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第26章 集落を割る

折れた木の先に、二つの岩が並んでいた。


 ブリジットが指を立てて足を止める。ユーゴはノエが岩の形を見終わるまで待った。まだ集落へは下りていない。引き返すなら、この岩から折れた木を辿り、来た道を下ればいい。昨日、紙の上で聞いた道が、朝露の残る土になっていた。


 斜面を回って腹ばいになると、木の下に柵が見えた。


 囲いの中で小さな影が動いている。手に刃物を持つ者、荷を引きずる者。入口から見て左寄りには、木と枝を組んだ小屋があった。その向こうへ少しずれて粗末な櫓が立ち、弓を持った一体が頭を掻いている。さらに奥には小屋が幾つも並び、突き当たりの岩壁に暗い穴が開いていた。


 ユーゴは指で追いかけるのをやめた。小屋の裏へ消えたものと、別の場所から出たものが、同じかどうか分からない。


「多いね」


 ブリジットの声は低かった。


 ユーゴは集落の入口へ目を戻した。柵の切れ目から森へ延びる踏み跡が、沢沿いの道へつながっている。見張りが入口前を行き来していたが、その外の、木々に隠れるまでの道には影がなかった。


「戻るなら、あそこだね。村の方へ下ってる」


 ブリジットの指先を、ノエも目で追った。


「道の先までは見えませんね」


「ああ。入ったら、まずあそこを空ける。奥へ行く前にも確かめよう」


 ユーゴは三人の顔を見た。頷きが返るのを待って、入口へ下りる木陰を確かめた。斜面を一息に走るのではない。木を選びながら下り、最後の短い急なところだけを駆け抜ければ、見張りへ届く。


 ロゼットが、入口から奥を見て右側を示す。柵と小屋の間に、土の露出した細い通り道がある。反対側には袋が積んであり、その上に古い布がかかっていた。


「あの袋の方へ火は使えない。右の裸地なら、短く区切れる。ただし、その間に抜けて。ずっと止めてはおけない」


「左の柵沿いに入る。櫓から狙われたら、小屋を間に置く」


 ユーゴの言葉に、ブリジットが頷いた。


「大きいのはあたしが受ける。弓まで走るなら、声をかけて」


 後ろで衣擦れがした。ノエが手を上げていた。


「先に、強化を」


 ユーゴは剣の柄から手を離した。ノエの指先が少し揺れている。その指が自分とブリジットへ向けられると、足の重さが薄くなった。軽いだけではない。膝を曲げたところから、次の一歩が出しやすい。


「どうですか」


「足が、思ったより先へ出そうだ」


「最初の踏み込みを、大きくしすぎないでください」


 ブリジットは斧をゆっくり起こした。


「あたしは大丈夫。頼むよ」


 ノエは一度だけ深く息を吸い、頷いた。


     *


 木陰を伝って下り、ユーゴは最後の木の根に片足を置いた。ブリジットがすぐ後ろへ来る。その肩の向こうで、ロゼットとノエも足を止めた。


 外周の見張りが振り返る前に、ユーゴは木陰を出た。短い斜面を下りきり、剣を抜く。


 刃を抜く音で気づかれた。相手の短剣が持ち上がる。踏み込む足を小さくし、腕を斬り下げ、そのまま懐へ剣を突き入れた。崩れた身体を越えずに止まる。


 もう一体が柵の内側から顔を出した。


 目が合った。口が開く。相手がユーゴへ飛びかかろうとしたところを、追いついたブリジットの斧が横から捉えた。身体は入口の内へ倒れたが、最初の叫びまでは消せなかった。


 奥から、幾つもの声が返った。


「左へ!」


 小屋までの柵沿いへ、短剣を持つ二体が走り込んでくる。ユーゴは先頭の突きを払い、踏み込んで倒した。後ろの一体が剣を避けて横へ寄る。柵に当たった肩が戻るより早く、返した刃を入れた。


「ここを通って!」


 ブリジットが小屋から寄ってくる敵を斧で押し戻す。ユーゴは二人の通る側へ剣を出さず、先へ進んだ。背中で雷が弾け、追ってきた一体が転ぶ。ロゼットが銃を後ろへ向けたまま、ノエを通した。


