第12話 体育祭本番の消えたバトン事件
九月に入り、ようやく暑さが和らいできたころ、体育祭当日を迎えた。
校庭には、色とりどりの応援旗と、生徒たちの歓声が広がっている。
和奏たちは、特事研として、救護テントの近くで待機していた。
「特に依頼はないみたいだね」
和奏が言うと、美空が残念そうな顔をした。
「せっかくの体育祭なのに、事件がないのは寂しいね」
「事件がないのが一番いいんだよ」
彩羽は、日差しをまぶしそうに見上げた。
「今日は、俺たちも普通に楽しめばいいんじゃないか」
「彩羽、今日は素直だね」
信吾は、腕章代わりのゼッケンを見せながら、決め顔を作った。
「俺は、リレーの選手にも選ばれている。今日は探偵ではなく、走者として活躍する」
「その意気込み、応援するよ」
大地は、応援席に置いた大量のおにぎりを見せながら言った。
「差し入れ、たくさん作ってきたよ」
「今日も食べる気満々だね」
優助は、いつも通り静かに、プログラムを確認していた。
「あの、最終種目のクラス対抗リレー、うちのクラスも出場します」
「優助も走るの?」
「はい。一応」
「一応、って言うわりに、いつも通り落ち着いてるね」
◇ ◇ ◇
午前の種目が滞りなく進み、昼休みに入ったころ、突然、放送で呼び出しがあった。
「特異事象研究部のみなさん、至急、本部テントまでお越しください」
「呼ばれた」
和奏たちが本部テントに向かうと、そこには、慌てた様子の体育祭実行委員長と、すでに到着していたがくほの五人がいた。
「あら、また会いましたね」
奥津が、涼しげな笑みを浮かべて言った。
「今回は、何の用事?」
和奏が聞くと、実行委員長が焦った様子で説明した。
「最終種目のクラス対抗リレーで使うバトンが、一本、なくなってるんです!」
「バトンが?」
「用具係が、控えテントに保管していたはずなのに、さっき確認したら、消えていて」
花村愛理が、びしっと前に出た。
「これは、由々しき事態です! 誰かが意図的に大会を妨害しようとしている可能性があります!」
「愛理、決めつけるのは早いよ」
奥津がやんわりたしなめる。
「でも、リーダー、体育祭の進行を乱す行為は、断じて許せません!」
「気持ちは分かるけど、まずは調査からね」
美空がホワイトボード代わりに、持ってきたメモ帳を広げた。
「霊」「体育祭を妨害する陰謀」「購買部」。
「今回も、その三択、変わらないんだ」
才川宏美が、芝居がかった仕草で腕を組んだ。
「ふふ、体育祭の裏に潜む陰謀か。興味深いね」
「才川さんまで、そういう発想なんだ」
茅野厚は、足元にまとわりつく黒猫を撫でながら、無表情で言った。
「別に、興味ない」
「毎回そう言うわりに、ちゃんとついてきてるよね」
宮本瑠実は、お腹を押さえながら言った。
「バトンより、お昼ご飯のほうが心配」
「瑠実、こんなときも変わらないね」
◇ ◇ ◇
六人と五人、合わせて十一人で、控えテントの周辺を調べることになった。
彩羽がテントの中を覗き込む。
「他のバトンは、ちゃんとある。一本だけ、なくなってるんだな」
「そうみたいだね」
優助が、テントの隅を静かに調べていた。
「あの、ここに、小さな穴があります」
テントの布の裾に、何かが引っかいたような、小さな穴が開いていた。
「動物の仕業かもしれない」
美空が目を輝かせた。
「これは、動物霊の――」
「動物霊はいないと思う」
和奏がすかさず遮った。
花村愛理が、穴を睨みつけた。
「これは、器物損壊です! 犯人を見つけたら、厳重注意します!」
「動物相手に注意はできないと思うよ」
奥津が、涼しげに言った。
「愛理、少し落ち着いて。まずは、穴の先を調べましょう」
穴の外側には、細い引きずり跡が続いていた。
跡をたどると、体育祭の応援席として使われている、鉄骨の観覧席の下にたどり着いた。
薄暗い観覧席の下を覗き込むと、そこに、白いバトンが転がっていた。
そして、その近くに、見覚えのある黒猫が丸くなっていた。
