第19章 畑へ出る順番
フルーリの家並みが木々の向こうへ隠れてからも、ユーゴは一度、後ろを振り返った。
ここからでは、新しく据えた結界の巻物は見えない。作動したところは、自分でも確かめた。それでも、村を離れる足は、何も知らずに通ったときと同じにはならなかった。
「ロゼット。国が承認する巻物って、結界のほかにもあるのか」
隣で、リュックの肩紐を直していた手が止まった。
「あるわよ。飲み水をきれいにするものとか、食べ物の毒を除いたり、傷みにくくしたりするもの。傷を手当てする医療用もそうね」
「食べ物もか。じゃあ、ルヴィエの飼料庫で使ってたのも?」
「あれは家畜の飼料をしまう場所の、温度や湿り気を整えるものだから違う。食べ物の分野で国が管理するのは、人が食べるものへ直接かける処理なの」
ユーゴは、羊の声がしていた囲いと、ロゼットが何度も開け閉めしていた飼料庫の扉を思い出した。同じように傷ませないための仕事でも、巻物の扱いは分かれるらしい。
「それと、火を出したり爆発を起こしたりするもの。緊急通信も。結界を入れて、六つの分野に分かれてる」
「緊急通信?」
「魔物が来たとか、病気が広がったとか、急いで助けを呼ばなきゃいけないときに、短い知らせを送る巻物よ。村からなら、決められた領都の窓口へ。誰にでも好きな話を送れるわけじゃない」
「火が危ないのは分かる。でも、知らせを送るだけでも、国が見るのか」
ロゼットは少し考え、ユーゴの方へ顔を向けた。
「助けを呼べたと思って待っていたのに、届いていなかったら?」
ユーゴは答えかけて、口を閉じた。来るはずの人を待つ間にも、怪我をした者や、逃げられない者はそこにいる。
「……送った人だけじゃ、済まないな」
「水も同じ。一つの井戸の水をみんなが飲むでしょう。毒が残っていても、飲む前に一人ずつ確かめられるとは限らない。治療の巻物なら、効き方を間違えたものを傷ついた身体に使うことになる」
道に張り出した枝を、ユーゴは手で押し上げた。ロゼットが下を通り抜けるのを待って、静かに戻す。
「強い魔法だから、ってだけじゃないんだな」
「ええ。動き方を間違えたときも、必要なときに動かないときも、人の命に大きく関わるもの。使った人以外にまで被害が広がるもの。それを作り手や売り手だけの判断で出さないための仕組みなの」
「昔から、そうだったのか」
「今の制度ができたのは、大きな災害の後よ。灰環災害って、聞いたことはある?」
ユーゴは首を振った。ロゼットは道の先へ目を戻した。
「昔、ある町で魔法の大災害が起きたの。その後、同じことを繰り返さないために、危険が人々へ及ぶ魔法を国が管理することになった。今、私たちが守っている売買の決まりも、そこから続いているのよ」
「それで、結界も?」
「そう。中心になって制度を整えたのが、ヴァルカス様。今の魔導局長よ」
ユーゴは、初めて聞く名を口の中で繰り返した。
「リシュアンさんたちの、上の人か」
「ええ。どのくらいの力まで出していいか、安全のために何を備えるか、どう試すか。そういう基準を国が決めたのが、国家規格。その基準を満たすと認められて、売ってよいことになった製品が国家承認スクロール」
「作った人が、大丈夫だと言うだけじゃ駄目なんだな」
「工房も登録するし、製品も検査する。誰が、いつ作ったものか記録を残す。売る方にも資格がいるわ。問題があったとき、どこへ売ったか追えなければ、回収もできないから」
ロゼットが歩くたび、荷の留め具が小さく鳴った。ユーゴは、村で彼女が帳面へ書き込んでいた時間を思い返した。品物の数と代金だけを残していたのではなかった。
「巻物の中身が分からない人でも、使えるようにしたんだ」
「使う人に、作り方から全部覚えてもらうわけにはいかないもの。決められた使い方を守れば、安全に扱える。そのために、作る側と売る側で先に確かめるのよ」
ユーゴは足元へ目を落とした。フルーリの管理人も、決められた仕事をしていた。村の人々は、それを頼りに畑へ出て、夜には戸を閉めて眠った。