 櫓の上で弓が上がった。


 ユーゴは小屋の角を回った。直後、矢が柱へ刺さる。飛んでくる方へ剣を向けかけ、やめる。壁の陰へ身を寄せると、ブリジットが隣へ出た。ノエが息を詰めて壁際へ入り、最後にロゼットが銃を引き戻した。


「ここで受ける。後ろ、入った?」


「みんな入ったわ!」


 小屋へ集まってきた歩兵は十体いた。狭い柵際から、四人を押し潰すつもりらしい。


 ロゼットの返事に、ブリジットが斧を横へ払う。先頭の二体が刃を受けて重なり、倒れた。斧を引き戻した彼女が、次に踏み込んだ敵へ振り下ろす。その脇へ、一体が大きく回り込んだ。


 ユーゴはそこへ剣を差し入れた。短剣を外へ弾き、首の下を斬る。倒れる相手の肩越しに、次の刃が見えた。


 右から来る。


 受けるため動いた瞬間、その刃が引かれた。左の低い位置から別の短剣が伸びる。ユーゴは身体を引いたが、上腕が熱くなった。


 浅い。けれど、追えばもう一つ来る。


 斬り返したい足を止め、小屋の壁へ背を寄せる。二体が左右へ分かれようとしても、片方は柵に行き当たった。ユーゴは距離の近い方の手首へ剣を打ち、もう一体が横を向く間に踏み込んで胸を突いた。


 先に手首を斬った一体が、もう片方の手で刃を拾おうとしていた。ユーゴは近づく足を止めず、剣を引いて突いた。二体とも動かなくなったのを見て、小屋の角へ目を戻す。


 ブリジットが、最後まで正面に残った一体の胴へ斧を叩き込んだ。彼女の側へ倒れているのは七体。こちらの三体と合わせ、小屋へ来た十体はもう立っていなかった。斧を振り戻すたび、彼女の背にいるノエの指が動いていた。


 ブリジットの方へ、大きな影が出てきた。普通の個体より頭一つ高く、棍棒を持っている。後ろから歩兵が続く。


「来るよ!」


 斧と棍棒がぶつかり、木屑が散った。ブリジットの靴が土を削る。


 ユーゴは横を抜けかけたが、櫓の射手がこちらへ弓を移した。


「弓が残ってる。奥へ抜けられない!」


「しゃがんで!」


 ロゼットが壁の陰から銃口を出した。ユーゴのいる角の先からなら、櫓が見える。身を低くすると、頭の上を雷が走った。櫓の縁を掴んでいた射手が腕を引き攣らせる。弓が足場の内側へ落ちた。


 その間にも、右の通り道から別の群れが来る。


 ロゼットがカートリッジを替えた。土の裸地に低い炎が走り、先頭が急に足を止める。後ろがぶつかり、群れの向きが崩れた。


「そこは渡らないで。左、今なら通れる!」


 ユーゴはブリジットを見た。


「射手へ行く。ここを頼む!」


「早く戻ってきな!」


 彼女が棍棒を斧で押し上げた。その足元へノエが手を向ける。靴がもう一度沈み、それから止まった。


     *


 ユーゴは小屋の裏を回り、櫓に向いた側へ出た。ここから梯子までの間には二体いる。ロゼットも櫓側の角へ移り、銃を上げていた。角から外へ出れば、ユーゴの進む先と、小屋の脇で大型を受けるブリジットの姿が見える。ノエは壁の陰を離れず、前衛へ手を向けていた。


 近い方がナイフを突き出してくる。ユーゴは剣先を見つめず、肩と後ろの影を見る。最初の突きを外へ流し、二体目が重なる方へ動いた。二つの刃が同時に届かない一瞬に、前の一体を倒す。


 上から何かが落ちた。射手が石を掴んでいた。肩を引いた耳の脇を石が通り、すぐ足元へ短剣が迫る。


 避け切れないと思った瞬間、後ろから氷が走った。相手の踵が滑る。


「左足の先、凍ってる!」


 ロゼットの声に、ユーゴは踏む場所を変えた。崩れた相手を斬り、櫓の梯子へ取りつく。上のゴブリンが落ちた弓へ手を伸ばす。登りきると同時に斬りつけた。射手は足場へ倒れ、弓を持ち上げることはなかった。


