11 あなたを嫌いになるために
その日は、妙に甘い夢を見ていた。
ホイップクリームの泡風呂に浸かり、パフェやケーキを頬張っている夢。どこかの空想小説でそんなシーンがあった気もする。
「姫様。ジュースをお持ちしました」
ビスケットの扉を開けて入ってきたのは、金色の髪に紺碧色の瞳をした綺麗な少年――しかし、その顔に見覚えがないわけがないアナスタシアは、口に入れていたケーキをぷっと吹き出してしまう。
だって、それは――。
「姫様、大丈夫ですか? ……飲みます?」
泡風呂のそばに腰を落としたその少年に、アナスタシアはただ目を剥く。本来ならばここは乙女だけの、乙女専用の風呂場なわけで、いくらふわふわなホイップクリームの泡であろうと、万が一溶けてしまったりでもしたら――。
「姫様、顔が真っ赤ですよ? 手が塞がって飲めないのであれば、俺が飲ませて差し上げてもいいんですよ?」
ほら、と言って杯ごと差し出してくる。それが自分の口元へ向かっているとわかると、アナスタシアは咄嗟にヤダヤダと声を上げた。
「えー、拒否するんですか? つれないなあうちの姫様は」
口元に当てていた手を不意に握られ、アナスタシアはハッとした。離そうとしても、なかなか離してくれない。
「ちょっと、やめ――」
「はい、あーん」
上目遣いで見つめてくる彼にまんまと負け、渋々口を開ける。が、しかし。
「……――!?」
口元に近づいてくるのが杯ではなく彼の顔だとわかった途端、アナスタシアは発狂とともに――
ハッと目を開けた。
そこには、いつもの自室の天井が見える。豪華な天蓋付きのベッドだ。
なんだ、夢か……。
と、その時。
ふと、口元に甘い感覚がして目を向ける。見れば、棒付きキャンディを口にくわえていた。それも……あの人がよく舐めているキャンディが。
って、ちょっと待てよ。
くるり、と恐る恐る後ろに身体を動かした。そして、心臓が止まる勢いで唖然とした。
「――おはよう、俺のお姫様」
前世で言う『イケボ』とやらで、率直に言えばとてつもなく甘い声で、にたあっと屈託のない笑みを向けられた。
その翌日、愛するエラをかけて王子殿下と取引をしたアナスタシアは、早朝からけたたましい叫び声を上げることとなった。
***
「ありえないんだけどぉ!」
慌てて駆けつけたエレノアに抱きついて、アナスタシアはあまりの出来事に涙目を浮かべていた。外では小鳥がチュンチュンと可愛らしくさえずっているが、今のアナスタシアには可愛らしくする余裕さえない。朝っぱらから脅かしに来るなんて、ましてや嫁入り前の乙女の寝台に潜り込むなど言語道断、即抹殺である。
「殿下といえど、これはひどすぎますよ。ただでさえ姫様はメンタル弱いし早とちりだし弱虫ですのに」
「ちょっとエレノア! 最後の言葉は余計よ!」
墓穴を掘るエレノアに罵声を浴びせてから、再度侵入者を睨む。いくら寝起きドッキリといえど、いきなりあそこまでハードルの高い脅かし方をされては、いつ心臓が止まることやら。
「でもアーニャ、すごく幸せそうな顔してたけど」
度肝を抜かれて、アナスタシアはグッと唾を飲み込んだ。まさか当の本人に○○されそうになっただなんて口が裂けても言えない。いや、言わない。
「別に、幸せそうな顔なんかしてないし。それより、一体殿下はどういう神経してるの!? 朝っぱらから添い寝だなんていい度胸ね! 神さまから天罰が下るわよ!」
「そんなのあるわけないでしょ。なんたって俺は神に選ばれた者なのだから……!」
「病み期もいいところね。わたしだからよいものを、他の女の子にやったら間違いなく平手打ち喰らうからね」
「え? 何言ってるの? 他の女の子にするわけないでしょ?」
きょとんとした丸い瞳でそう言われた。
一瞬頬を赤くしたアナスタシアだったが、しかしそれが彼なりの作戦とわかると、こちらも眉尻を上げて思いっきり腹の立つであろう表情を浮かべてみせた。
――そっちがそう来るんだったら、こっちだって容赦なくやってやろうじゃないの。
あなたが、わたしを嫌いになるように。
「ええ、そうでしょうね。だって殿下、噂じゃあ他のご令嬢とは全く縁がないと聞くじゃありませんか。それほど女性に恵まれていないということですのね。ですから他の女の子にそんなことできないのもわかりますわ」
精一杯、彼が苛立つであろう言葉を並べてみた。
縁がない、恵まれていない、できない。
すべて否定の言葉を並べることで、彼の神経を逆なでしようという魂胆だ。これならいくら自分に甘い言葉をかけてくる彼でも、腹を立てて部屋を出て行くはずだ。
……と、思ったのだが。
「あ、それってもしかして、俺のことを心配してくれてるってこと? 噂ってことはある程度は俺のこと知ってるってことだよな。うん、興味が全くないってわけじゃないみたいでよかった!」
メンタル強っ!
