第25章 森への地図
グランジュの家並みが見えた頃には、朝の冷たさは靴の中に残っていなかった。
休みながら歩いても、領都から六時間ほどかかる。ユーゴは肩へ食い込んだ荷紐をずらした。前を行くブリジットの足が速くなり、畑の脇で立ち止まった。
刈った草が、道へ張り出すほど寄せてある。もっと奥に空いた地面があるのに、そこには誰もいなかった。
「こんなところで広げてるのかい」
声をかけられた農夫が顔を上げた。
「ブリジットか。戻ったのか」
「戻った。今度は、森の方まで行くためにね」
彼女が斧を示すと、農夫は後ろの三人を順に見た。ロゼットの顔で目を止め、広げていた草を手で押さえる。
「乾きが悪くなった。あんたに見てもらおうと思っていたが、今は草の方が揃わん」
ロゼットは荷を下ろし、草の内側へ指を入れた。外は乾いているが、返した下の葉は暗い色をしていた。
「運べるときに、まとめて積んでるのね」
「あっちへ広げれば早い。分かってるんだが、森の近くで一人にはなれん。人がいる間に刈って持ち込むから、一度に増える」
農夫が奥の地面を指した。道具を直しても、ここへ積み上がる草は減らない。ユーゴは道の幅を確かめ、端の束へ手をかけた。
「森へ行く相談をしに来たんだ。あそこを片づけて戻ったら、いつもの量で使えるように見てもらおう」
ブリジットが言うと、ロゼットは頷いた。
「ええ。新しいものに替える前に、使う条件から戻しましょう。今日の分は、できる範囲で薄く。湿った束を乾いた方へ混ぜないで」
農夫は手元の束を取り分けた。ユーゴも一抱えを脇へ移す。少し場所が空くと、その人は初めて顔を緩めた。
「村長に会うんだろう。兵が一人、さっき戻ってきた」
礼を言って歩き出すと、ブリジットは奥の畑をもう一度見た。
「前は、あんなに道の近くまで寄せなかったんだよ」
ユーゴは返事の代わりに、その空いた場所を覚えた。
*
村長は家へ四人を通すと、水を出してくれた。ユーゴは一息で飲みかけ、まだ聞くことがあると思い半分を残した。
領兵の一人が、卓へ森と道を書いた紙を置く。もう一人は巡回中だという。畑、フルーリへ続く支道、森の縁。紙へ指を置いていくだけで、守る場所が増えた。
「数が少なければ追い払える。だが、森へ二人とも入れば、こちらを空けることになる」
「村には残ってください。俺たちが入った後、こっちへ来るのがいるかもしれない」
ユーゴの言葉に、領兵が頷いた。
「集落だけで五十体くらい、とギルドで聞きました。今も同じですか」
「大きく違うとは思わん。だが一度に五十を見た者はいない」
兵は紙へ小さな印を幾つかつけた。見張り、弓を持つ影、畑まで来た集団。戻るところを追って確認した場所もあるが、柵の向こうまでは分からない。
「私は七つ見たよ」
村長に呼ばれて来た女が口を挟んだ。空の籠を膝へ置き、森の縁を指す。
「その後で、向こうの畑にも出たって聞いた。そっちは五つだったそうだ」
「それは、同じ連中かもしれませんか」
ユーゴが聞くと、女は口を閉じた。少し考えてから、最初に見た時刻を話し直す。領兵は二つの印の間へ線を引いた。
「移れるな。これを十二とは数えない方がいい」
「けど、少なくなるってことかい」
ブリジットが聞いた。
「見えなかった奴もいる。多いとも少ないとも、これだけでは」
ユーゴは紙を見つめた。五十。その一つ一つに武器を持つ手がある。ユーゴは腰の剣から手を離し、次の証言へ耳を向けた。
ノエは水の杯を置いた。指を離すまで、少し時間がかかった。
「洞窟の中も、その数に入っているんですか」
「いや。あちらから出てくる大きな奴を見た。ほかの連中が道を空けていたが、何体いるかまでは分からん」
「では、外で全部を使えないんですね」
問いは誰にともなく出た。ロゼットがノエへ顔を向ける。
「ええ。あなたも、私も。まずは、外で集まらせない場所を探す。撃てるというだけで、火を当てにしないでおきたい」
彼女は籠を抱えた女へ、奪われた物を尋ねた。
「刈る道具と、袋に入れた食べ物。毛布も。取り返してもらえるなら助かるけど」
「置いてある場所が分かりますか」
「そこまでは。追いかけるわけにもいかないから」
ロゼットは頷いた。柵ごと燃やせば済む、という話が出る前に、燃やせない理由が卓の上に並んだ。
*
ブリジットは紙の向きを変えた。
「この沢の横から入って、上へ回れる。木の間から、集落のある方を見下ろせるはずだ」
「そっちは、待ってくれ」
農具を失ったという男が、彼女の指へ手を寄せた。
「荷を引きずった跡があった。昨日だ。沢から、この倒れ木の方へ」
ブリジットは眉を寄せた。
「あそこまで来てるのか」
「泥に足跡も残ってた。人の靴じゃない。俺はそこで引き返した」
