17 陰
綺麗な男だと思った。
今までに見たことのない男。自分にも引けを取らない美しい男。
だが、どこか違和感があった。
昼下がりの午後。その日、アルベールは城下に散歩に行っていた。買った菓子を頬張り、道行く女性に手を振りながら、やがて裏道に入る。
――そこで、妙な人影を見た。
それが、その男だ。
妙だとは思ったのだ。最初から。
もしかして。
確信はない。だから確認しなければならない。
でも。
……もしかするかもしれない。
***
「ちょっと」
そう声をかけられて、エレノアはスッと椅子から立ち上がった。
……先輩。
侍女でもまあ、上の方の。
「どういうつもり? なんであなたが殿下たちと一緒にいるの」
庭園から少し離れた廊下。先輩から少し離れたところで、他の侍女たちがこちらの様子を伺っているのがわかる。
ああ。なるほど。
「答えて。なんであなたが殿下と?」
……殿下と?
エレノアは顔を歪ませた。なぜ、好きで殿下といるなどと勘違いされるのだろう。
自分は、アナスタシアの侍女だから傍にいるだけなのに。
「わたしがあの方たちと一緒にいるのは、殿下目当てだからではありません。わたしは、アナスタシア様の侍女です。……何か変でしょうか」
ぐっと、先輩侍女は唇を噛んだ。
嘘偽りない答えに、どうやら返す言葉をなくしたようだ。
「……わ、悪かったわ。疑ったりして」
疑ったりして、ということは、……まさか、この人。
「……殿下のことを?」
案の定、先輩侍女はポッと顔を赤らめた。
図星だったようだ。
「あ、あなたには関係ないことだわ。疑ってごめんなさい、それだけよ」
そう言い残すと、先輩侍女はその場から立ち去った。後に続いて隠れていた侍女らも、姿を消す。
「なんで、そんなこと」
どうして、自分が殿下を好いているなどと思ったのだろう。
……女って、なんでそんなこと、いちいち気にするんだろう。
不思議だ。
「あ、エレノアちゃんだ~」
能天気な聞き覚えのある声に、エレノアはハッとした。
「アハハ、そんな身構えないでよ」
「なんでしょうか」
アルベール・ロイゼルド。
この男は、苦手だ。
「んー、特に用はないんだけどー」
行動が全く読めない。
「じゃあ聞くけど。……――エレノアちゃんってさ、アナのこと好きでしょ」
「え? いきなりなんなんですか」
「まあ、そうだよねぇ。ごめんね、言い方変えるよ」
――エレノアちゃんは、アナを『女の子』としてみてるよね?
は。
なに、いってるの。
「あーっ、もしかしてあたりぃ? 前々から不思議ではあったんだよね、エレノアちゃん」
「いや、どういう意味?」
「あれ、わかりやすく言ったつもりなんだけどな。まあいいや」
――せいぜい、今の人生を楽しむといいよ。
ごくりと息を呑む。
「この前街で見たんだぁ。エレノアちゃんそっくりの――男のコ」
……。
ああ。
なるほど。
そういうことか。
「それは……弟のことですか?」
「え、弟?」
「双子の弟がいるんです。そっくりな」
にっこりと笑みを浮かべる。
……ばれないように、しなきゃ。
「……あっ、ああー」
納得したように、アルベールは頭をかく。
「あ、そうだったんだあ、弟か。うん、まあ、アナかわいいもんねえ。そりゃ女の子からも好かれるよ。ごめんね? 変なこと言って」
「いえ」
背を向ける。歩く。曲がる。ついてきていないことを確認する。部屋に走る。部屋に入る。鍵を頑丈に閉める。
「ああああああああああ――ッ」
叫んだ。喉がはち切れそうだった。
待って、待って? え、なになに、どういうこと?