 高くなった視界に、集落の奥が入った。


 まだいる。小屋の陰にも、柵の切れ目にも。弓を持つものが櫓だけにいるわけではない。遠くで大きな個体が腕を振ると、散っていた歩兵が一つの通りへ集まった。


 ユーゴは飛び降りず、梯子を下りた。今は一人で奥へ行くときではない。


 戻ると、最初の大型個体は倒れていた。ブリジットが肩で息をしている。肩当ての下から腕にかけて、血が細く流れていた。


「ほかにも大きいのがいる。奥の小屋の左。弓も」


「見えたよ。まず、この柵が邪魔だ」


 ブリジットが指す先では、集落の中を仕切る柵が小屋と小屋の間を塞いでいた。その陰から射手がこちらを狙い、手前の空き地には歩兵が集まりつつある。


 ロゼットは炎の消えた右の裸地へ目を向けた。黒くなった土から煙が薄く上がる。木や袋に燃え移ってはいなかった。


「右を氷で止める。ブリジット、柵を倒すなら、その左。ノエ、矢が来るわ」


「見ています」


 ノエの顔は白かった。小屋際に飛んできた矢を見て、身体が一度縮む。それでも手を下ろさなかった。


 ブリジットが前へ出る。矢が肩のそばで弾かれ、地面へ落ちた。斧の一撃で支柱が折れ、傾いた柵へ彼女が体重をかける。


 射手が後ろへ逃げた。ユーゴは倒れた仕切り柵の端を回り、弓を引き直す前に追いついた。弓を持つ腕へ斬りつけ、よろめいた胴を突く。倒れた相手から剣を抜くと、横の小屋から歩兵が走ってきた。


 そちらへ踏み込まず、ブリジットの側へ下がる。追ってくる歩兵の足が速くなった。ユーゴが斧の間合いから身を引くと、その進路を斧が薙いだ。


 右では氷を踏んだゴブリンが倒れ、後続が乗り越えようとして詰まっていた。


 氷の手前まで出ていた大型個体が、棍棒を振り下ろす。ブリジットが受け止めた音で、ユーゴの歯まで響いた。


 足を止めた大型の横を、二体が抜けようとする。ユーゴは一体を仕留め、もう一体の方へ剣を戻した。上腕が引き攣った。さっき切られたところだ。


 刃が遅れる。迫る短剣に、薄い光が重なった。衝撃が腕を押したが、刃先は届かなかった。


 ユーゴは短剣を握る手を押し上げ、守りの開いた胸へ剣を入れた。相手が倒れるまで離さず、それから腕を引き戻す。


「腕、上がりますか!」


 ノエに、上がる、と答えた。言ってから、痛む、とも付け足した。


 ブリジットが大型の膝へ斧を落とし、崩れた肩へもう一度打ち込む。彼女が武器を引き抜くまで、ユーゴは前を離れなかった。


     *


 残った敵は、小屋の並ぶ奥へ退いた。


 ユーゴは入口を振り返った。倒れた敵の向こうに、沢道へ出る柵の切れ目が見えた。そこへ回り込む影はない。


「戻る方は、まだ空いてる。奥へ行く。離れないで」


 四人は小屋の並びに沿って進んだ。入口が屋根に隠れる前に足を止め、次の角を覗く。奥の戸口で弓が動いた。ユーゴが引いた鼻先を矢が通り、横から雷が射手の腕を打った。


 弓を落とした敵が小屋へ逃げ戻ろうとする。追いかけるユーゴの前に、別の大型が出てきた。棍棒で戸口を叩く。壁の枝が折れ、弓兵はその向こうへ逃げた。


 ユーゴは剣を立てたまま横へ退いた。


「ブリジット、こっち!」


 斧が棍棒を受ける。横から手首へ斬り込むと、大型は棍棒を引いて腕を守った。胴へ届くと思いかけたが、その足元から小さいのが飛び出す。ユーゴはそちらの短剣を受け流し、壁へ押しつけて仕留めた。


「手を狙う。引かせるから、そのあとを」


「やって!」


 ユーゴはもう一度、武器を持つ手へ剣を出した。大型が棍棒を身体へ寄せる。今度は追わずに退く。その前をブリジットの斧が通り、腕ごと胸へ食い込んだ。


 落とした弓へ戻ろうと、射手が小屋の反対側から顔を出した。ユーゴは柱に身体を寄せて近づき、弓へ伸ばした腕を斬った。倒れた相手を仕留めると、もう一つの戸口から出ようとした歩兵が引き返した。


