第3話 放送室の謎の声事件
その日の依頼は、始業前の廊下に舞い込んだ。
和奏が教室に向かう途中、放送委員の男子生徒に呼び止められたのだ。
「特事研の人だよね? ちょっと相談があって」
「はい、一応」
「一応、というのが気になるけど……。放送室で、変な声がするんだ」
「変な声?」
「放課後、誰もいないはずの時間に、スピーカーから、ぼそぼそ喋る声が聞こえるらしくて。掃除のおばさんが、一昨日も聞いたって」
放課後、部室に集まった六人に、和奏はその話を伝えた。
美空はホワイトボードに、丸を三つ描いた。
一つ目に「霊」。
二つ目に「スパイ」。
三つ目に「購買部」。
「また購買部?」
「すべての謎は購買部につながっている」
「その理論、いい加減やめて」
彩羽が腕を組んで、わずかに後ずさった。
「放送室で声、というのは、ちょっと嫌な予感がするな」
「彩羽、また距離とってる」
「べ、別に。放送室は機材が多くて、混雑してるから離れてるだけだ」
「まだ入ってすらいないよ」
信吾は窓際で前髪を払った。
「スパイの線はあり得る。学校の情報を、外部に漏らしている何者かがいるのかもしれない」
「学校にどんな情報があるの」
「たとえば、来週の小テストの範囲とか」
「それ、先生に聞けば普通に教えてくれるやつだ」
大地はソファでせんべいをかじりながら聞いていた。
「声って、どんな声?」
「掃除のおばさんいわく、男の人の声で、何かをぶつぶつ繰り返してるみたい」
「怖い話みたいだね」
「大地まで乗らないで」
優助が控えめに手を挙げた。
「放送室の鍵は、放送委員の先生と、委員長が持っているはずです。夜、誰かが勝手に入るのは難しいと思います」
「じゃあ、放送委員の誰かが関係してるってこと?」
「分かりませんが、可能性としては」
まともな意見だった。
この部で最初にまともな意見が出るのは、やはり優助だ。
◇ ◇ ◇
放課後、六人は放送室に向かった。
三階の端、少し奥まった場所にある小さな部屋だ。
中にはマイクや調整卓、古いカセットデッキが並んでいる。壁には、歴代放送委員の集合写真が貼られていた。
彩羽はドアの前で立ち止まった。
「べ、別に怖くはないが、機材に詳しくないから、和奏が先に入ってくれ」
「機材、関係なくない?」
中に入ると、ごく普通の放送室だった。
窓際にマイクが一本立っており、その横に、古びたノートが置かれていた。
美空がノートを手に取る。
「原稿だ」
「何の原稿?」
「読んでみるね」
美空はページをめくり、真顔で読み上げた。
「『次は、部活対抗リレーの結果を発表します』……日付は先週のものだ」
「普通の放送原稿だね」
「ここからが本題」
美空は次のページを開いた。
そこには、誰かの字で、何度も書き直された跡のある文章があった。
『みなさん、応援してくれてありがとうございました』
『次の大会でも、精一杯がんばります』
『応援、本当に励みになりました』
同じような言葉が、少しずつ表現を変えて、何度も練習するように書かれている。
「これ、何かのスピーチの練習かな」
和奏がつぶやくと、優助が窓際のカセットデッキに目を留めた。
「あの、これ、録音ボタンが半分押し込まれています」
「壊れてる?」
「いえ、たぶん、押し切れていないだけです。軽く触れば、鳴るかもしれません」
優助がそっとボタンを押し込むと、デッキの中からノイズ混じりの声が流れ始めた。
『……みなさん、応援してくれて、ありがとう、ございました』
たどたどしい、緊張した声だった。
しばらく無言が流れたあと、同じ文章が、また最初から繰り返される。
『みなさん、応援してくれて……あ、違う、もう一回』
彩羽が耳をすませた。
