12 忘れたい名前
アルベール・ロイゼルドとは旧知の仲だ。幼い頃から互いのことをよく知っていて、時には喧嘩したり相手の血を飲みあったり日射しに負けて「目がぁ!」と叫びながら死んだふりをしたり、少々吸血鬼めいたこともして遊んだ。他人からは「バカな双子」とからかわれたりもした。どうやら他の人の目には自分とアルベールが双子に見えていたようで――実際、二人一緒に並んでみてもそっくりだったわけなのだが――「双子になれたらいいね!」と非現実的なことも言っていた気がする。
それほど深い仲だったのに、なぜ今になって再会を果たしたのか。
彼の父は、ロイゼルド公爵家当主でありながら、数々の骨董品を揃える収集家としても有名だった。それ故、海を渡って品を売りに出し、金を稼いでくることもある。アルベールは国外留学という名目で数年間を隣国で過ごし、数年ぶりに帰国したのだという。
しかしまあ、もう何年も会っていないせいもあってか、彼も変わってしまった。
自分と同じだった亜麻色の髪は――これが「双子」と呼ばれていた理由のひとつでもある――染めて金色になっていて、顔の造作も随分と大人っぽくなっている。だが相変わらず、その愛嬌の良さと能天気な性格は健在なようだ。
今も実際、彼は他人の部屋でありながらもソファでぐいーっと伸びをしている。
「あ、ミルクは多めでお願いねー」
届けられた紅茶をアナスタシア自らが淹れていると、隣から注文が飛んでくる。はいはいわかってますよと適当に返事をすると、彼が目を瞑っている隙にミルクを全部投入した。
本来ならミルクティーになるはずのものだが、これでもかとミルクを入れた結果、薄茶色とも白とも言えない未知の飲み物と化した。ま、いいや。
「あんたいつ帰ってきたの? 帰ってくるんだったら手紙くらいよこしてくれてもよかったのに」
「そうしようと思ったんだけど、どうせならもっときみが驚くような方法で再会しようと思って!」
「いやいやあのね、ドッキリはもう充分なの。いや精神的に限界きてるからむしろやめてほしい……」
そう必死に訴えると、アルベールはどこかからかうような表情で紅茶に手を伸ばした。それを見てごくりと喉を鳴らすと、小さく舌を出して様子を伺う。
「あ、そうだ」
唇まであと少し、というところで彼がハッとしたようにカップを下ろした。ちっと小さく舌打ちすると、にこりと笑みを浮かべて「なあに?」と聞く。
「わ、気持ち悪い」
「いいから言えよこっちだって今キモいと思ったわ」
「あ、でねでね~」
「切り替え早いな」
いつもの茶番が始まったところで、アルベールはさっと切り替える。
「アナ、王子殿下の婚約者になったんだって?」
「ああ、まあ、形だけはね。いずれ破棄するつもり」
「なんで? 結婚したら女王さまになれるんだよ?」
「望んでないもの。それに……」
「それに?」
話すべきか迷った。彼なら家族に話すより気が楽だし、少しくらいは信じてくれたりするのだろうが、話して協力してくれるのかと言えばそうともわからない。
思い返せば。
……まず、前世で乙女ゲームをしていたところから話がぶっ飛んでいる。現実的にありえないし、まあ、信じてくれるはずがない。
むしろ、信じてくれる人のほうが少ないだろう。
アナスタシアは首を横に振ると、ふっと鼻で笑った。
「なんでもない。とにかく、わたしは女王になる気もないし彼のことを愛してもいない。あっちが勝手に決めたことなの。おかげでいい迷惑」
「ほんとにそう思ってる? ぼくだったら相手を愛せるように努力するけど」
「しないでしょ。それはあんたの美学に反する」
「あ、わかった? そうだよ。ぼくは相手が自分を好きになってくれるように努力するってだけだからね。自分から相手を好きになるのは、ぼくにはちょっと難しい……」
「そんなんじゃ一生恋人できないわね」
独り身になって生涯孤独に生きる親友の姿を思い浮かべると、ざまあ、と笑みがこぼれた。
「あー! アナ、今何考えた? 絶対ぼくのことでしょぉ」
「別に? あんたのことなんか考えもしない」
「とかいっちゃって、ほんとはぼくのこと大好きなくせにー」
「殺してやろうか」
***
晴れたその日の午後、アナスタシアは久しぶりに会った幼馴染みを置いて、白百合の宮を徘徊していた。この宮は時期王妃とその侍女、時に来賓者が住まう場所で、王族が訪れることは滅多にない。ほぼこの宮で暮らす者が自ら移動する。しかしほんの数週間前、アナスタシアは仮にもこの国の王子であるフレデリックをここまで走らせたことがあった。その時のことはよく覚えていないが、確か、ひどい悪夢に悩まされていた。
でもあの夢、もう何日も見てないわね……。