そう声に出してしまいそうなほど意外と打たれ強かった彼に、ある意味感心してしまう。しかしそれでは全く意味がない。アナスタシアは微妙な表情を浮かべたのち、ふんっと鼻で笑う。
「興味? そんなものないですよ。だって殿下とはいずれ離れる運命ですのに、そんなの必要ありませんもの。調べるだけ無駄ですし」
「離れる? それっていつの話? そんな日は永遠に来ないけど」
「来るの! わたしがあなたを嫌いになれば実現できちゃうんだからね!」
「おまえが俺を嫌いになる日も永遠に来ない」
「っ、来るもん! 絶対に来るもん!」
怒りのあまり幼稚な言葉でそうぶちまけると、べーっと舌を出して部屋を飛び出していった。寝間着姿のまま、裸足で。
「あーあ。……殿下、あまり姫様をいじめないでください。ああ見えて本当に傷つきやす――」
「なんで俺が君のいうことを聞かなくちゃいけないわけ?」
忠告をしたエレノアを叱咤するように、フレデリックは座っていた椅子から立ち上がる。え、と聞き返すエレノアを終始睨むような目で見つめてから、フレデリックは部屋を出て行った。
……あとに取り残されたエレノアは、ただ扉に向かって舌打ちを繰り返していた。
***
「あれは絶対にわたしのことバカにしてる! ああんもう、考えただけで腹が立つ!」
怒りを露わにして追いかけてくる侍女にも気づかずすたすたと廊下を歩いていると、前方から歩いてくるその人影に向かってええっと令嬢らしからぬ声を上げた。
だって、その人物は……。
「あら、久しぶりねぇアナスタシア! 元気にしていた?」
パタパタと足音を立てて、そのうえひらひらと手を振って走ってくる彼女を、アナスタシアは嫌というほどよく知っていたからである。
「ドリゼラ……!?」
ギュッと手を握られながら、アナスタシアは彼女を凝視した。
トレメイン家の長女・ドリゼラ。
派手好きで傲慢、しかし恋愛に関しては鋭いプロ。男に恵まれたことは一度もないというが。
自分と同じ亜麻色の髪は短く切られており、遠くから見ればまるでそこに鏡でもあるような感覚だ。瓜二つな顔をまじまじと眺めながら問う。
「なんでここにいるの? っていうか、髪の毛切ったのね」
「ええ。占いに髪を切ると男が寄ってくるって! 王宮っていいところね。目の保養ってこういうことを言うんだわ」
夢見がちに両手を握るドリゼラを、近くにいた紳士淑女たちが何だという目で見つめる。まあ無理もない。この国では珍しい短い髪、ましてやそれが年頃の少女だというのだから。
「占いなんか当たるかもわからないのに、大事な髪を切ったの?」
「バカにしないでよ? 占いだって当たればすごいんだから」
「当たれば、ね。それで? なんでここにいるの」
「そうよ聞いてよ。いきなりお母さまったら、うちを出て王宮で暮らすっていうの! 姑だからっていう理由なのかわからないけど……」
姑だから王宮にすむ。
そんなことって……。
「わたしもおかしいとは思ったけど……お母様、何か企んでるんじゃないかしら。じゃなきゃあんな突拍子なこと言わないもの」
一体……母は何を考えているのか。
「ま、考えても無駄ね。いくらお母様でも王族相手じゃできないことのほうが多いわよ。それにあの性格じゃあ、いずれ追い出されるかもしれないしね」
そうだといいのだが、何だか嫌な予感がする。
「ねっ、それより王宮を案内してくれない? お母様はどこかに消えたし放っておいて。ね?」
「うん。あ、ちょっと着替えてくる。このままだと自由に歩けないし……」
気づけば未だに寝間着のままだった。おまけに裸足のままで移動するのには無理がある。広間で待っているようドリゼラに伝え、アナスタシアは自室へと駆けていく。
と、そのすぐあとで、侍女がこちらに向かって走ってくる姿が見えた。
侍女はドリゼラの前に立ち止まって頭を下げたあと、あの、と口を開く。
「失礼しますドリゼラ様。アナスタシア姫がどちらにおられるかご存じですか」
「え、や、今自分の部屋に走って行ったけど。どうかしたの?」
「実は……」
そうしどろもどろに話す侍女に腹を立て、ドリゼラは床を蹴って怒りを露わにする。
「だぁかぁらぁ、どうしたのって聞いてるのよ。あの子に非常事態でも?」
「そ、それがですね……」
それまで言葉を濁していた侍女も、意を決したというふうに顔を上げて言った。
「あ、アナスタシア様にお客様です。それも……この世の人とは思えないほどの方が」
その言葉に、ドリゼラはチャンス到来! とアナスタシアの向かった方向に走っていった。
***
「あっ……!」
角を曲がった途端、誰かにぶつかった。
裸足のまま駆けていたので滑りそうだったせいもあってか、そのまま後ろに倒れ
――る寸前。
「おっ…と」
誰かに身体を支えられた。腰に手が回りびくりとしたのもそうだったが、いや、それ以前に……。
「……え?」
隙間から差し込む風に押し上げられ、相手の被っていたフードがはらりと揺れる。
その瞬間に見えた見覚えのある顔立ちに、アナスタシアはどきりとした。
この顔、どこかで……。
「――久しぶりだね、アナ」
自分のことを『アナ』と呼ぶ人は、この世でただ一人だけだ。
もしかして彼は。
「……アル……ベール?」
恐る恐るそう聞くと、彼はぱあっと顔を明るくした。
「元気だった!? アナ!」
彼は、留学のために隣国へ旅立ったまま消息不明になったはずの、幼馴染みのアルベール・ロイゼルドであった――。




