第2章 効き目のほど
差し出された灯りを受け取る前に、ロゼットは借りた木箱に敷布を広げた。
「ちょっと待ってね。村の街灯で使ってる灯だったわね」
持ち主がうなずく。灯りを片手に敷布の端を整えてくれた。ロゼットは仕事道具を確かめ、ようやく品物を受け取った。
大きな革のリュックは、まだ半分も空いていない。足元へ仕事道具を下ろすと、いつもの場所を少しはみ出した。
「今日はここまで借りていい?」
隣で屋台を広げていた村人が笑って籠を引いてくれる。地面にも敷布を敷き、完成しているスクロールを用途ごとに並べる。留め紐や小さな魔道具は客の側へ、ブランクのスクロールとインク、修理の道具は自分の手元へ。取引台帳を出したところで、敷布を踏みそうになった子供を呼び止めた。
「そこはお店。色々あるから危ないよ」
避けた足の向こうから、よく通る声がした。
「相談、交換、調整は一件ずつ聞くから、順番に並んで! 急ぎの不具合がある人は先に言って!」
リネットが店の前に立ち、すでに次の客の用件を聞いている。
「リネット。私、まだ頼んでないんだけど」
「台帳、いつものところに書いていい? 名前と、持ってきたもの」
先に筆を持ってから尋ねるのも、前に来たときと同じだった。ロゼットが小さな腰掛けを足で寄せると、リネットは台帳の前へ腰を下ろした。
「いいわ。値段を聞かれたら、私に回してね」
「分かってる。今日はちゃんと、受け取った品も横に書くから」
ロゼットは台帳の余白を指してから、灯りへ向き直った。覆いにした布の下で、光が明滅している。持ち主は眉を寄せ、その手元を見ていた。
「これ、いつごろからちらつくの? 点けたすぐだけ? それとも、使ってる間ずっとこうなる?」
「ずっとだよ。暗いなら暗いで、こっちも気をつけるんだけどさ」
「じゃあ、中のスクロールを替えよう。器具はまだ使えるから。明るさは今までくらいでいい? 手元が見にくいなら、そこも直せるけど」
「もう少し暗くていいよ。明るすぎても歩きにくいからね」
「そっか。村中を明るくするほどじゃないものね。替えたら、ここで一度見てちょうだい」
ロゼットは留め具を外した。
細い巻物を抜き、新しいものを取り出す。明るさを決める箇所を書き換え、折り目をつけないよう器具に戻した。狭い留め具には、指の先がやっと入る。
取り替えた灯りを布の下で試すと、今度は小さな光が揺れずに灯った。
「このくらい」
持ち主の顔が緩んだ。
次は水を温める道具の相談だった。その次は、村でまとめて頼んであった巻物の交換。リネットが持ち主の名を読み上げ、ロゼットが古い品を確かめて新しいものを渡す。取り替えた品と金額を台帳へ記すと、客は礼を言って帰っていった。
「待って。いまの人、お金――」
リネットが立ち上がりかけた。ロゼットは台帳を指でとんと叩いた。
「あの人の分は村払い、村の設備だからね。あとで村の会計の人と確かめるから、ここへ残してるの」
「村が受け持つ定期の交換や調整、まとめて頼まれた品はね。巡回が終わったら、会計の人と、この帳面を確かめるのよ」
リネットは書きかけの筆を浮かせた。
「じゃあ、そのときに全部、袋でもらうの? また荷物が増えるね」
「硬貨で持って歩かなくてもいいの。村がオルディエ商会に納めた麦のお金、まだ商会に預けてあるでしょう。品も調べて値段もついた、そのお金から払ってもらうのよ」
台の端へ留め紐が差し出された。ロゼットは客に値段を告げ、包みをリネットへ渡す。リネットが品を入れ、口を折る間に、台帳の村払いの欄を示した。
「ここの合計が決まったら、その分を受け取る権利を村から私へ渡してもらうの。荷受証という紙に、受取人が変わったことを記すのよ。それを領都の商会へ持っていけば、お金にできるし、次の仕入れの代金にも回せるわ」
