第22章 選ばなかった道、その先
木剣を返そうとすると、指南役に呼び止められた。
「それは、まだ置いておきなさい」
何か間違えただろうか。ユーゴが足を止めると、王国騎士団の幹部も壁際から近づいてきた。ランバルがその隣へ立つ。
幹部が、ユーゴへ尋ねた。
「師は村で教えておられると聞いた。騎士団で学んだ経験は」
「ありません。ベルナール先生に、ずっと教わっていました」
「よい師に恵まれたな」
幹部は、ユーゴがまだ握っていた木剣を見た。
「押されてから姿勢を戻すまでが速い。相手に動かされても、崩れたままにならない。あれは一度の勝ち負けより、長く積んできたものだ。騎士団へ入る気はないか」
ユーゴは返事をしかけて、止まった。
横に立つランバルが、この道を歩いてきた。朝の通りで部下へ指示を返し、荷車が動き出すまで見届けていた姿が浮かぶ。村を出てからも、助ける人がいる働き方だった。
「俺を、ですか」
「他に誰がいる」
ランバルが少し笑った。指南役は笑わずに続けた。
「剣を知っているだけでは、いまの一本は取れない。追われても相手を見るのをやめなかった。それを、こちらで伸ばしてみないか」
嬉しかった。村の外でも自分の剣を認めてもらえた。そのことを、ユーゴは曖昧にしたくなかった。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるとは、思っていませんでした」
木剣を下げ、頭を下げた。
「でも、今は入れません。ロゼットと旅に出る約束をしています。村や、領内のことで、行かなきゃいけない場所があるんです」
調べるよう頼まれた事情までは口にしなかった。これから二人で確かめるものを、ここで勝手に話すことはできない。
幹部は少し間を置いてから、頷いた。
「先約があるのなら、無理には引き止めまい。気が変わったときには、ランバルを通じて話をしなさい」
「はい」
断ったことで、手の中の木剣まで返す時が来たように思えた。だが指南役は、稽古場の空いた一角を示した。
「それなら、旅のために学んでいくといい」
*
「滞在はいつまでだ」
「全部で七日ほどです。準備が済んだら出発します」
「残っている日には、ここへ来なさい。今度は一本を取るためではなく、さっき困ったところから始める」
指南役は木剣を手に取り、剣先をユーゴの外側へ動かした。
視線がつられた。
剣先が戻る。胸の前で止まった。
「今、どこを見ていた」
「剣です」
「剣だけを追っていた。手が動いたからといって、体もそこへ来るとは限らない」
指南役はユーゴを元の位置へ戻した。次は足を止め、手だけを動かす。その違いを知って見ても、ユーゴの腕は少し反応した。
「獣とは違う。剣を受けさせてから、その間に仲間へ刺させる。武器を使う相手はそれをする。ゴブリンでも同じだ」
グランジュの森が浮かんだ。自分が剣を振っている間、その横を抜けた相手は誰のところへ行くのか。
「それを、教えてください」
「そのつもりで呼び止めた。入団の返事は、もう聞いたよ」
ユーゴは顔を上げた。ランバルが、壁際の隊員へ声をかけていた。
「出発まで付き合ってやってくれ。俺と同じように打つ必要はない。むしろ、違う相手を見た方がいい」
*
最初の稽古では、一人の木剣を追っているうちに、もう一人が横へ回った。
ユーゴが気づいて足を動かすと、正面の剣が伸びた。受けたところで、横から肩へ木剣が触れた。
「そこまで。位置を戻せ」
息を整える前に、立っていた場所を確かめさせられた。避けた先へ、別の相手が入る余地を自分で作っていた。
次も、同じようにはいかなかった。正面ばかり見るのをやめると、今度は遠くの相手を気にしすぎて、目の前へ踏み込まれた。
休憩を告げられたときには、模擬戦で勝った気分はどこかへ行っていた。
「腕はまだ動くか」
水を持ってきたランバルが尋ねた。
「動く。でも、考えてる方へ動いてくれない」
「そこが動くようになるまで、やるんだ。出発までに全部できるとは思うなよ。知らないまま行くのとは違うから」
ユーゴは水を飲んだ。冷たさが、ようやく喉へ届いた。
「グランジュで、ゴブリンが畑に出るって聞いた。村には二人、兵がいる。でも、森へ入ってしまうと村が空く。戻ったら何とかしたいんだ」
