13 幼馴染み
もし乙女ゲームの「シンデレラ」のままこの物語を進めるとすれば、いずれ王子とエラは恋に落ちて、婚約者だったアナスタシアはあえなく振られる……きっと、そうなるはずだ。
だが、しかし。
どう考えても、今のままあの二人がゴールインなんて想像ができない。いや、できるわけがないのだ。
まず今の状況を察するに、未だ二人は顔を合わせていない。厳密に言えば舞踏会の際に顔を見るだけ見たが、特に深い意味もなく、互いの名前を知った。ただそれだけ。
しかし、本当にお互いのことを『名前だけ知っている関係』と考えているなら、いつか二人は再度顔を合わせることになるだろう。あのゲームを考えてみても転機はきっと訪れるだろうし、もし来なくても……自分でどうにかすればいい。
朝っぱらからそんなことを真剣な表情で考えていると、いきなり扉がバーンと大きな音を立てて開いた。
そんな豪快な開け方をして入ってくる人物を、アナスタシアはこの世でたった一人しか知らない。
「ごきげんよう、アナスタシア。今日もいい朝だね」
手にはたくさんの花束を抱え、見るからに脳内お花畑ですという雰囲気を醸し出す彼を、アナスタシアはあからさまに呆れた表情で眺めた。
数年ぶりに再会したはいいものの、すっかり女性に執着するようになってしまった幼馴染み。
「……朝からなんの用よ。騒々しい」
くうーっと寝台の上で伸びをすると、その瞬間、彼は持っていた薔薇の花束をいきなりあちこちに放り投げだした。まるで紙吹雪でも楽しむように、幸せそうな顔を浮かべて。
「はぁ~、ぼくって幸せ者だよねぇ。観賞用に花を分けてくれと女の子に頼んだら、快くほら。こーんなにくれるんだから!」
「あんただけにね。他の人は絶対こんなにもらわない」
それは彼の特権でもある。その綺麗な顔で女の子を一瞬で惚れさせる。実をいえばアナスタシアが長年欲しがっていた力でもある。
それを全部アルに持って行かれた。
ギリギリと歯ぎしりを立てていると、再度扉がバーンと音を立てる。持っていた本を取り落とし、びっくりしてそちらに目を向けてから、あっと思った。
言わずもがな、昨日の朝、自分を甘い夢から無理矢理起こして添い寝してきた不届き者の彼である。
「おはようアーニャ……って、この男誰だよ!?」
どうやら、部屋の隅で先ほど生けた薔薇を愛でるアルベールの存在に気づいたようで、彼から見れば見知らぬ男なのだから仕方あるまい。一方アルベールのほうは彼が誰だか承知なようで、薔薇を手に行儀よくお辞儀をしている。
「ちょっとアーニャ! あの男誰だよ、俺の許可なく部屋に連れ込んだの!?」
「連れ込んだも何も勝手に入ってきたんだってば。あ、ちょうどいいわ。そいつを連れて出て行ってくれる? わたしは朝読書で忙しいから」
王子を目の前にしても緊張した空気を感じさせないその余裕の表情に、アルベールは「さすがアナ」と感心した。幼い頃から彼女は誰に対しても顔色ひとつ変えず、常に余裕が感じられた。それはもちろんアルベールも同様、誰に対しても――そのほとんどが多くの女性に対して――真摯に向き合い、甘い言葉をかけて、そのお陰でどれほどの女性が新たに夢を見ることができただろうか。
「ひどいアーニャ! 俺なんか一日一度はアーニャに会わないと体力が持たないのに」
「あら。それじゃわたしより先に天に召されますわね殿下」
「そんなこと言わないの!」
明らかに動揺した様子を見せる王子殿下に、アナスタシアはクツクツと笑みを溢した。先ほどあれだけの暴言を吐いたが、しかしもちろん本心からではない。
――だからといって、彼を死なせたくないのは、決して自分のためというわけでもないのだ。
自分には、目的があるから。
「それで? 殿下は一体何のご用で?」
ふと気づいてそう問うと、フレデリックは瞬間にこっと笑顔を浮かべ、突然自分の手をギュッと掴んできた。再度、本が足の上から落ちる。
「デートに行こう」
ガチャンと、同時にアルベールが花瓶を取り落とした。
***
「避けてる?」
驚いた顔で聞いてくるアルベールを横目に見ながら、アナスタシアは亜麻色の髪の毛を丁寧に梳かしていた。
笑顔で懇願されたデートの申込を、アナスタシアは何故か拒否しなかった。