 ブリジットが戸口へ斧を向ける。ユーゴはその隣の角まで回った。二つの出口は近く、声を張らなくても彼女に届く。ロゼットとノエが後ろの壁際へ追いつくのを見て、裏から出てくる敵を待った。飛び出してきた一体の刃を払い、背後の敵が重なる方へ足を運ぶ。


 ノエの声が届いた。


「少し、強化を弱めます!」


 初めの勢いでは、もう動けない。剣を引くたび上腕が痛み、斧を戻すブリジットの息も重くなっていく。ノエの支えが加わると膝が伸びたが、休んだのと同じにはならなかった。


 ユーゴは次の一歩を小さくした。退く敵の背中へ足が出かけ、踵を戻す。さっきの軽さはもうなかった。角から離れず、向かってくる敵の剣を受ける。払われてもすぐ振り返さず、踏み込んだ足へ刃を落とし、崩れたところを突いた。


 奥から最後の大型が来た。ブリジットが斧を構えるまで、ユーゴは壁際を退いて引きつけた。棍棒が壁を叩いたところへ、斧が脇から入る。それでも倒れない身体へ、ユーゴが反対から膝の裏を斬った。大型が沈み、二度目の斧が落ちる。


 ブリジットは斧を地面につきかけ、持ち直した。ユーゴが隣へ戻るまで、前には出なかった。


 最後の小屋の角で、二体がこちらを見て走った。呼び集める声に応じるものは、もう出てこない。二つの背中は岩壁の穴へ消えた。


 ユーゴが足を進めると、後ろから呼ばれた。


「止まって。まず、腕を見せてください」


 ノエの声だった。


 洞窟の入口まで行けば、逃がさずに済むかもしれない。けれどユーゴは足を戻した。刀身を下げる。裂けた袖の内側に、新しい血が滲んでいた。


 荷の口から布を出すと、指が一度引っかかった。道場で置く場所を替えておいてよかった。布を当てて上腕を押さえ、ブリジットへ顔を向ける。


「肩も押さえて。ノエが診るまで、布を外さずに。周りは交代で見る」


「分かった。あたしのは、ここにある」


 ブリジットは斧を手の届く場所へ立てかけ、取り出した布を肩当ての下へ当てた。ユーゴも自分の手を動かさず、ノエを待つ。


「先に腕を。僕が代わるので、少しずつ手を離してください」


 ノエの指示を聞いてから、押さえていた手を譲った。


 ノエが傷を確かめる間、ブリジットは洞窟の方を向いて立った。


「支え、切れてた?」


 尋ねる声には、責める響きはなかった。ノエは首を振る。


「弱めました。ずっと同じにはできません。……怖くて、最初に強くしすぎたところもあります」


「でも、戻してくれた。あたし、さっきのは踏ん張れたよ」


 ノエは手を止めかけ、すぐ傷へ戻した。


 熱が少しずつ引いた。ユーゴが腕を動かすと、ノエはそこまで、と止めた。今度はブリジットの肩を診る。その間、ユーゴが洞窟へ目を向けた。


 ロゼットは銃から外したカートリッジを分けていた。


「雷も氷も使った。まだ使えるけど、外と同じようには撃てない。ここで戻せる量を当てにはしないで」


「ノエは?」


「続けられます。でも、全員を元通りにはできません。進む前に、少し水を飲ませてください」


 ユーゴは水を渡した。ノエが両手で受け取る。


 集落には、もうこちらへ向かってくる影がなかった。朝、斜面から見た群れを思い出し、ようやく息を吐く。四人とも、まだ立っている。


「あの大きいのが、頭だったのかね」


 ブリジットが奥の死骸へ目を向けた。


「兵が言っていたのは、洞窟から出てきて、ほかが道を空けた奴だった。ここにいたのが全部かどうかは、まだ分からない」


 ユーゴは水をしまい、袖を直した。逃げた二体が、わざわざ奥へ戻っていった。そこに何もいないと思って入るわけにはいかない。


 洞窟の暗がりを見てから、三人の支度が整うのを待った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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