そのまま、持ってて!」
ブリジットが背中越しに手を伸ばし、突き出た杖を掴んだ。ユーゴの肩の横で、彼女の腕が手前へ引かれる。術者の肩が傾いた。ユーゴは鉈を滑らせて杖から外し、引き寄せられた懐へ刃を入れた。
杖を握る力が抜けた。ブリジットは奪ったそれを地面へ落とし、蹴って遠ざけた。
ユーゴは息を吸った。自分がいつから止めていたのか、分からなかった。
*
「後ろは、来ていません」
ノエの声がした。
ユーゴは振り返り、指を立てて返事をした。声を出すより、そちらが早かった。
ノエが足元へ置いていたランタンを拾い上げた。ロゼットが近づき、倒れた術者と通路の奥を確かめた。落ちた杖は、節のある粗い木だった。欠けた先に小さなものが括りつけられている。
「これが、魔法を出してたのか」
「これは魔導石?。詳しく見るのは帰れるようになってからにするとしても、なんでこんな高価なものをゴブリンが持っている?」
ロゼットは拾い集めようとはせず、銃を持ち直した。ユーゴも、壁に寄りかけていた身体を起こす。
ノエが上腕の布を確かめた。血が少し滲んでいる。
「痛みは?」
「戻った。動くけど」
「分かりました。ここでは塞がり切りません。大きく振るときは気をつけて」
ノエの手が触れると、痛みの尖ったところが和らいだ。けれど治療が終わった後、その人はすぐに手を下ろした。
「ブリジット、肩は」
「引っ張ったときに、少しね」
彼女はダガーを下げ、ノエが布の端を確かめるのを待った。ユーゴはその間、鉈を握り直して奥を見た。さっき杖を引いてくれた腕を、まだ当てにしなければならない。
「痛くなったら、先に言ってくれ。こっちで受け直すから」
「あんたもね。黙って武器を落とされる方が、困るよ」
ユーゴは頷いた。ノエが二人の間から顔を上げる。
「さっきの防護で、かなり使いました」
「奥で、また同じのが来たら?」
「同じだけは、続けられません」
隠さず言ってくれたことに、ユーゴは頷いた。ロゼットも雷のカートリッジを見ている。誰かの残りを、数えずに当てにすることはできなかった。
奥から、重い音がした。
四人が黙ると、もう一度。何かを地面に当てた音が、さっきまでの細かな足音とは違う響きで届いた。
ユーゴは鉈を前へ戻した。角の先で、壁の間隔が広がっている。ランタンの明かりが、これまでより遠くへ落ちた。
そこを越える前に、ブリジットが背の斧へ手をやった。
「今度は、振れる場所みたいだね」
ユーゴは頷いた。まだ剣を抜かず、広い場所の奥に何がいるのかを見ようとした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よかったら、感想やリアクションをいただけると、励みになります!




