5.ブローチ
夜会の翌日の昼、リュミリアから届いた手紙に、ノワールは一瞬だけ目を瞬いた。その手紙をノワールは自室で隠れるように読んだ。
リュミリアからの手紙は流麗な文字で季節の挨拶と他愛無い話題を綴っていたが、ノワールの目を引いたのは1箇所だけだった。
『ノワール様、お茶をご一緒しませんか?』
夜会で友人になることを約束した。だからといって、こんなにも早く誘われるとは思っていなかったのだ。
ノワールも儀礼に則った文章を手紙に綴りながら、了承の返事を書く。何度もリュミリアの手紙を読み返し、彼自身の書いた手紙を見直して、ようやく家令へと手紙を送るよう頼んだ。
了承の返事をしたものの、ノワールは少しだけ落ち着かなかった。
友人——その言葉を口にすることにも、まだ慣れていない。
(私の秘密を知っている彼女と私が、友人となるなんて……私に友人が出来るなんて)
ノワールは秘密を知られれば、友人なんて出来ないと思っていた。実際、そんな自分の想像が妄想でないことも分かっていた。女装して暗殺者に狙われるような人間と友達になりたがる人間なんて、普通いない。
それなのにリュミリアはノワールの秘密を知ってなお、彼を友人にしてくれたのだ。
翌々日の昼、ノワールは帝都にあるフォルテリア侯爵家の屋敷を訪れていた。フォルテリア侯爵家の華やかな応接室に通される。
「まぁ! 来てくださったのですね! ……急なお誘いで申し訳ありません。でも、私、ノワール様とゆっくりお話ししたくて。今日は庭園の方に、お茶の準備をしてますのよ。参りましょう?」
リュミリアの案内で屋敷を歩き、美しく整えられた見事な庭園へと辿り着く。
「……見事な庭園ですね」
「まぁ、ありがとうございます。帝都の花の他にフォルテリア領の花も植えてありますのよ。ノワール様のお目に適った花はございまして?」
ノワールは少し困った。花を美しいとは思えど深い興味はなく、目についた庭園を褒めただけだった。困ったようにノワールは庭園を見渡し、不思議な色合いの花に目を留めた。花芯は輝くような黄色で、花弁は中央が青く端に行くほど白くなっている。その色合いに、どことなくリュミリアを重ねてしまった。
「……あちらの花は、何と言うのですか?」
「あれは……光の花ですわ。帝都ではあまり見られないかもしれませんわね。南都の近くで咲く花です」
「……では、貴女の名前は、そこから?」
「えぇ、そうなのです」
リュミリアは少し照れたように微笑む。そんな話をしているうちに、二人は庭園に準備されたテーブルセットへと辿り着いた。
「では、お茶にいたしましょうか。ノワール様、好みの茶葉はございますか?」
「……お任せします」
「……ではフォルテリア産の茶葉にいたしましょう。私、この時期のフォルテリア茶が大好きですのよ」
花のような香りのするフォルテリア茶を飲みながら、二人の間で、しばらく他愛のない話が続いた。リュミリアはフォルテリア領の話や夜会で出されたお菓子の話をする。ノワールは口数少なく相槌を打ちながらも、最近読んだ本の話をした。
(……こんなに、穏やかな時間があるのですね)
出されたお茶を飲みながら、ノワールはしみじみと思った。ノワールにとって茶会とは毒殺を疑う場であり、静かに気配を消す場であった。
けれど今リュミリアと過ごす時間は、そのどちらも必要がない。むしろ、いつもの習慣でノワールが口を閉ざしていると、リュミリアは心配そうに彼を見て、彼から話題を引き出す。
「そうでしたわ」
突然、リュミリアが何かを思い出したように声を上げた。
「ノワール様、先日、お誕生日でしたでしょう?」
「……ええ」
「夜会のときにも祝いの品をお渡ししましたけれど……あの時は友人ではなかったので、殿下と連名となってしまったのです。でも、せっかくお友達になれたので、私からも何か贈りたくて……」
リュミリアが、隣に置いてあった小さな箱を取り出した。
「一から作る時間はなかったので、私物に手を加えた物になってしまったのですけど。……次は、きちんと一から作らせてくださいませ」
そう言ってリュミリアは箱を開く。中に入っていたのは、小さな黒い宝石が嵌め込まれた銀色のブローチだった。決して華美ではなく、それでいて品のある身に着けやすそうなブローチだった。
けれど、その黒い宝石は光を受けるたびに、ゆらゆらと淡い光を揺らめかせた。
「これは……」
「守護の魔術具です。私の光魔法を込めてありますわ。……ノワール様に危機が迫った時、一度だけ、貴方を守ってくれます。本当なら何度も使えるものにしたかったのですけれど、時間が足りなくて」
あまりにも簡単なことのようにリュミリアが言う。けれどノワールには、それがどれほど大変なことなのか理解できた。
守護の魔術印を刻むことは、高位の魔術師でも容易ではない。
(……これを、誕生日の贈り物に?)
彼女は一体、どれほどの魔術を扱えるのだろう。
夜会で見せた光魔法だけでも十分に驚かされたというのに。
「……こんなに素晴らしいものを私に?」
「ノワール様だから、贈りたいのです」
優しく微笑むリュミリアの笑顔が眩しくて、目を逸らすようにノワールはブローチを見つめた。
彼の胸の奥が、また小さく騒いだ。
彼とて贈り物をされたことくらいはあった。
——誕生日をお祝いして
——お近づきの印に
——今日のお茶会の記念に
薄っぺらい、けれど貴族としては当たり前な言葉を並べながら渡される贈り物たち。同じようにノワールから誰かに贈ることもあった。
(けれど……こんな風に、心を尽くして贈られたものは初めてですね)
「……私のために、作ってくださったのですね?」
確認するように言葉に乗せる。するとリュミリアは少し首を傾げつつも頷いた。
「……ええ。ノワール様のために、作りましたわ」
その言葉が、妙に胸に残った。
ノワールはそっとブローチを手に取る。
「……ありがとうございます、リュミリア様」
「こちらこそ。受け取ってくださって嬉しいですわ。これからも、どうぞ仲良くしてくださいね」
リュミリアは溶けるような笑みを浮かべた。ノワールにはそれが貴族令嬢然とした彼女の笑顔とは違って見えた。
「……ええ、こちらこそ。よろしくお願いします、リュミリア様」
ただの友人——そう思っているはずなのに。
ノワールは、なぜか、その言葉だけでは足りないような気がした。




