第13章 まだ書かれていないこと
領主邸の部屋へ入ったとき、ユーゴが最初に気づいたのは、ルネが立っていることだった。
フルーリでは、村人を待たせたまま自分の話を続けていた。その男が今は机の脇で、声を掛けられるまで口を開かずにいる。
クラリスが席を示した。
「お待たせしました。王都で資料を確認していただき、一緒に戻りました」
足の運びは、前に見たときより自然になっていた。机には、ユーゴたちが話した内容をまとめた紙が置かれている。
向かいに座っていた二人が名乗った。
「魔導局のリシュアンです。領主の異議申立てを確認するため、王都から来ました」
金色の髪が額へかかる、若い男だった。白い上着の内側に青い色が見え、手袋を外すと指先で紙の向きをそろえた。
「同じく、レイモンです。長く待たせましたね」
隣の男はリシュアンより年長に見えた。机の上に手を開き、ユーゴとロゼットの顔を順に見る。声は柔らかかったが、挨拶のあとも目をそらさなかった。
アルマンが丁重に礼を述べる。ルネが背筋を伸ばした。ユーゴは、ただの地方の担当者ではないのだろうと思ったが、それ以上は分からなかった。
「結界が停止したと知ったところから、話してもらえますか」
リシュアンが尋ねた。
ユーゴは広場から畑へ走ったことを話した。マルタンのところでは一度息をつき、次へ進んだ。ロゼットが来て、熊が退いた。その後でルネが来た。
リシュアンは、言葉の途中を遮らなかった。終わってから、ひとつずつ確かめた。
「停止の瞬間を、あなた自身が見たわけではないのですね」
「はい。そこは管理人さんから聞きました。俺が畑へ行ったときには、もう熊が入っていました」
「分かりました。あなたが見た部分と、管理人から聞いた部分を分けます。どちらも記録します」
机の上で、ペンが動いた。
消されるのではない。分けて書かれる。ユーゴは、その手元を見た。
ロゼットは約二か月前に売った獣除けから説明した。当日の昼に回収したこと、調整品は新しい用紙に書いたこと、回収した旧品を停止して箱へ入れたこと。
「救援に使ったのは、その回収品です。対象と出力を変えて、北側へ別に置きました」
「それ以前に使っていた期間についても、確認が必要です」
リシュアンの言葉に、ロゼットの肩が少し上がった。
「はい。私にも、そこを調べていただきたいです」
「後から置いたものが、その前の停止を起こした、という説明では順序が合いません。一方で、以前の使用を含めた影響は、順序だけで結論を出せない。両方を確かめます」
ロゼットはうなずいた。膝の上で開いた指が、そのままになった。
ルネが口を挟んだ。
「私も、現場の状況を総合して判断したのです。住民が混乱しておりましたし、技術者本人にも確証がない以上は」
「製造番号を、どこへ記録しましたか」
リシュアンが報告書をめくった。
ルネの視線が落ちる。
「番屋の資料を確認すれば」
「ここにはありません。現地の設置状態と、停止時刻を確認した相手も、後で原記録に照合します」
声は強くならなかった。その分、ルネが次の言葉を探す時間が長く感じられた。
*
「この話は、ほかに誰へ伝えましたか」
レイモンの質問に、ユーゴは顔を上げた。
「話した相手も、必要なんですか」
「どこまでが同じ目撃に基づく話か、確かめておきたいのです。これから連絡を取る先にもなります」
ユーゴは村からここまでの道を思い返した。
「村の人と、クラリスさんと、領主様です。グランジュで、迎えを待っているときに話しました」
「道中で、国家承認品そのものが危ないと話したことは?」
「まだ、どこが悪いか分からないので」
ロゼットが答えた。
「承認品が悪いと決めているわけではありません。でも、何も分からないまま次を売るのは怖いです」
レイモンは一度うなずいた。
「交換した品が正常なら、そこで調べるのを終えられますか」
ユーゴは答えかけ、止まった。
北の畑がまた守られれば、村は助かる。それでも、ロゼットは同じ顔で次の村へ行くのだろうか。
「俺は、この人の魔導が原因じゃない証拠を見つけると、約束しました。巻物が動いても、前に何が起きたか分からなければ、それはまだ終わってません」
隣で、ロゼットがこちらを見た。
レイモンは、すぐには返事をしなかった。
「別の村で似た異常を見つけたら、どうします」
「使う人の話を聞きます。私が売った品なら、知らないふりはできません。違う品でも、危ない使い方になっていれば止めます」
ロゼットは途中で視線を落とした。
「でも、原因まで自分ひとりで決めるのは……今回、私にもできなかったので。確認したものを残して、相談します」
「相談先が必要だということですね」
レイモンはそう言い、リシュアンへ目を向けた。
リシュアンが、新しい紙を机へ置いた。
「各地方から、不具合の報告は少数ながら届いています。保管や設置、単純な製品不良など、別々の原因として処理されている。用途も一つではありません」
「同じことが、ほかでも?」
ユーゴの声に、リシュアンは首を横へ振った。
「同じ原因だと分かったわけではありません。ただ、製品側も比較してみる必要がある。今回は現場と目撃した方が残っている。確かめる条件がそろっています」
アルマンが静かに紙を引き寄せた。そこに書かれたものは、ユーゴの席からは読めなかった。
レイモンが言った。
「確かな不具合なら、早く直さなければなりません。ただ、分からないまま危険だと広まれば、必要な結界まで使われなくなるかもしれない。調べる前に記録が失われることも避けたいのです。見たことと考えたことを分けて、まず届けてください」
ユーゴは机の紙を見た。自分の言葉が、そこへ残っている。
レイモンの手元では、事件の順序の下に、ユーゴがこれからしたいことまで書き加えられていた。
*
「私は、現地へ行きます」
リシュアンが言った。
「条件を変えて選んだ複数の結界スクロールを、フルーリで比較します。ロゼットさん、選定に協力していただけますか」
「はい。買い付けの資格は持っています。在庫は確認しましたが、品物はまだ決めていません」
「それで結構です」
ルネが椅子を引きかけた。
「私の担当区域ですから、手配は私が」
「あなたも現地へ来てください。前回の報告と照合します」
リシュアンは続けた。
「今ここで職務を外す判断はしません。証言だけでは足りない。ただし、報告どおりだったことにして検証を終えることもありません」
ルネは、はい、と答えた。ユーゴが村で聞いた返事とは、違う響きだった。
レイモンは王都へ戻り、各地の報告や製造・流通の記録を調べるという。クラリスも、領地事務所での仕事へ戻ることになった。
「記録の読み違いがあれば、今でも、後で思い出したときでも教えてください」
クラリスがユーゴへ言った。
「上手な報告にしようとしなくて大丈夫です。分からないところまで、分かったことにしないでくだされば」
ユーゴは紙の一箇所を指した。
「ここ。俺が熊を見た場所は、畑の中です。結界が置いてある場所とは、少し離れていました」
クラリスは修正し、リシュアンも自分の記録へ同じことを書き込んだ。
二本のペンが止まるまで、ユーゴはそこを見ていた。




