第26話 マラソン大会、消えたゼッケン事件
一月も半ばを過ぎ、体育の授業では、恒例の校内マラソン大会に向けた練習が始まっていた。
「マラソン、憂鬱だね」
和奏が言うと、彩羽が、少し呆れたように笑った。
「和奏、体力あるほうじゃないもんな」
「彩羽は、余裕そうだね」
「まあ、これくらいは」
信吾は、前髪を払いながら、意気込んでいた。
「俺は、上位入賞を狙う」
「毎年、言ってる気がする」
大地は、少し不安そうな顔をしていた。
「ぼく、走るの、苦手」
「大地は、完走目標で十分だよ」
美空は、マラソンコースの地図を眺めながら、真剣な顔をしていた。
「このコース、旧校舎の裏を通るんだね。何か、七不思議のヒントがあるかもしれない」
「マラソン中に、七不思議の調査、しないでね」
優助は、静かにゼッケンを確認していた。
「あの、みんな、ゼッケン、ちゃんと配られましたか」
◇ ◇ ◇
大会前日、体育委員から、部室に依頼が舞い込んだ。
「ゼッケンが、一枚、なくなってるんです!」
「またなくなる系だね」
和奏が思わずつぶやくと、体育委員はうなずいた。
「明日のマラソン大会用に、クラスごとに配布したはずのゼッケンが、一枚だけ、見当たらなくて」
「誰の分?」
「二年三組の、田口くんの分です」
美空がホワイトボードの前で、丸を三つ描いた。
「霊」「マラソンの神様」「購買部」。
「今回、マラソンの神様、初めて出た仮説だね」
「季節の行事には、それにふさわしい神様がいるものだよ」
「その理論、毎回、都合よく増えていくよね」
彩羽が腕を組んだ。
「ゼッケンが一枚だけ、っていうのは、また、狙われた感じがするな」
「彩羽、今回、冷静に分析してるね」
信吾は前髪を払った。
「これは、田口という選手を、恐れる何者かの妨害工作かもしれない」
「田口くん、そんなに速いの?」
「分からないが、可能性としては、ゼロじゃない」
「その根拠のなさ、いつも通りだね」
大地はソファでせんべいをかじりながら聞いていた。
「ゼッケン、なくても、走れないのかな」
「大会規定で、ゼッケンなしは、参加できないみたいだよ」
優助が控えめに言った。
「あの、田口くん本人には、話、聞きましたか」
「それが、今日、休んでいて」
「休んでる?」
◇ ◇ ◇
六人は、田口のクラスメイトに話を聞くことにした。
「田口くん、最近、どんな様子でしたか」
和奏が聞くと、クラスメイトは、少し考えてから答えた。
「そういえば、マラソン大会の話になると、いつも、あんまり乗り気じゃなさそうでした」
「なんでだろう」
「田口くん、実は、去年のマラソン大会で、途中で、お腹が痛くなって、リタイアしたことがあって。それ以来、なんとなく、走ることに、苦手意識があるみたいです」
「なるほど」
美空が、目を輝かせた。
「これは、心理的な抵抗が生んだ、無意識の逃避行動かもしれない」
「今回、真面目な分析だね」
「ゼッケンを、自分で隠してしまった、という可能性がある」
「その発想、意外と、当たってそうな気がする」
◇ ◇ ◇
六人は、田口の家を訪ねることにした。
インターホンを鳴らすと、少し戸惑った様子の田口が、玄関先に出てきた。
「あの、ゼッケンのこと、聞きたくて」
和奏が言うと、田口は、しばらく黙り込んだあと、小さくうなずいた。
「すみません。僕が、隠しました」
◇ ◇ ◇
「なんで、隠したの?」
和奏が聞くと、田口は、うつむいた。
「去年、マラソン大会で、リタイアしたこと、クラスのみんなに見られて。今年も、また、同じことになったら、恥ずかしいと思って」
「それで、参加できないように、ゼッケンを隠したんだね」
「はい。でも、休んでる間、なんだか、罪悪感がすごくて。今日も、学校、休んじゃいました」
彩羽が、優しい声で言った。
「体調不良、誰にでもあることだろ。恥ずかしがることじゃないと思うぞ」
「でも、周りは、そう見てくれないかもしれません」
優助が、静かに口を開いた。
「あの、僕も、走るの、あまり得意じゃないです。マラソン大会、正直、憂鬱です」
「優助くんも?」
「はい。でも、完走できなくても、途中で無理せず休んでも、それは、悪いことじゃないと思います」
「そう、でしょうか」
美空が、力強く言った。
「マラソン大会は、順位を競うためだけの行事じゃないよ。自分のペースで、最後まで向き合うことが、大事なんだと思う」
「今回、まともなこと言うね」
「たまには、こういう発言もするよ」
◇ ◇ ◇
田口は、少し考えたあと、顔を上げた。
「明日、出てみようと思います。もし、途中で、また体調悪くなったら、無理せず、休みます」
「うん、それでいいと思うよ」
彩羽が、田口の肩を軽く叩いた。
「一緒に、頑張ろう」
「彩羽さんたちと、一緒に、ですか」
「別に、一緒には走らないけどな。応援はする」
「その言い方、地味に励みになります」
◇ ◇ ◇
翌日、マラソン大会が開催された。
田口は、緊張した面持ちでスタートラインに立ち、他の生徒たちと一緒に、コースへ走り出していった。
六人は、コースの途中、旧校舎の裏あたりで、応援していた。
「田口くん、来た!」
大地が声を上げると、田口が、少し苦しそうな表情で、それでも足を止めずに走り抜けていった。
「頑張れ!」
和奏たちの声援に、田口は、小さく手を上げて応えた。
◇ ◇ ◇
結果、田口は、順位こそ真ん中あたりだったが、最後まで、無事に完走することができた。
ゴール後、息を切らしながら、田口は、六人のもとにやってきた。
「完走、できました」
「おめでとう」
和奏が言うと、田口は、少し涙目になりながら、微笑んだ。
「去年のこと、ずっと気にしてたんですけど、今年、ちゃんと走れて、良かったです」
◇ ◇ ◇
部室に戻り、美空がホワイトボードに大きく書いた。
『マラソン大会、消えたゼッケン事件――解決』
その下に、少し小さく付け加える。
『犯人・田口くん。動機・去年のリタイアへの不安』
「動機、今回も、優しいものだね」
和奏が言うと、美空は満足そうにうなずいた。
「マラソンの神様説、今回も使わなかったよ」
「毎回、候補には入れるのにね」
彩羽は、少し微笑んだ。
「不安に負けずに、ちゃんと走りきったの、立派だったな」
「彩羽、今回、しみじみしてるね」
「べ、別に、普通の感想だ」
信吾は前髪を払い、決め顔を作った。
「俺の勘、今回も、当たっていたな」
「田口くんを恐れる何者か、っていう予想は、外れてたと思うけど」
「心理的な要因が絡んでいた、という意味では、当たっている」
「その解釈、毎回、無理やりだよね」
大地はせんべいの袋を開けながら言った。
「ぼくも、明日、無理せず、頑張ろうかな」
「大地も、走るの苦手だもんね」
優助が、静かに言った。
「あの、僕も、明日は、無理せず、自分のペースで走ろうと思います」
「うん、それでいいと思うよ」
窓の外、冬の澄んだ空気の中、マラソンコースには、まだ、練習を続ける生徒たちの姿があった。
今日の放課後も、事件は笑いながらやってくる。
そして今回は、不安と向き合う勇気が、事件の正体だった。