「それなのに、あの結界は止まった」
ロゼットの足音が、少しだけ遅くなった。
「……そうね」
二人の間で、荷の擦れる音がした。
「承認されていたから、調べなくていいとは言えないわ。何を確かめたはずで、どこで違ったのか。そこまで見ないと、また同じものを渡すことになる」
ユーゴは彼女を見た。ロゼットはリュックを背負い直し、道の先を向いていた。
「次の村でも、結界だけ聞けばいいわけじゃないんだな」
「まず、何に困っているか聞きましょう。承認品でなくても壊れるし、使い方や置く場所が変わって、うまく働かなくなることもあるから」
「分かった。最初から同じことが起きたと決めずに、聞く」
道の傾きが緩くなった。木々の間から、畑が見え始めていた。
*
グランジュの畑の縁で男たちは作業もせずに森を眺めている。
鎌も籠も用意してある。雨は降っていない。それなのに男たちは道の端へ腰を下ろし、森の方を見ていた。ユーゴには、それがひどく落ち着かなかった。刈る日を逃せば、その分だけ明日の仕事が増える。
「どうしたんですか」
荷を下ろすより先に尋ねると、ひとりが立ち上がった。
「今、兵隊さん達に森の向こうを見てもらってる。戻ったら、みんなで畑へ出るんだ」
男の指す先から、槍を携えた兵が歩いてきた。その少し後ろに、もうひとりいる。ユーゴとロゼットに気づくと、先の兵が手を上げた。
「フルーリから来たのか。途中で何か見たか」
「俺たちの通った道では、見ませんでした」
「そうか。こちらも今のところ、畑の縁にはいない」
その返事を待っていたように、籠が持ち上がった。男たちは離れすぎない間隔で畑へ入っていく。ユーゴも落ちていた鎌の鞘を拾い、最後のひとりへ渡した。
領主が置いた兵は、この二人だった。クラリスが襲われたあと、村の周りとフルーリへ続く支道を巡回しているという。
「来てくれて、助かってますよ」
畑へ向かう男が言った。
「ただ、森を見に行ってもらうと、こっちには誰もいなくなる。だから今日は、先に畑の付近を見てもらったんだよ」
男は目元を擦り、畑へ向き直った。隣の者も籠を持ったまま、森から視線を外さない。
ユーゴは、二人の兵と広がる畑を見比べた。槍を持つ者がいる。そのことと、いつでも仕事へ出られることは、まだ同じではなかった。
*
村長は二人を見つけると、クラリスを背負って来たときと同じように、座る場所と水を用意してくれた。
「お嬢様はお元気でしたか」
「はい、足も大分良くなっています。領主様にも、こちらでしてもらった手当てのことを話していました」
ユーゴが答えると、村長の口元が緩んだ。だが、ゴブリンについて尋ねると、膝の上の手がまた重なった。
「森に住みついているようでしてね。柵を立てた集落があって、その奥には洞窟もある。前に道で追い払っていただいた分だけでは、終わらなかったんです」
「被害は、増えているんですか」
「ええ。初めは森寄りの畑だけでしたが、村の外れでも物を持っていかれる。支道を通る者が追われる話も増えました。出るたびに人を呼び集めて……休む間も無くて……森の音が気になって仕方ないんです」
村長は水へ手を伸ばし、飲まずに戻した。
「そこから出てくるんですね」
ユーゴは腰を浮かせかけた。村長の隣に立つ兵が、続きを話した。
「村の者が目撃した範囲の数しかわからない。集落の大きさも、その奥の洞窟はどこまで続くかも分かっていない。兵隊さん二人とも森へ入れば、こちらを空けることになる」
「討伐を頼んだ先はありますか」
ロゼットが帳面を開いた。最初に聞くのは、敵の強さではなかった。
「領都の冒険者ギルドへ依頼は出しています。隊が決まれば知らせが来るはずですが、まだ」
「では、向こうへ着いたら、依頼がどうなっているか確かめましょう」
ユーゴは彼女を見た。
「俺も、戻ってきたい。ここを通れなきゃ、フルーリへ帰る人も困る」