彼女はすぐに別の線を引かなかった。紙を押さえ、木の位置を男に確かめる。知っている場所が同じか、二人は道の曲がり方を言い合った。
ユーゴは口を挟まずに聞いた。自分なら通れるという話と、今も安全に通れるという話が、目の前で分かれていく。
「ここで二、三匹に会うだけでも、まずいな」
ユーゴは沢から集落へ向かう線を辿った。
「全部を止められなかったら、俺たちより先に着く。上から見る前に、待ち構えられる」
「そうだね。沢から入るのはやめよう。少し遠いけど、こっちから斜面を回る。足元は悪い。荷を小さくしないと、枝に引っかかるよ」
ブリジットは、集落の脇へ回り込む線を描いた。高い方の木々から、柵と入口を見下ろせるという。
「そこから木陰を伝って下りれば、入口のそばまで行ける。最後だけ少し急だけど、短い。向こうに気づかれる前に、距離を詰められると思う」
「森へ持っていかない荷は預かる」
村長が言った。ロゼットはリュックの留め具を確かめた。
「使わない商品は置かせてください。戦闘と手当てに要るものは持ちます」
「怪我をした人を支えて戻るときも、その斜面ですか」
ノエが新しい線を指した。
ブリジットは指を止め、斜面から集落へ下ろした線を見直した。
「いや。下りたあとで、ここを登り直すのはきつい。戻るなら、入口から沢の横を下る。村まで続いてるし、人を支えて歩ける幅はある」
「その道で、敵と会うかもしれないんですよね」
「会うかもしれない。だから、集落へ下りる前に、沢道へ抜ける口も見よう。そこまで塞がれてるのに入るのは、なしだ」
ノエはまだ紙から目を離さなかった。ブリジットが描いたのは沢そのものではなく、その横を歩く道だった。ユーゴは女が膝に抱えた籠を見た。片手にあれを持つのと、人の身体を支えるのとでは違う。
「行くときは、気づかれない方を選ぶ。戻るときは、動けなくなる前に、歩ける方へ出る。沢で何か来たら、動ける者が前と後ろを見る」
自分で言いながら、ユーゴはノエを見た。
「どうだ。背負わなきゃいけなくなってからじゃ、遅いんだよな」
「はい。支えて歩けるうちに言います。だから、戦い始めても入口へ戻れるようにしておきたいです」
「分かった。出口を塞がれそうなら、奥へ追うのをやめる」
ロゼットが入口の印を指で押さえた。
「上から見えるのは、沢道へ出るところまででしょう。その先にいないとは思わないでおくわ。逃げる途中に使う分も残さないとね」
手元の銃へ目を落としてから、彼女は指を離した。ノエがようやく背を起こす。
ブリジットは紙の余白へ、折れた木と並んだ二つの岩を描いた。
「こっちは、集落へ下りる前の目印。折れた木の次に、この岩。その先を回ると、見下ろせる場所へ出る。攻められないと分かったら、来た道で戻るから、ここを覚えて」
「明日、実物を見せてもらえますか。紙の上だけだと、似た木で迷いそうです」
「もちろん。あたしだけ先に曲がっても、案内にならないからね」
ノエは身を乗り出し、二つの岩から村まで、来た道を戻る順に指で辿った。集落の入口からは、別の線を辿り直す。ブリジットがそれを見届けた。
ユーゴも、岩の印を覚えた。
「明朝、明るいうちに位置を見たい。今日は荷を分けて休んで、朝、森へ入ろう。着いたら、本当にその場所から見えるか確かめる」
窓の外で、草を載せた荷車が軋んだ。ブリジットはそちらを見た。まだ明るい。ユーゴも、あの空いた畑へ少しでも早く人を戻したかった。
椅子から立ちかけると、歩き続けたふくらはぎが張った。ブリジットの視線がユーゴの足元へ下り、それから自分の荷へ戻る。
「そうだね。六時間歩いた足で、見えない道へ急ぐのはやめとく」
*
話が終わると、村長は泊まる場所を整えるために席を立った。
ユーゴは紙を畳まずに、しばらく見ていた。最初は集落と洞窟の二つだけだった目的地の周りに、草を乾かす場所、盗まれた道具、敵も使っている沢道が増えている。
ブリジットが隣で荷を持ち上げた。
「人数を揃えたら、すぐ行けると思ってた?」
「道を知ってる人がいれば、とは思ってた」
「あたしも、知ってるつもりだった」
彼女は、斜面へ引き直した接近路を指で擦った。指先に黒い跡がつく。
「聞いてよかったよ」
ユーゴは頷き、紙を乾かしてから畳んだ。
外では、巡回から戻ったもう一人の領兵が、待っていた村人へ声をかけていた。日が落ちる前に、畑から戻った人数を確かめている。明日もこの二人が、村の方を見ていてくれる。
ユーゴは荷の上へ地図を置いた。剣の手入れをする前に、明朝持っていく物を四人で分けることにした。
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