16.前世と今世
どれほど眠っていたのだろう。
リュミリアがゆっくりと目を開けると、先ほどまで感じていた身体の重さが、少しだけ和らいでいた。
「……ここは」
「休憩室だよ」
近くから声がして、リュミリアはそちらへ顔を向けた。対面の椅子に座っていたライアンが、穏やかな表情でこちらを見ている。
「……わたくし、眠ってしまったのですわね」
「少しだけね。疲れが溜まっていたんだろう」
「そうですか……」
優しい言葉にリュミリアは身体を起こす。まだ少し頭は重いけれど、先ほどまでのような眩暈はない。
「具合はどう?」
「さっきよりは、ずっといいです」
「それはよかった」
ライアンはそう言って、テーブルの上に置かれていた水差しからグラスへ水を注いだ。
「飲むかい?」
「……ありがとうございます」
リュミリアは差し出されたグラスを受け取り、少しずつ口に含む。夜会の音楽も遠く、静けさが部屋に落ちる。その静寂を破ったのはリュミリアだった。
「……ライアン様」
「何?」
「先ほどの言葉……申し訳ありません」
「何の話かな?」
穏やかに何もなかったと言わんばかりのライアンの優しさに、リュミリアは、そういう優しいこともするのだなと思いながら苦笑する。けれど、なかったことにするのはリュミリアの流儀ではない。
「……先ほどの言葉は言い過ぎですし、八つ当たりです」
ライアンは、あくまで謝罪した頑固なリュミリアに苦笑する。
「気にしていないよ」
「ですが……」
「君が疲れていたことも、何か追い詰められていることも分かっている。それを責めるほど狭量ではないつもりだよ」
その言葉に、リュミリアは少しだけ目を伏せた。リュミリアはライアンが嫌いだった。それは、今世の自分を疑われた嫌悪感に加えて、前世の罪と、罰のような終わりを突きつけられるからだ。
(あぁ、これも八つ当たりだったのね……)
疑われることに、まだ不快感はある。けれど、嫌いと言う感情が、緩やかに解けていくような感覚があった。
「ところで……君が作っているものについて、少し聞いてもいいかな?」
「なせ、それを?」
「君の様子が、おかしいから、レイラから聞き出してはいたんだ」
それでも、こうして倒れるまでは猶予をくれていたのかと、リュミリアは口を開く。
「ええ……少し強力な守護の魔術具を作ろうと思っています」
「具体的にはどんな?」
「……身につけた人を、毒や攻撃から守るためのもので繰り返し作動するものです」
「繰り返しの作動に、毒までか……それは手間がかかるだろうね」
ふむとライアンも考え込む。
「……繰り返しの回数を決めてみたらどうだろう?どうせ何度か使えば魔力の補給は必要になる。……後は、そうだな……俺なら毒の防御は別の魔術具に、解毒として入れる。一つの魔石に入れようとするから、余計に大変になってるんじゃないか?
「なるほど……確かに自分で反撃するまで保たせればいいのですものね。……それに解毒ですか」
そういえば彼の前世は魔術を生み出した国の王だったなと思い出す。全てから完璧に守ろうとするから難易度が上がっているのだと言うライアンの言葉は、すんなりとリュミリアの中に染み込んだ。複数回防御を繰り返す魔術具と、解毒の魔術具を分けてしまえばいいのだ。
「何か思いついたみたいだね?」
「ええ、おかげさまで! これで完成するかもしれません」
「そう。なら、よかった」
「えぇ!」
リュミリアの胸に、久しぶりに明るいものが灯った。これなら、今度こそノワールを守れるかもしれない。
「ありがとうございます、ライアン様」
「私は少し口を出しただけだよ。作るのは君だ」
「えぇ。それでも、ですわ」
リュミリアは思わず柔らかく笑った。その笑顔を見て、ライアンもわずかに目元を緩める。
不思議だった……いつもの夜会とは違う。婚約者として人前に並んで仮面を付ける必要もなく、互いに演じる必要もない。
ただ、静かな部屋で穏やかに話をしている。
そんな時間が、思いのほか心地よかった。もっと早くに、こうすれば良かったとすら思った。
だからだろう。ふと、リュミリアは気になっていたことを尋ねることにした。
「……ライアン様」
「何?」
「以前から、少し気になっていたことがありますの」
「……何かな?」
少し固くなった声に言葉に、リュミリアは少し迷った。けれど、今しか聞けないように思えて、口を開く。
「……レイラ様のことですわ」
ライアンの表情が僅かに硬くなった。
その反応に、リュミリアは確信する。
あの夜、レイラが「ライアン様」と呼ぶことを躊躇したとき、彼が見せた、あの寂しそうな顔……あれは偶然ではなかった。
ライアンが観念したように目を伏せた。
「君には……分かっていたのかい?」
「……私には、ライアン様がレイラ様を大切に思っていらっしゃるように見えました」
長い沈黙が落ちた。
やがてライアンが、ぽつりと呟く。
「……好きだよ」
あまりにも素直な言葉だった。リュミリアを見る目には苦悩が揺らいでいた。
「俺はレイラが好きだ……でも、前世の俺が俺を責める」
リュミリアは黙って彼を見る。
「前の人生で、俺はライラを愛し誓った。何度生まれ変わっても、必ず彼女を見つけると。だから、今の俺はレイラを愛するわけにはいかない」
その声は、苦しそうで……彼もまた前世に縛られているのだとリュミリアは思った。
「レイラを見ていると、幸せにしたいと思う。彼女と一緒にいたいと思う。……けれど、そのたびにライラを思い出す。それは彼女に対する裏切りだと前世の俺が言う」
リュミリアの胸が、きゅっと痛んだ。それは前世の記憶があるリュミリアだからこそ、想像がつく痛みだった。
だからこそ。
「……ライアン様」
「何?」
「一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
リュミリアは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「私たちは、今を生きているのではありませんか?」
ライアンが顔を上げる。
「前世で交わした約束が、大切ではないとは言いません。きっとライラを愛した気持ちも、本物だったのでしょう」
それは、ライラを知るリュミリアだからこそ言える言葉だった。
「けれど……今のライアン様が誰を好きになるのかまで、前世の約束で決めてもらう必要はないのではありませんか? 前世のライアン様と、今のライアン様は、同じ魂を持っていたとしても……今は違う人生を歩いているのですもの」
リュミリアは小さく微笑んだ。ライアンは、何も言わなかった。ただ、じっとリュミリアを見つめていた。
「そうだね……俺は俺で、君はリュミリアだ。前世に縛られる必要はない」
「えぇ。……ライラを見つけて謝罪と贖罪を、とは思ってますけれど。……それに、ライアン様の場合は話し合えば——そこに光は、あるかもしれませんわ」
リュミリアは長椅子から立ち上がる。
「……では、私は席を外しますわ」
「リュミリア?」
「今のライアン様のお気持ちを、レイラ様にも伝えるべきだと思います。……ですが、それからどうするかを決めるのは、お二人です」
「……」
「前世の約束も、今世の想いも。どちらを選ぶのかは、ライアン様たちが決めればいいことです」
ライアンとレイラの未来が開けるといいと思いながら、リュミリアは休憩室を後にした。