「あっ、その猫」
和奏が言うと、茅野が驚いた顔をした。
「こいつ、ついてきてたのか」
「茅野くんの猫だったの?」
「うちの猫じゃない。でも、最近、よく僕についてくるだけの野良猫」
黒猫は、バトンにじゃれつくように、前足で転がしていた。
「バトンで遊んでたんだ」
大地が、微笑ましそうに言った。
「かわいいね」
「かわいいで済ませていいことなのか」
彩羽が呆れたように言うと、猫は、まるで悪びれもせず、バトンをくわえて、さらに奥へ運ぼうとした。
「あっ、逃げる」
優助が、そっと猫に近づき、手を差し出した。
「大丈夫だよ。ちょっとだけ、貸してね」
猫は、優助の静かな気配に警戒することなく、あっさりバトンを離した。
「優助、すごい」
「動物にも、気配、消せるみたいです」
「それ、動物にはあんまり通用しない気配のはずなのに」
◇ ◇ ◇
バトンを回収し、控えテントに戻ると、花村愛理が、まだ納得のいかない顔をしていた。
「猫がテントに侵入できた、ということは、テントの管理体制に問題があったということです! 実行委員会に、改善を求めます!」
「愛理、それは正論だけど、今すぐは、リレーが優先じゃないかしら」
奥津が、やんわりと止めた。
「た、確かに、そうですね」
愛理は、我に返った様子で、実行委員長にバトンを手渡した。
「大変失礼しました。バトンは、無事に見つかりました」
「ありがとうございます、皆さん」
実行委員長は、ほっとした様子で頭を下げた。
奥津は、和奏たちに向き直り、優雅に微笑んだ。
「今回は、共同作業になりましたね」
「そうだね」
「悪くない気分です。でも、次にお会いするときは、また、ライバルとして」
「望むところだよ」
和奏が答えると、奥津はくすりと笑い、五人を連れて去っていった。
◇ ◇ ◇
午後の最終種目、クラス対抗リレーが始まった。
信吾は、第三走者として、バトンを受け取ると、真剣な顔で走り出した。
「見ろ、俺の走りを!」
その声とは裏腹に、途中でコースの白線を踏み外しかけ、体勢を崩しながらも、なんとか次の走者にバトンを渡した。
「今の、カッコよかった?」
ゴール後、信吾が息を切らしながら聞くと、彩羽が笑いながら答えた。
「途中で転びそうになってたけど、まあ、頑張ってたな」
「褒めてるのか、けなしてるのか、分からない」
優助も、自分の走順で、静かに、でも着実に走り切っていた。
「優助、意外と足速いね」
和奏が言うと、優助は少し照れたように答えた。
「気配は消せますが、足は普通です」
「その返し、面白いよ」
◇ ◇ ◇
体育祭が終わり、部室に戻った六人は、疲れた様子でソファに座り込んだ。
美空が、メモ帳に大きく書いた。
『体育祭本番の消えたバトン事件――解決』
その下に、少し小さく付け加える。
『犯人・野良猫。共犯・茅野くんの気配』
「共犯にされる茅野くん、かわいそうだね」
和奏が笑うと、美空は真顔でうなずいた。
「猫を手なずけている以上、共犯性は否めないよ」
「その理論、強引すぎる」
彩羽は、少し考えるような顔をした。
「がくほの連中、思ったより、悪くなかったな」
「花村さん、最初はちょっと怖かったけどね」
「あれは、正義感が強すぎるだけだと思う。悪い人には見えなかった」
信吾は前髪を払い、決め顔を作った。
「ライバルと共闘するのも、悪くない経験だったな」
「今日、何回も転びそうになってたけどね」
大地は、おにぎりを頬張りながら言った。
「がくほの人たちにも、おにぎり、あげればよかったね」
「今度会ったときに、あげたら?」
優助が、静かに窓の外を見ながら言った。
「あの、才川さんと、また話してみたいです」
「気が合いそうだもんね、その二人」
窓の外、夕方の校庭には、体育祭の後片付けをする生徒たちの姿があった。
秋の風が、少しずつ涼しさを運んでくる。
今日の放課後も、事件は笑いながらやってくる。
そして今回は、ライバルとの距離も、少しだけ近づいた一日だった。




