第10章 同じ人に聞き直さない
グランジュの村長宅で、クラリスの足が布で固定された。
椅子の前へ置かれた台に足を載せると、彼女はようやく背を預けた。護衛の袖の傷にも手当てが始まる。戸口では村長が使者へ行き先を告げていた。
「領都まで。お嬢様はここで保護していると。馬車と、帰り道を守れる人数を頼んでくれ」
馬の足音が遠ざかる。残った静けさの中で、ユーゴは自分の肩に手を当てた。荷を背負っていた場所と、人を背負った場所が、少し違って痛んでいた。
「お二人も、座ってください。立たせたままお礼を言うところでした」
クラリスが向かいの椅子を示した。
用意された水をロゼットが一口飲む。ユーゴは両手で器を持った。知らない家の中には、乾いた草の匂いがしていた。
「フルーリからは、お買い物に?」
「村の結界を、買い直しに来ました」
クラリスの手が止まった。
「交換の時期なのですか」
「止まったんです。祭りの日に。北の畑へ魔獣が入って……ひとり、亡くなりました」
マルタンの名前を告げると、クラリスは器を置いた。膝の上に手をそろえ、次の言葉を待つ。
ユーゴは話した。祭りの広場から北へ走ったこと。畑で見たもの。ロゼットが来てから、残った熊が森へ戻ったこと。
途中で順番が前後すると、彼女は責めずに確かめた。
「その熊を退けたものは、停止した結界そのものですか。それとも別のものですか」
「別です」
ロゼットが答えた。
「昼に回収してあった獣除けを改造して、置きました。国家承認品の中身は、私には直せません」
「では、そこは分けて記します」
クラリスは護衛から受け取った紙へ書いた。
「鐘が鳴った時刻は、分かりますか」
「祭りの皿を片づけてた頃です。時刻までは、見ていません」
言ってから、ユーゴは器へ目を落とした。
「では、時刻は未確認。覚えているのは、皿を片づけているときに鐘を聞いたこと。それで合っていますか」
「はい」
クラリスはその返事を聞いてから筆を動かした。ユーゴは器を持ち直した。次に畑へ走ったときのことは、まだ話していなかった。
地方から来た魔導局員の話になると、ユーゴは器を強く持った。
「あの人は、俺が熊と戦ったあとで来たんです。止まったところを見ていないのに、ロゼットが原因だと」
「担当者のお名前は」
「ルネです」
ロゼットの声は平らだった。さっきまでは手当ての布を渡したり、護衛へ水を勧めたりしていたのに、今は膝の上から手を動かさない。
クラリスは書き終えた紙を伏せた。
「父へ、直接お話しいただけませんか。人が亡くなっている結界事故です。交換品を買って終わりにしてよい話ではありません」
「でも、俺たちは買い付けの金と、村の書付しか」
「それを持ってきてくださって、よかったです。私の迎えが来たら、一緒に領都へ。聞いてほしいことを、道中でも整理しましょう」
*
迎えの馬車が村へ入ったのは、使者を見送ってから長く待った後だった。
ユーゴは護衛と一緒にクラリスを乗せ、荷物を積んだ。村長は馬車のそばまで来て、森の被害の話をもう一度した。
「人が増えてくれれば、畑へ出る者も少しは安心できます。ただ、森の奥までは、とても」
「当面の巡回を増やせるよう、父にお願いします。集落の規模を調べる手配も。今日の襲撃の場所は、護衛の報告と合わせます」
クラリスは窓越しに答えた。
ロゼットは干し草を積んだ建物の方を気にしていた。ユーゴも森の奥が気がかりだ。
ただ今は、フルーリの北側を守る巻物を持ち帰らなければならない。
車輪が動き出す。
道が広くなるにつれ、車体の揺れが小さくなった。荷車とすれ違うときにも、片方が草地まで下りずに済む。見かける人は農具だけでなく、布や樽、紙を挟んだ板を運んでいた。
領都に入ってからは、窓の外を見る首が忙しくなった。
石を敷いた道に蹄の音が重なる。家々の上階が道へ張り出し、軒先には品物の絵を描いた看板が並んでいた。水を汲む列の向こうで、店の明かりが灯る。フルーリなら声を掛ける距離に人がいるのに、誰もこちらの名前を知らない。
「あれが、買える店?」
巻物の印がある看板を見て、ユーゴが尋ねる。
「あれは一般のスクロールや魔道具を売っている店。国家承認品は、認定された販売所でしか買えないの。着いたら場所と在庫を確かめるけども、選ぶのは専門家に相談してから」
ロゼットは村との約束を言い直し、窓から顔を戻した。
*
領主邸の床へ足を下ろすと、靴の泥がひどく目立つ気がした。
案内された部屋で、ひとりの男が椅子から立った。髭に白いものが混じり、濃い色の上着に赤茶の肩掛けを留めている。クラリスが入ると、まず足へ目を落とした。
「痛みは」
「固定してもらいました。こちらのお二人に助けていただきました」
「アルマン・ド・ボーシャンです。娘を、よく連れ帰ってくれた」
礼を受け、ユーゴは頭を下げた。うまい言葉を探したが、結局「間に合って、よかったです」としか出なかった。
アルマンは椅子を勧めた。
「村の話を聞こう。話しにくいこともあるだろうが、君が見たところからでいい」
ユーゴは包みから書付を出した。
クラリスが先ほどの記録を読み、ユーゴは自分の見たところを補った。畑に倒れたマルタンのところで、声が詰まった。
アルマンは続きを急かさなかった。
ロゼットは、自分が以前から畑へ獣除けを売っていたことも話した。事件当日の昼にそれを回収したこと。結界が止まってから、同じ品をさらに改造したこと。
「以前の使用が何も影響していないと、私だけでは証明できません。でも、あの場で使ったものが結界を止めた、という順序ではありません」
アルマンは手元の報告書を読み直した。
「こちらには民生魔導の干渉が原因とある。ところが、判断に必要な停止時刻や製造番号が十分に残っていない。証言とも食い違う」
「じゃあ、あの報告を直してもらえるんですか」
「直すためにも、調べ直さなければならない」
ユーゴは一度うなずいた。それでも、喉に残ったものがあった。
「また、ルネさんが来るんでしょうか」
アルマンが顔を上げた。
「自分が書いた結論を、自分ひとりで調べ直せと言われたら、誰でもそれを守りたくなる。交換品を選ぶところまで同じ者に任せるわけにはいかない。別の職員を王都から求める」
ロゼットが、膝の上の手を開いた。
「私が選んだせいだと、また言われることも」
「避けなければならない。君のためにも、村のためにも、選定に第三者の立ち会いを求めよう」
アルマンは紙をクラリスの側へ置いた。
「公式報告の即時撤回ではなく、独立した再調査を求める異議申立てだ。君たちには、職員が来るまで領都に留まってほしい」
村へ戻るのが、遅くなる。
ユーゴがロゼットを見ると、彼女もこちらを見ていた。ふたりで持ち帰ると約束した品を、急いで一枚つかんで帰るわけにはいかない。
「分かりました。村の人に、今度こそ確かめたと言えるようにしたいです」
クラリスが紙の端をそろえた。
「私が王都へ持っていきます。村長さんと管理人さんの証言もそろえて。担当者へ差し戻される道筋では、同じことになってしまいますから」
ユーゴは机を見た。村からの書付の横に、別の紙が並んでいる。
紙の上で、マルタンの名前を見つけた。ユーゴは身を乗り出し、続く出来事を一つずつ追った。時刻の欄には、未確認とある。空いたところを埋めるために、覚えていないことまで言わずに済んでいた。