本当はこんなデート、断ってしまえばよかったのだろうが、もしかしたらこれを機に彼のことを嫌いになれるかも、彼が自分のことを嫌いになってくれるかもと思い、敢えて作戦に乗ることにした。
彼のほうはきっと、このデートで自分を落とそうとしに来るだろう。だけど自分は、敢えてそれを利用して逆に嫌いになる、嫌いにならせると、逆手にとる魂胆だ。
少し卑怯な手を使っても、彼のこれまでの行為に比べれば、軽いもの。
そういう、目的だから。
「避けてるっていうか、避けなきゃならないんだよ」
前世のことは……まだ、話せるほど勇気はない。しかしこれ以上彼に誤解されるのも面倒なので、取引のことだけは伝えておくことにした。他の皆なら誰でも知っている話だし、幼馴染みに話すだけなら何の問題も無いからだ。
しかし、アルベールは予想に反して微妙な表情を浮かべると、それは違うんじゃない、と手に顎を乗せて反論する。
「確かに何かしらの理由があるなら仕方ないかもしれないけど、殿下は多分、本気だよ。本気できみのことを好いてるし、アナも多分……殿下のこと、嫌いになれないと思う」
「なんでそう思うの」
珍しく反論されたことが気にくわないのか、アナスタシアは睨むように眉を吊り上げる。
しかしアルベールは答える気がないのだろう、ふふと笑って誤魔化した。いくら雰囲気が変わったとはいえ、アナスタシアをイライラさせることだけは変わらず健在なようである。
やっぱり、よくわからない。
昔からそうだ。
つかみ所がなくて、何を考えているのかさっぱりわからない。わかろうとしても、できない。そういう男だ。
「……むかつく」
彼に聞こえないくらいの小さな声で、忌々しげに呟いた。
結局何が言いたいのか、それがわからなくてイライラする。
小さな鏡の前で、ひたすら髪の毛を梳かしていると、そうだ、とアルベールが声を上げた。
「ていうか、アナも成長したね! まさか殿下に惚れられるなんて。どういう風の吹き回しかなぁ」
「あんた喧嘩売ってんの!?」
何を言うかと思えば、またも人を苛立たせる言葉である。百回くらいいったんじゃないかと思うくらい、何度もこのやりとりが続いている。だが未だにそれに慣れない自分自身もどうかと思うが、そこには敢えて触れない。
「わたしだっておかしいと思ってるよ。どこの恋愛小説に庶民の女を愛する男がいるっていうのああいるわねこの国の王子様だった」
一応あのお話も「恋愛」的な何かなのだし、どのお話でも必ずしも「王女様と王子様が結ばれる」なんてことはないのだから、まあありえなくもない。
だが、納得はいかない。まったく。これっぽっちも。
「あ、そういえばさ、きみの侍女のエレノアのことだけど」
「エレノア? エレノアがどうかした?」
「いや、あの……」
言葉を濁すアルベールは何か言いたげな顔をしたのち、ギュッと小さな唇を噛み締める。いつもははっきりものを言うのに、珍しくもごもごした様子を不審に思いながらも、アナスタシアは彼の次の言葉を待った。
そうしてようやく言葉を見つけたのか、またいつもの飄々とした顔で胸の内を告白する。
「――……かわいいなあと思って!」
「あら。今さら気づいたの? エレノアは昔からずっとかわいいよ?」
「というより、女の子はみんなね!」
「でもわたしのことを異性としてかわいいと思ったことはないんでしょ」
「うん、ない」
あっさり頷かれて肩を落とした。そんなにはっきり言ってくれなくてもよかったのに、こういう時だけ彼は正直だ。いや、バカ正直とでも言うべきか。それくらい言ってやらないと気が済まない。乙女心は複雑なのだ。
しかしそれと同時に、なぜそこまで女性にこだわるのだろうという疑問が浮かんで、呟いてみる。
「……あんたさ、好きな人いないの」
思ったことを素直に口にしてみると、アルベールはくっと動きを止め、飲みかけた紅茶入りのカップをソーサーに戻した。その所作が一体何を意味するのか、くいっと口の端を上げ彼の横に腰を下ろす。
「それはいるってことでいいの? そういうことよね?」
「さあアナ。きみは今から殿下とデートでしょ? 送ってあげるからいってらっしゃーい」
「はぐらかさずに答えなさいよ」
「はぐらかしてないよ? ぼくは一生女の子にちやほやされて生きてきたいの。誰か一人のものになるのは、まだちょっと早いかなあ」