「村の麦のお金を、領都でロゼットが受け取るんだ」
「そう。これから刈る麦を当てにしてるわけじゃないの。もう売って、値段の決まった分ね」
留め紐の客が硬貨を置いた。ロゼットが数えて受け取ると、リネットは包みを客へ差し出した。
「それはもらうんだ」
「自分用の買い物だからね。今のはこっちの欄」
「そうよ。迷ったら先に聞いてね」
空いた場所を指すと、リネットは台帳を覗き込み、筆を動かした。ロゼットも道具を拭く手を動かす。隣で紙を引っかく音が止んだところへ、声がかかった。
「一杯、ここに置くよ」
顔を上げると、ユーゴが水の入った器を店の端に置いていた。
「ありがとう」
次のお客が待っていたので、ロゼットはそれ以上話さず、喉を潤してから椅子を引いた。
座った農婦は、膝に置いた手をさすった。爪の脇には、洗っても落ちない土が残っていた。
「この前作ってもらった畑の獣除け、よく効いてるのよ」
「よかった。あの畑、ずいぶん食べられてたものね」
「うん。あれを置いてから、ネズミも鹿も猪も入らなくなった。ただ――」
農婦の指が止まった。
「中で仕事をしてると、何だか落ち着かなくて」
ロゼットは開いたばかりの手帳から顔を上げた。二か月前の調整を書いた頁に指を挟み、閉じる。
「効かなくなった話じゃなくてもいいのよ」
農婦は口を開きかけ、いったん膝へ目を落とした。
「贅沢を言ってるみたいでね。前はあんなに食べられてたのに」
「働く場所でしょう。そこでつらいのなら、直すところがあるんだと思う」
「落ち着かないって、どのへんが? 音が気になるとか、匂いがするとか……うまく言えなくてもいいから、感じたまま教えて」
「胸の、このへんが。そわそわするというか。頭が痛いってほどじゃないのよ。気分が悪くなる日もあるけど、休めばまた仕事はできるし」
「いつごろ気づいた? 覚えてる作業があれば、それも教えて」
「前にあんたが来て、置いてもらってから。忙しいせいかと思ってたんだけど、隣の人も同じだって。女同士で話すと、そうそうってなるの」
二か月前。
よく効くように、と少しだけ出力を高めに設定した畑だ。設置した日に、一緒に歩いた。鼻を刺す匂いも、耳に響く音もなく、農婦も喜んでいた。
「急に効き方が変わった感じはある?」
「それはないね。ずっと獣は来ない。ただ、長く草を取ったりしてると」
その日の短い確認だけでは、分からなかった。
ロゼットは店先の道具をまとめた。
「畑で確かめさせて。前に置いた場所だけじゃなくて、いつも働いてるところも歩きたいの。獣を追えてるからって、人が居づらくなったら困るもの」
リネットへ、留守の間は相談の書き留めだけを頼んだ。道具箱を閉じるロゼットの脇で、彼女は台帳を自分のほうへ引き寄せた。
「名前と、何に困ってるか。戻ってきてから見てもらうって言えばいい?」
「ええ。急ぐ人がいたら、畑へ呼びに来て」
*
畑には収穫を終えた畝と、まだ土に残してある作物の畝が並んでいた。青い空の羊雲が、少しずつ形を変えている。広場からは、楽器を調子に合わせる音が届いた。
ロゼットは農婦に、いつも長く作業をする場所へ立ってもらった。
「ここから、あの端まで。草取りなら何度も往復するね」
「畑の外でも気になる?」
「少し離れれば、そんなには」
スクロールを確かめ、手帳の二か月前の頁を開く。獣の嫌う匂いや音に似た魔導作用を、強く出す設定。書き留めたとおりだった。
ロゼットには胸のざわつきは分からない。鼻にも耳にも、変わったものは感じなかった。手帳へ何か書こうとして、やめる。
隣では農婦が、胸元の布を指で引いていた。
「効き目を弱くしたら、また食べられるかね」