近頃は幸せなお菓子の夢を見る。悪夢とはほど遠い夢に快楽を覚えながらも、なぜなのだろうと疑問に思ってもいた。
「ま、悪夢よりは数倍マシよね」
見ないだけ幸せだ。もう忘れよう。
……と思った、その矢先。
『ターカナーシさん』
突如、夢の中で自分をいじめていた人物の声が頭に響く。
『タカナシさん、あしたあそべる?』
『タカナシさん、あそべなくてもあけてね。とどけたいものもあるんだ』
『タカナシさん』
『タカナシさん』
タカナシさん。
「タカナシって……わた、し?」
前世の、自分。
多分、前世の自分の名前だ。
忘れようとしていた、名前。
忘れたかった、名前。
忘れなくてはならない、名前。
自分の、名前。
「うっ……気持ち悪い」
吐き気がした。その場にがくんと腰を下ろし、口元を両手で押さえる。
瞬間、アナスタシアはその名に嫌悪感を抱いた。
タカナシ。
あなたのせいで、わたしが苦しんでいる。
あなたのせいで、わたしは辛い。
あなたのせいで、わたしはどうすればよいのかわからない。
わたしは、あなたが嫌いだ。
うっと咳をすると、口から血が出た。少量だったのでそこまで驚かなかったが、あの夢のせいで、身体にまで異常が起きている。
夢のせいで、身体まで蝕まれている。
もう嫌だ。
頭が痛い。
考えたくもない。
忘れたい。
その名前を、忘れてしまいたい。
「……姫様?」
声がした。懐かしい声。
顔を上げると、エレノアがこちらを心配そうな目で見つめていた。通路の真ん中でへたり込んでいたからだろうか、明らかに慌てた様子である。
「どうなさったのですか? どこかお怪我でも……」
「……――エレノア!」
ぎゅっと、エレノアに抱きついた。
無意識だった。ただ、誰かに抱きしめてほしくて。優しく、背中をさすってほしくて。
「姫、様……」
エレノアは顔を真っ赤にして顔を埋めた。しかし、その赤い唇を噛み締めると、ぎゅむっと抱き返した。
なんだか、そうしたくなった。
初めて、自分を頼ってくれたから、抱きしめたくなった。
なんでだろう。どうしてだろう。
この身体を、一生離したくないと思った。
泣きたい時に、一番最初に抱きしめてあげたいと。
***
「――殿下? ここで何を」
姿が見えなくなった王子を探しにケイトが王宮中を走り回っていると、自室から離れた白百合の宮で彼を見つけた。多分ここに来るのは、彼の婚約者の様子がおかしいと知らされて一緒に来た時以来だ。
王子・フレデリックは角の近くで壁に背を傾け、何か睨むような表情で腕を組んでいた。その様子に首をかしげていると、フレデリックはふとこちらに視線を向けた。
……その目には、今にも誰かを刺してしまいそうな、そんな、
殺意が浮かんでいた。
それも、はっきりと。
「殿下」
「ケイト」
低く小さな声で名を呼ばれ、はい、と返す。いつも明るく笑っている彼の、こんな表情を見るのは――。
「おまえにひとつ、頼みたいことがある」
「ええ。何ですか」
「アーニャの……アーニャの侍女の、エレノアについて調べてほしい」
エレノア、とは、アナスタシアの一番仲のよい侍女だったはずだ。
しかし、なぜ――。
「あの女は、化け物だ」
そう呟いた彼の言葉に、ケイトは目を丸くする。一体どういうことかと問うたが、フレデリックは自分の横を通り過ぎると、そのまま視界から消えてしまった。
化け物。
どういう意味の、化け物なんだろうか。
未知の生物というそのままの意味か、または人の姿をした別の何かという意味か。
しかし、もし、そのどちらも違っていたら。
それとは違う、また別の意味だったら……。
まさか、と思った。
……絶対に、ありえないことだが、もしかしたら――。
***
自分はずっと、誰かに愛してほしかった。
愛されたかった。
大事に思ってもらいたかった。
誰かの特別になりたかった。
ただ、それだけ。
それだけ、なのに……。
『おまえなど、もう必要ない』
素直に、死にたいと思った。
誰にも迷惑をかけずに生きるなんて、そんなことできない。
その所為で誰かに生きていることを責められるのだったら、いっそ死んだほうがマシだ。
死んだら、みんなは幸せになれる。
お荷物の自分なんか、消えたほうがいい。
……でも、見つけた。
自分の、居場所を。
大好きな人ができた。
自分を大切にしてくれて、そばにいてくれる人。
そばにいたいと思える人を。
「行くぞ」
ぐいっと腕を引かれる。
一歩の大きいその人の後ろを歩く。
笑った。
久しぶりの笑顔だ。
……今から自分は、綺麗に着飾った姿で、その人に会いに行く。
自分を偽ったりせずに、きちんとした姿で気持ちを伝えたいから。
だから。
待っていて。