「いやいやあのね? 普通に考えればあんたくらいの歳の子はみんな、恋人の一人や二人いるものだよ? なのにあんたは一生、このまま、童貞のまま人生を終える気!?」
「ぼくは二股かけないし、ずっと清らかなままでいーの」
いきなり童貞宣言かこんちくしょう。
どういう反応が返ってくるかと思えば、これである。いつもこれである。
またしても聞きたかったことをまんまとはぐらかされ、アナスタシアの精神も限界を迎えていた。軽く諦めの苦笑を漏らして櫛を机にゴンッと置くと、鏡の前でくるりと一回転してみた。
今日は成り行きでデートということになったので、ちょっとだけ気合いを入れてみる。
ただでさえ何の魅力もないので、いくら着飾ったところでまったく効果はないのだが、髪の毛には普段使いもしないオイルを塗り香りを付け、下半身にかけて広がる精緻なパニエのドレスでいかにも「デートに行きます」感を漂わせてみた。
綺麗な紺碧色のドレスは、フレデリックの瞳の色に合わせてのこと。
「……ま、だからってどうってこともないんだけど」
合わせてみたかったからそうした。ただそれだけ。
この服を選んだ時に、一体何を考えていたのかも忘れた。
忘れてよかった。
「わあ、アナがかわいい」
「死にたいの」
「褒めてるんだよ、素直に。昔はいつも怖い顔してたから、アナも変わったなあって」
「別に、変わってないよ」
多分自分が変われたのは、すべてあの子のおかげだ。
あの子がいたから、自分は無駄な人生を歩まずに済んだ。
恩返し。じゃないけど、もうすぐ、あの子を幸せにできる。
できる……はず。
「……笑って、アナ」
「え?」
随分と沈んだ顔をしていたのか、アルベールの表情も険しくなった。らしくない、と彼が呟けば、すっとソファから立ち上がる。
鏡の前で立ち尽くすアナスタシアに近づくと、ギュッと肩を掴まれた。
……ギュッ、というより、ガシッギュッ、の方が近い。
イコール、痛い。
「あの、」
「アナは、笑ったほうがかわいいよ」
「……なんで?」
「アナが笑うと、ぼくも笑顔になれるから」
ね、と笑顔を向けられて、黙る。
ただ単に彼は、思ったことを素直に口にしただけ。素直すぎるから、時々イラッとすることがある。
なのに、今は、不思議と嫌な感じはしなかった。
本心だと思うから。
アルベールは、嘘はつかない。
「きみが笑うと元気になれるし、きみが落ち込んでると心配になる。泣いていたら助けたくなるし、きみの笑顔のためならなんだってしてあげたいんだ」
しかし時々、彼は無意識のうちに突拍子もないことを言う。
「……それって、わたしのことが好きってことなんじゃないの」
普通に考えれば、今の言葉、ある意味愛の告白なのでは……。
「え、あの、それはないよ? 絶対ないよ?」
「だって恋愛小説にあったもん。このシチュエーション」
まるっきり、そのもの。
「だってぼく、清楚で暴力を振るわない子が好きだもん」
「――……嘘つけ一回死んできやがれこの女たらしーっ!!」
拳を振り上げて殴りかかれば、スッと華麗に避けられる。そのままぐいっと腕を握られ、近くにあった椅子にドンッと座らされた。
何すんのよと声を上げると、アルベールが鏡台の引き出しから、ふと何かを取り出すのが見えた。
――純白のベール。
それも、白薔薇付きの。
「お相手の殿方は白薔薇がお好きなんでしょ? なら、精一杯白薔薇でかわいく仕上げないとね」
アナスタシアの前で恭しく跪いてから、そっとベールを髪の毛にかけた。まるでガラス細工を扱うような手つきで、髪の毛を優しく撫でる。
「本当に、綺麗になったね」
優しく囁くような台詞に、アナスタシアもふっと笑みを浮かべてみせる。
久しぶりに会った、幼馴染み。
変わったようで、変わっていない幼馴染み。
「あんたのそういうところは、相変わらずなのね」
何が、とは言わなかったが、彼はそれが何だかわかっているようだ。そっと目を瞑り、アナスタシアの膝に顔を埋める。
変わらない。
心を休めたい時に、こうして自分の膝で眠りに落ちるのが。
よかった、会えて。
「……戻ってきてくれて、ありがと」
安心してそう呟いたら、突然意識が朦朧としてきた。どうせ王子殿下が来るのだし、起こしてくれるだろう。
そうやって、アナスタシアは幸せなままに意識を失った。