「……ッ、まさか、ね」
そんなこと、あるはずない。
――あるはず、ない。
***
目を覚ました頃には、そこには誰もいなかった。時計を見ると、夕刻に近づいている。おそらく公務で忙しいのだろう、隣にいたはずのフレデリックの姿も見当たらなかった。
くーっと背伸びをすると、妙に首のあたりが痛かった。何かに支えられていたのだろうか。
「あー……痛」
とりあえず部屋に戻ろうと椅子から立ち上がると、足取りの重いまま庭園を出る。今夜の夕食は何かな、とふわふわした気分で歩いていたアナスタシアだったが、しかし、そこで妙な物を見た。
――エレノア?
まるで何かから逃げるように、急いで回廊を駆けていくその後ろ姿を、アナスタシアは何をしているのだろうと訝しんだ。あんなに急いだエレノアは見たことがない。雑用でも頼まれているのだろうか。
……助けてあげるか。
いつもこちらが迷惑をかけているのだ。少しは恩返ししなくては。
しかし、エレノアが駆け込んでいったのは、厨房でも誰かの部屋でもなかった。
――図書室?
大きな黒い扉の横には、はっきりとそう書かれていた。だがアナスタシアがいつも利用する図書室は、ここではない。フレデリックに勧められた図書室は、ここではない。
なら、ここは何?
図書室は、城にひとつしかないはずなのに。
あたりに人がいないことを確認してから、そっと扉を開ける。だが予想以上に重く、大きな音を立てないか心配になった。
開けると、どこか薬品くさい匂いがした。ドリゼラの香水よりもきつく、嫌な匂いだ。
そっと足を踏み入れる。ミシッという今にも崩れそうな音が、余計にアナスタシアを不安にさせる。
図書室と言うだけあって、中には本棚がいくつか並んでいて、本もそれなりに多い。だが普段は使われていないのか、遠目からでも本が埃を被っているのがわかる。少し薄汚れているように見えた。
その薄暗い雰囲気からわかるとおり、どう考えても、こんな場所に用があるとは思えない。果たして、エレノアはどこへ消えたのか。
「どうして、……はずなのに」
声が聞こえた。掠れていてよく聞き取れない。その声が下へ続く階段の先で聞こえると分かると、アナスタシアは手すりに身を傾けながら、音を立てないようゆっくりと降りていく。その間にも、ブツブツと誰かの呟く声が聞こえた。
足が地面につくと、途端に、大きく叫ぶような声が響いた。
「――どうして、バレないはずなのに!」
ごくりと、アナスタシアは息を呑む。
バレる?
一体、何が?
何のことだかわからなかった。しかし、それ以上に、その声の主がエレノアであることに驚いたのだ。
何を叫んでいるのだろう。
誰かと一緒にいるのだろうか。
「言ったはずだ。絶対にバレないと。バレるはずなどないと」
「そうか? おまえがバレるような態度を取ったのが悪いんじゃないのか」
どうやら、誰か相手がいるようだ。彼女一人ではないことに安心したはずなのに、何故か胸がもやもやしていた。
何だろう、この胸騒ぎ。
「ふざけるな。おまえがうろうろ歩き回るから、余計に怪しまれたんだ」
「何が? 双子のくせに兄貴気取りかよ」
ゴンッと鈍い音が響く。
「……誰かいんのか?」
「……いや、ここに来るまで誰も見なかった」
「ふうん。まあいいや。とにかく、オレは何も悪くねえかんな。そっちが気ぃ緩めすぎただけだ」
「よく言うよ。……これでクビになったら、全部おまえのせいだからな」
「それはねぇから安心しとくわ」
足音がする。こちらへ向かってくるようだ。そっと柱の裏に回る。ひとつの足音と、シュンッという何かに飛び移る音。ひとりは……窓から出て行ったのだろうか。
扉が閉まる音が響き、アナスタシアは一気に力を抜いた。その場に膝をつく。
……――え?
唖然とした。声が出なかった。両手で口元を覆う。
待って、え?
確かにあれはエレノアだった。それは確かなはずだ。
なのに、どうして。
――彼女の顔に、知らない人の声が重なるのだろう。
後ろ姿は、エレノアのはずなのに。
どうして。
『双子のくせに兄貴気取りかよ』
エレノアは……――誰?