ランバルは話を最後まで聞いてから、空いた木剣を壁へ戻した。
「なら、冒険者ギルドにも寄っておけ。旅先で依頼に関わるなら、登録しておくと話を通しやすい」
「騎士団とは別に?」
「別だ。お前を冒険者一筋にする相談でもない。正式に依頼を引き受ける、助けてくれる人を募る、やったことを記録して報酬を受け取る。その窓口を持っておけ、という話だ」
「村で聞いた依頼も、そこに出てるそうだ」
「だったら、まず内容を見ろ。今ここで俺に約束する必要はない。数も場所も、一緒に行く人も確かめてからだ」
「村で聞いてきたことも、持っていけばいいか」
「ああ。紙にないことなら、向こうも知りたいはずだ」
ユーゴは頷いた。グランジュで聞いた話を、忘れないうちに書いておこうと思った。
稽古場から呼ばれた。
ユーゴは飲み残した水を置き、木剣を取り上げた。次こそ横から来る相手を見ようと思う。そのために、正面の相手を見失わずにいられるかは、まだ分からなかった。
*
冒険者ギルドの戸を押すと、濡れた外套と煮た豆の匂いがした。
入口の脇には泥を落とす台があり、奥では荷を下ろした男たちが椀を囲んでいる。壁いっぱいの掲示板の前で、二人組が紙を指し、道のりを言い合っていた。武器を持った者ばかりではない。巻いた縄を肩へ掛けた女も、修理箱を抱えた老人もいた。
ユーゴは受付へ進み、ランバルに勧められて来たと伝えた。
「旅の護衛をするんです。その途中で、村から出ている討伐の依頼にも関わることがあると思って」
「登録は初めてですね。では、こちらへ」
職員は記入する欄を示した。名前、出身、扱える武器。ユーゴが剣と書く手を止めると、実績を記す欄は空けておいてよいと言われた。
ベルナールに認められた剣も、ここに積まれた依頼を済ませた記録にはならない。
必要な説明を聞き、書類を確かめてもらった。依頼を引き受けるときも、終えたときも窓口を通す。危険地域への配送や品物の回収も扱うという。
「旅先でも、登録を確かめてもらえるんですか」
「ええ。身元と、こちらで記録した仕事を確認できます。依頼先で何を任されたかが曖昧にならないよう、受ける前に内容を確かめてください」
ユーゴは頷いた。村で狼狩りを引き受けたときには、そうしたことを考える前に口が動いた。
手続きを終えて壁へ向かうと、見覚えのある村の名があった。
グランジュ。
紙の端が少し反っている。森の集落、奥へ続く洞窟。外にいる群れだけでも五十ほどと見込まれるが、数は現地で確かめる必要があると添えてあった。
ユーゴは報酬の欄を読み、もう一度、洞窟という文字へ戻った。
「それ、まだあったのか」
隣で別の依頼を選んでいた男が言った。
「誰も受けてないんですか」
「道中で何日取られる? 着いて、森を探って、穴の中までだろ。二人で行っても足りない。人数を増やせば取り分が減る。だったらこっちの護衛を二度やるよ」
男は別の紙を手に取った。連れが日付を確かめ、二人で受付へ向かった。
ユーゴはその背を見送った。怖くて逃げたようには見えなかった。出発日を決め、帰った後の仕事まで相談していた。
乾きむらの出た草を、農夫が手で広げていた光景が浮かぶ。畑に長く出ていられず、刈る量も運ぶ時刻も揃わない。依頼の報酬欄には、その手間まで書かれてはいない。
「詳しい話を聞いてもいいですか」
ユーゴが紙を示すと、受付の職員は帳面を開いた。
*
その日は依頼を持たずに道場へ戻った。
翌日の稽古でも、一人を下がらせたと思ったところへ別の木剣が来た。肩で受けずに避けたが、そのために空けた脇を指南役に指摘された。相手を退かせても、自分の隣が空く。
休憩の間、ユーゴはグランジュで聞いたことを書いた紙へ、前で戦う者と、治療をする者、と書き加えた。
ロゼットの銃だけを頼りにして、次々と出てくる敵を受け切るわけにはいかない。自分が傷を負えば、彼女を守る手も止まる。
稽古を終えて再びギルドへ行ったとき、ユーゴは職員の前にその紙を置いた。
「この依頼を引き受けます。出発は領都の滞在を終えてからです。それまでに同行する人を募りたい」