「そこは確かめたい。出力は少し下げるけど、広がり方を変えて様子を見てみたい。畑の外にまで強く効かせていた分を、ここの広さに合わせたいの」
農婦は森のほうを見た。
「またかじられたら、すぐ言ってもいいかね。次に来るまで待ってたら、残らなくなる」
「もちろん。明日、出る前にも聞きに来る。まず今の具合を見て、それから効き目を確かめましょう」
「村の結界だけで、あの小さいのまで来なくなれば楽なのにねえ」
「あれは魔獣を止めるためのものだから。普通の獣まで同じには止められないの」
「馬も入れなくなったら困るか」
「私のこれも、牛や馬、羊にも効くのよ。家畜かどうかまでは見分けられないから、動かす場所を変えるときは気をつけて。家畜小屋へ持っていったりしないでね」
「ここで飼いはしないよ。人が働ければ十分」
その言い方に、ロゼットはうなずいた。
リュックから、まだ何も書かれていない新しい巻物を出す。道具を膝の上に広げると、農婦が空いた籠を逆さにしてくれた。
「台にしな」
「助かる」
紙の端を留め、筆を走らせる。出力を落とし、作用が立ち上がるまでに間を持たせる。範囲を畑の形に合わせて狭めると、元の術式とは線の配置も変わった。
農婦が籠を押さえていた。ロゼットは肘を引き、最後の線をつないだ。
「新しいほうに、今の調整を書いたわ。こっちを使って、働いたときの具合を見てほしい。古いほうは止めて、私が持ち帰るから」
新しいスクロールを渡してから、設置されていた高出力のスクロールを停止させた。作用が途切れたことを確認し、取り外して巻く。あとで別の品と取り違えないよう、畑の場所を書いた札をつけ、保管箱へ収めた。
箱の蓋を閉じ、革のリュックの内側へ戻す。
農婦が差し出した新しい巻物を、ロゼットは元の設置場所に取りつけた。ゆっくりと動かし始め、それから一緒に畝の間を歩く。
「どう?」
「今は、気にならないね」
「長く働いたときにも同じか、見てほしい。今日ここを歩いただけで大丈夫とは、言い切れないから」
農婦はうなずいた。
「効き目のほうは、明日の朝の足跡も見ておくよ」
「うん。食べられた跡があったら、どこから入ったか教えて。畑全体を強くする前に、その場所を確かめたい」
道具を片づけていると、農婦が手を伸ばし、ロゼットの袖にくっついた藁を取った。
「祭りの日に悪かったね」
「言ってもらえて助かったわ。前は獣が来なくなったって聞いて、それで安心しちゃったから。使って困ったことまで聞かないと、私、直したつもりで帰っちゃうところだった」
「そうかい。じゃあ次も遠慮なく言うよ」
それは少し怖くて、ありがたい返事だった。
*
店へ戻ると、台帳に二人分の名と相談が書き留められていた。
「こっちは交換。でも、こっちの人は温まるのが遅いって。新しいのが欲しいんじゃなくて、どこが悪いか見てほしいんだって」
リネットの指が、追記の小さな字を辿る。ロゼットはうなずき、道具をもう一度広げた。
「聞いておいてくれて助かった。あとは私が見るから、お父さんのほうも手伝っておいで」
「終わったら来てね。鍋、空になるよ」
屋台へ走っていく背中を見送り、書かれた名の一人を呼ぶ。持ち主に使い方を確かめ、順に用件を済ませたころには、日が高くなっていた。余った道具を布に包む。
手帳の獣除けの欄に、出力と範囲の変更を書き足す。その下に、作業中の不快感、と記した。
その横に、農婦が長く草取りをする畝の位置を描き足した。次に来たとき、この頁を開いて同じところを歩けるように。
余白を残し、手帳を閉じた。
広場の楽器が、今度は揃って鳴り始めた。ロゼットが顔を上げると、向かいの屋台でリネットが、こちらを見て器を高く掲げていた。
「冷めるよ!」
ロゼットはリュックの蓋を留めた。肩に担ぐのは後にして、先に、空腹を満たすことにした。




