第10話 プールの消えた浮き輪事件
肝試しの興奮も冷めやらない、夏休み中盤のことだった。
依頼人は、水泳部のマネージャーだった。
「浮き輪が、消えるんです」
「またなくなる系?」
和奏が思わず言うと、マネージャーは真剣な顔でうなずいた。
「夏休み中、プールを一般開放してる時間帯があるんですけど、朝、プールサイドの倉庫を開けると、浮き輪が一つ減ってるんです。もう三日連続で」
美空がホワイトボードの前で、丸を三つ描いた。
「霊」「河童」「購買部」。
「今回は河童なんだ」
「プールだからね」
「その発想の切り替え、地味に器用だよね」
彩羽が腕を組んだ。
「プールの倉庫か。夜のプールって、なんとなく薄気味悪い感じがするな」
「彩羽、また来た」
「べ、別に。単に、水の音が反響する場所は、落ち着かないだけだ」
信吾は前髪を払った。
「浮き輪を盗む理由か。転売か、あるいは、何かの記念品か」
「浮き輪の転売、想像つかないよ」
「世の中には、色んな需要がある」
「その理論、毎回強引だよね」
大地はソファでせんべいをかじりながら聞いていた。
「浮き輪、食べられないと思うけど」
「食べる発想、今回もいらないよ」
優助が控えめに手を挙げた。
「あの、プールの一般開放は、何時から何時までですか」
「午前九時から、正午までです」
マネージャーが答えると、優助はうなずいた。
「その時間以外は、誰も入れないようになっているはずですよね」
「はい。夜間は、鍵をかけて、フェンスも閉めています」
「じゃあ、鍵かフェンスに、何か問題があるのかもしれません」
「まともな指摘、いつも助かるよ」
◇ ◇ ◇
六人は、夕方のプールを確認しに行った。
水面は、夕日を受けて、オレンジ色に揺れている。
彩羽は、プールサイドで少し距離をとって立っていた。
「べ、別に怖くはないが、水面が揺れてるのを見ると、なんとなく落ち着かない」
「それ、大体怖がってるってことだよ」
美空は倉庫の周りを調べていた。
「鍵、壊れてない」
「じゃあ、鍵を使える人が犯人ってこと?」
「あるいは、鍵を使わない侵入経路があるのかもしれない」
プールサイドをぐるりと見て回ると、フェンスの一角に、少し隙間ができている場所を見つけた。
大地がしゃがみ込んで確認する。
「ここ、下のほうが浮いてるね」
フェンスの下部が、地面との間に、子どもの体が通り抜けられそうな隙間を作っていた。
「これ、いつからあるの?」
和奏が聞くと、マネージャーが困った顔をした。
「気づきませんでした……。古いフェンスなので、劣化してるのかもしれません」
優助が、フェンスの隙間の近くの地面を見つめた。
「あの、ここに、小さな足跡があります」
しゃがんで確認すると、大人のものよりずっと小さな、運動靴の跡が続いていた。
足跡は、フェンスの外、住宅街の方向へと続いている。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、六人は交代でプールの周辺を見張ることにした。
日が沈みかけたころ、フェンスの隙間から、小さな人影が滑り込んでくるのが見えた。
「あっ」
和奏が声を上げると、人影は驚いて動きを止めた。
振り返ったのは、小学校低学年くらいの男の子だった。
手には、浮き輪を一つ抱えている。
「ご、ごめんなさい」
男の子は、今にも泣きそうな顔で謝った。
彩羽が、優しい声で近づいた。
「怖がらなくて大丈夫だぞ。ちょっと、話を聞かせてくれるか」
◇ ◇ ◇
男の子は、近所に住む小学二年生で、名前は健太と名乗った。
「うちの近くの公園、プールがなくなっちゃったんです」
「なくなった?」
「工事してて、今年はずっと使えないんです。それで、水遊びできるところがなくて」
健太は、浮き輪を抱えたまま、うつむいた。
「お母さんが仕事で忙しくて、大きいプールに連れて行ってもらえなくて。でも、暑くて、どうしても泳ぎたくて」
「それで、夜、こっそり忍び込んでたの?」
「はい……。プールの水、昼間は開放されてるの知ってたけど、僕、まだ泳ぎが下手で、人がいっぱいいるところで練習するの、恥ずかしくて」
「浮き輪は?」
「倉庫の鍵、開いてるときがあって。少しだけ借りて、朝、こっそり戻してました」
大地が、少し困った顔で言った。
「戻してたのに、消えたって言われてたんだね」
「戻す場所、間違えてたのかもしれません。ごめんなさい」
健太は、深く頭を下げた。
和奏は、しゃがんで、健太と目線を合わせた。
「勝手に入るのは、危ないから、良くないよ。夜のプール、一人で泳ぐの、すごく危険だから」
「分かってます……。でも、他に、泳げる場所がなくて」
その言葉に、マネージャーが優しく言った。
「一般開放の時間、もし恥ずかしいなら、人が少ない時間帯を教えてあげようか」
「そんなのあるんですか」
「開放したばかりの時間は、まだ人が少ないの。九時ちょうどくらいなら」
健太の顔が、少し明るくなった。
「行ってもいいんですか」
「もちろん。ちゃんと、大人がいる時間に来てね」
彩羽が、健太の頭に、そっと手を置いた。
「今度から、ちゃんと昼間に来い。夜のプールは、俺たちだって、ちょっと怖いんだからな」
「彩羽さんも、怖いんですか」
「べ、別に、怖くはないが、危ないから、って意味だ」
「今、めちゃくちゃ言い直したね」
◇ ◇ ◇
翌朝、健太は、開放したばかりのプールに、母親と一緒にやってきた。
まだ人が少ない水面で、健太は浮き輪につかまりながら、少しずつバタ足の練習をしていた。
部室に戻り、美空がホワイトボードに大きく書いた。
『プールの消えた浮き輪事件――解決』
その下に、少し小さく付け加える。
『犯人・近所の男の子。動機・泳ぎたい気持ち』
「動機、また優しいものだね」
和奏が言うと、美空は満足そうにうなずいた。
「河童説は、今回も使わなかったよ」
「毎回、律儀に候補には出すのにね」
彩羽は、少し照れくさそうに言った。
「あの子、練習、続けられるといいな」
「彩羽、優しいね」
「べ、別に、普通の感想だ」
信吾は前髪を払い、決め顔を作った。
「俺の勘では、最初から子どもの仕業だと分かっていた」
「転売とか記念品とか言ってたのに?」
「あれは仮説その一と、その二だ」
「その番号、毎回律儀すぎるよ」
大地はせんべいの袋を開けながら言った。
「今度、健太くんにお菓子、持っていってあげようかな」
「その発想、優しいのか、ただの口実か、微妙だね」
優助が、静かに窓の外を見ながら言った。
「あの、フェンスの修理、業者さんに頼んでおきました」
「いつの間に」
「マネージャーさんに、連絡先を聞いておいたので」
「地味に一番仕事してるの、優助だよね」
窓の外、夏の空は、まだ高く青かった。
セミの声が、遠くから響いてくる。
今日の放課後も、事件は笑いながらやってくる。
そして今回は、事件の向こうに、泳ぎたい気持ちだけがあった。