「前衛をもう一人と、治療役ですね。あなたのほかに参加者は?」
「頼みたい人がいます。遠くから援護できる人です。でも、まだ本人には聞いていません。決まった人数には入れないでください」
職員は三人目を書きかけた手を止め、募集の内容を読み返した。ユーゴは出発までの猶予と、村で兵二人が警戒していることを伝えた。兵を森の奥まで連れていけば、村の守りが空くことも。
話を詰めてから、受諾の書類に名前を書いた。
*
募集を見て先に来たのは、長い柄の斧を持った女だった。
褐色の髪を高くまとめ、太い編み髪を肩へ垂らしている。赤茶の装いの上から肩を覆う金属に、使い込んだ擦れがあった。通路を塞がないよう斧を壁へ寄せ、それから椅子を引いた。
「ブリジット。グランジュの依頼を受けたの、あんた?」
「ユーゴです。村へ寄ったときに、困ってると聞いて」
「寄っただけで、これを受けたのか」
ブリジットは机の依頼票を裏返すように持ち上げ、報酬を見直した。
「金額は読んだ?」
「読みました。帰り道の稼ぎとしては、割に合わないとも聞きました」
「合わないよ。食い物だって要るし、刃も傷む」
紙が机に戻った。断られると思い、ユーゴは次の言葉を待った。
「あたしは、あそこに家族も知り合いもいる。高くなるまで待てって言ってる間に、畑が荒らされる。あんたが行くなら、前は手伝える」
「一人でも行こうと思ってたんですか」
「村には戻れる。けど、巣へ一人で入る気はない。背中に目があるわけじゃないからね」
その言い方に、ユーゴは稽古で横から触れた木剣を思い出した。
「俺も、一人じゃ無理だと思いました。斧で隣を支えてもらえるなら助かります」
「斧が振れる場所ならね。森を一緒に歩く前に、あんたの間合いも見ておきたい」
ユーゴは頷いた。机の脇へ寄せた斧の柄を見て、自分がその右に立つ場合を考えた。持ち手が引かれる側へ入れば、互いに邪魔をする。出発までに確かめたいことが一つ増えた。
*
別の時間に受付へ来た青年は、募集の紙を両手で持っていた。
目にかかる暗い髪の下で、こちらの顔と腰の剣を順に確かめる。青い上衣の裾を椅子に挟まないよう直し、青年は名乗った。
「ノエです。治療役の募集を見ました。まだ、決まっていなければ」
「決まってません。どんなことができますか」
「傷の治療と、動きや身体を支える魔法です。ただ……討伐に参加した実績は、まだあまりありません」
その後に何かを付け足しかけ、ノエは口を閉じた。
ユーゴは急かさず待った。ノエの手の中で、紙の角が折れかけている。
「慣れた人たちの隊だと、どこで何をしたかを聞かれます。答えられるほどの仕事がなくて。今回、必要としてもらえるなら、参加したいと思いました」
「俺も、ギルドの依頼を受けるのは初めてです。剣は教わってきたけど、今は道場で、何人も相手にする稽古をしています」
ノエの顔が少し上がった。
「前で戦う人は、ほかにも?」
「斧を使う人が一人。それから、銃で援護できる人に頼むつもりです」
「でしたら、お二人を同じように強めるより、剣を使う人の動きと、斧を振る人の踏ん張りを見たいです。どちらもずっと続けられるわけではないので、切れる前に伝えます」
「伝えてください。俺から見て分からないまま、前へ出るのは困るから」
ノエは紙から手を離した。膝の上に置き直した指が、今度は動かなかった。
「はい。無理なときも言います。……そのときは、前へ進むのを止めてもらえますか。追いかけながらでは、傷も見られません」
「分かりました。下がって治療を受ける場所も、みんなで考えましょう。前の二人だけで決めないようにします」
ノエは息を吐いた。持参した紙を広げ直し、名前を書いた箇所をユーゴの方へ向けた。
ユーゴは改めて頭を下げた。
「一緒に来てもらえますか」
「お願いします」
後で、ブリジットと顔を合わせる時間を決めた。二人が知り合いかと尋ねると、ノエは首を横に振った。
受付へ戻しに行く青年の背を見て、ユーゴは自分の紙を広げた。前衛と治療役の横へ、それぞれの名を書く。
頼みたい最後の一人の欄は、空けておいた。
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