「この声、誰かに似てる気がするな」
「誰?」
「分からないけど、聞き覚えがある」
信吾が腕を組んだ。
「これは、放送室に取り憑いた霊が、過去の未練を語っているのかもしれない」
「未練にしては、内容が現代的すぎるよ」
「録音技術を習得した霊という可能性も――」
「それ以上、話を広げないで」
◇ ◇ ◇
六人は放送委員の顧問に確認することにした。
顧問の先生は、心当たりがあるようだった。
「ああ、それ、たぶん陸上部の田島くんだと思うわ」
「田島くん?」
「今度の市大会で、選手宣誓をすることになったの。人前で話すのがすごく苦手な子でね、練習させてほしいって、放課後に放送室を貸してほしいと言われて」
「じゃあ、鍵は?」
「委員長には話をつけてあったの。あなたたちが聞いた声は、たぶん、田島くんが一人で練習していたものだと思うわ」
「なるほど、それなら怖い話じゃなかったね」
和奏がほっとした様子で言うと、彩羽も肩の力を抜いた。
「そ、そうか。人間か。よかった」
「さっきまでの怖がり方はどこいったの」
「べ、別に怖がってなどいない」
「毎回そのやり取りしてる気がする」
その日の放課後、六人は放送室の前で田島本人に出くわした。
背が高く、真面目そうな三年生だった。放送室に入ろうとして、部員たちの視線に気づき、顔を赤くする。
「あ、あの、もしかして、僕のこと、噂になってました?」
「幽霊だと思われてたよ」
大地が正直に答えた。
「霊……ですか」
田島は少し傷ついた顔をした。
「一人で練習してるところ、誰かに聞かれるのが恥ずかしくて、放課後の遅い時間を選んでたんです。まさか、そんな噂になってるとは」
「本番、いつなんですか」
和奏が聞くと、田島はうつむいた。
「来週の土曜日です。正直、緊張して、うまく言えるか分からなくて」
「それで何回も録音して、聞き直してたんですね」
「はい。自分の声を聞くの、恥ずかしいですけど、それでも直したくて」
美空はその話を聞き、真顔でうなずいた。
「これは、決意のメッセージだよ」
「今回は、まともな解釈だね」
「幽霊よりも、練習中の先輩の声のほうが、よっぽど怖くない」
彩羽が言うと、田島は苦笑いした。
「怖がらせてすみません」
「いや、こっちこそ、勝手に幽霊扱いして悪かった」
◇ ◇ ◇
部室に戻る道すがら、大地が言った。
「選手宣誓、みんなで見に行く?」
「行こう」
和奏がうなずくと、彩羽も同意した。
「応援くらいはできるだろ」
信吾は前髪を払い、決め顔を作った。
「俺の存在があれば、田島先輩の緊張も和らぐはずだ」
「関係ないと思う」
優助が控えめに言った。
「あの、田島先輩、たぶん一人でも大丈夫だと思います」
「一番現実的な意見、いつも優助から出るね」
部室に戻ると、美空がホワイトボードに大きく書いた。
『放送室の謎の声事件――解決』
その下に、少し小さく付け加える。
『犯人・田島先輩。動機・緊張』
「動機、鳥のときも似たような書き方だったね」
和奏が言うと、美空は満足そうにうなずいた。
「動機はいつも、優しいものだよ」
「その締め方、地味に好きかも」
翌週の土曜日、六人は市の陸上大会に足を運んだ。
選手宣誓の順番になり、田島がゆっくりとマイクの前に立つ。
声はまだ少し震えていたが、最後まで、はっきりと言い切った。
スタンドの隅で、彩羽が小さく拍手をした。
「言えたな」
「うん」
和奏はそう答えながら、放送室で聞いた、たどたどしい練習の声を思い出していた。
あの繰り返しがあったからこその、今の声だったのだろう。
今日の放課後も、事件は笑いながらやってくる。
そして今回は、笑いよりも少しだけ、あたたかい気持ちが残った。