「うん。私もここへは通い続ける。でも、森の集落へ入る支度はしていないでしょう。今の荷には、これから調べるためのものも足りない」
ロゼットは背負ってきたリュックへ目を向けた。
ユーゴの剣は、もう借り物ではない。それでも、その剣を握って先へ進めば、ロゼットも荷を持って後ろを歩くことになる。洞窟に入ったあと、誰が彼女の背中を見るのか。
自分一人で集落の相手はできない。剣が替わったからといって、見ていられる方向まで増えたわけではなかった。
「まず領都で揃えよう。俺に足りないものも、そこで探す」
ロゼットが頷くのを待ち、ユーゴは村長へ向き直った。
「今、二人で森へ入るとは約束できません。でも、このまま忘れて行くつもりもありません。準備が済んだら、また寄ります」
「でしたら、畑に来た日をこちらで控えておきます。戻られたときに、何も分からないまま待たせずに済むように」
村長は机から紙を一枚引き寄せた。ユーゴは、目撃した場所も一緒に残してほしいと頼んだ。
村長は立ち上がり、戸口まで送ってくれた。
*
村長の家を出ると、ロゼットは納品先を回った。頼まれていた品を渡し、使い方を確かめてから代金を帳面へ記す。ユーゴが空いた包みを畳む間にも、修理の相談と次の注文が続いた。
干し草を束ねていた女も、ロゼットを呼び止めた。
「このあいだは、お嬢様を運ぶので手いっぱいだったろう。乾燥のほう、今日は見てもらえるかい」
「まだ伺えてなくて、ごめんなさい。乾き方は変わりましたか」
「一度に持ち込む草が増えたからね。前と同じようにしても、下のほうが湿ってる日がある」
女は束の端をほどいた。外の草は軽くほどけたが、内側には重なったままのところがあった。ロゼットは勝手に引き抜かず、女が差し出した分を指で分けた。
「刈った日と、ここへ運んだ日は同じ?」
「兵隊さんが村を見守っている日に、まとめ作業するようになってね。毎日同じにはできなくて」
ロゼットは畑のほうを見た。あちらでは、まだ男たちが草を刈っていた。
「今日の草で合わせましょう。乾燥棚を見せてもらえますか。これからも、湿りが残った日と、運び込んだ量を控えてもらえると助かります」
「それなら、村長に渡す紙に一緒に書いておくよ。草のほうは、待たせられないからね」
「ええ。まず、今ある分を見せてください」
女に案内された作業場で、ロゼットは乾燥棚に取り付けられたスクロールを確かめた。草を置く場所と重ね方を見て、下の湿った分を少しずつ分けてもらう。ユーゴも束を運び直し、内側に触れてから手を離した。
「一度に厚く積んだ分を、強くするだけで乾かそうとすると、外ばかり先に乾くわ。今日はこの厚さで試しましょう」
ロゼットは術式を調整し、薄く広げた草で動かした。待つ間にも、女は森で枝の折れる音がすると手を止めた。兵の姿を見つけてから、ようやく次の束へ屈む。
試した草を開くと、下にこもっていた冷たい湿りが薄くなっていた。ロゼットは女にも触ってもらい、外側の乾き方と比べた。
「この量なら、これで進めてみて。雨や持ち込む量が変わったら、中まで確かめてね。戻ってきたとき、使った様子も聞かせて」
「助かった。これだけでも、やり直す手間が減るよ」
女は束を持ち上げた。その顔にはまだ疲れが残っていたが、今度は置く場所を迷わなかった。ロゼットは調整の内容と代金を書き、ほかの納品と合わせて村の会計へ確認を頼んだ。
ユーゴは畑を振り返った。さっきの男が腰をかがめ、刈った草を抱えている。道には兵が残り、森へ顔を向けていた。
「道具が直っても、畑へ出るのは待たなきゃいけないんだな」
ロゼットは頷き、今日の仕事を書き終えた帳面を閉じた。
荷を持ち直したユーゴの肩へ、紐が食い込んだ。ロゼットが自分の荷を背負うまで待って、二人で領都への道を進んだ。
背後で鎌を研ぐ音がした。次に来るときは、畑へ出るのに待たなくて済むようにしたかった。
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