9 復讐の鐘が鳴る
険悪な空気が漂っている……。
フレデリックは咄嗟に身震いすると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
目の前でジリジリと火花を散らすのは、婚約者のアナスタシアと、昔から親交のあるロレーヌ嬢だ。
アナスタシアはあからさまにご機嫌斜めな様子で腕を組んでいるが、対してロレーヌ嬢は、どこか落ち着いている、そういうふうに見えた。ゆっくりと口元に運ぶティーカップがそうであると言えるだろう。
「それで? 大食堂を営む社長のご令嬢である貴女が、なぜこんなところに足を運んでいらっしゃるのかしら。何かご予定でもありましたのではなくて?」
妙に気取った言い方をする婚約者を怪訝に思いながらも、フレデリックはふふ、と上品に笑うロレーヌ嬢に目を向ける。
「あら嫌ですわ。わたくしはただ殿下にご挨拶のつもりで来ただけですのよ。このケーキの店にいらっしゃると言うから」
そう。実際三人はアナスタシアと行くはずだったケーキ店の椅子に座って午後のティータイムを楽しんでいる……と言ってよいのかは別として、こうして話をしているわけなのだが、どういうわけか話す相手もおらずひとり取り残された気しかしないフレデリックは、ただ固唾を呑んで眺めているだけで精一杯だった。
それほど、彼女ら二人はある意味息がぴったりなのだ。
「それはそうと、アナスタシア様こそ殿下と一体何を? わたくしというものがありながら逢瀬を楽しむおつもり?」
「逢瀬も何も、わたしたちは婚約者なの。貴女の入る隙はなくてよ」
ああもう。せっかくいい印象を与えようと思ってたのに、これじゃあ逆効果じゃないの。
こんなことで社長の怒りを買って、もし母があの店に出入り禁止にでもなったら、自分が危ない目に遭うのはすでに目に見えている。
んなことになったらたまったもんじゃないわ。わたしが逆にあの家に出入り禁止になっちゃうんだから。
たぶん、そうなる気がする。
つまり、エラとも会えない、というわけだ。
それは絶対に避けたい。だから、こほん、とわざとらしい咳払いをしてにこりと真逆の笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。わたしったら誤解してたみたいです。ロレーヌ様は本当に殿下のことがお好きなのですね」
「あら、好きだなんてものじゃありませんわ。殿下とはこれからも末永く共に暮らす予定ですの」
勝手にフラグ立てんじゃねえよこのイキりリア充が。
とはさすがに格上の令嬢に言えるはずがない。グッと心の中で呑み込んだら、何だか嫌な感じがした。
そうやって幸せフラグを立てていられるのも今のうちよ。近々殿下はわたしのエラのものになるんだから。見てなさいよ。
明らかに悪役令嬢に逆戻りのアナスタシアだったが、そんな彼女の心境を知るはずもなく、ロレーヌ嬢はまたも愛らしい――というか今となってはただただ腹立たしいだけなのだが――笑顔で言う。
「いくら殿下に何人の婚約者がいようと、所詮わたくしにはかないませんもの。いずれ貴女も地獄へ真っ逆さまですしね」
失礼ったらない。ふんと鼻を鳴らすアナスタシアに、ロレーヌ嬢はすでに勝ち誇ったような表情さえ見せてくる。
まあ、今のうちに楽しんでおくがいいわ。この殿下が最終的に選ぶのはエラだけなんだから。
***
「一体誰がおまえなんかを養ってくれるっていうんだい!」
ガシャンと、真っ白な皿が壁に当たって砕けた。ひくり、と声にならない悲鳴を上げる。
「アナスタシアが王子に嫁いだ次はあんた? 何よ『わたしは旅に出ることにしました』だなんて! そんなことが許されると思ってるのかい!」
継母からの怒声にも、エラは表情一つ変えなかった。
もう自分は好きなようには生きられないと分かっている。アナスタシアがいない今、自分に残されたのは勇気と優しさのみ。
「あ~ら、やだわお母さま。その子がいなくなれば平和に暮らせていいじゃない。何がいけないの?」
フランスパンをちぎって口へと運びながら、ドリゼラが大して気にしない様子でいう。しかし夫人はぶちっと堪忍袋の緒を切らすと、ぐいっとドリゼラの髪の毛を掴んだ。痛いと声を上げるドリゼラを、夫人はエラの横に座らせる。尻餅をついたドリゼラは、エラのほうを虫でも見るような怜悧な視線でねめつけた。
「確かにドリゼラ、その子がいなくなればうちは昔のように平和に暮らせるよ。だがね、アナスタシアがいないというのに落ち着いていられると思うのかい。先方はアナスタシアを預かるというが、素直に了承できるわけがないだろう」
「何いってるの? アナスタシアが嫁いだ先は王族なのよ? いずれこの国の王妃になるかもしれないのに、何が不満なのよ!」
ドリゼラが力の限りぶちまけると、夫人はぎゅっと拳を握る。
「あの子が王妃になろうがあたしには関係ないよ。ただ、いまあたしがほしいのは力なんだよ。この国を乗っ取るという強大な力がほしい」
「権力ってこと?」
「ああそうだよ。この国を自分の思い通りに操るという力がね!」
アナスタシアがいなくなってから数週間経つが、それからというもの、この母は前より底意地が悪くなった。野望と権力にむしばまれ、隙あらば罪ないものに八つ当たりをしている。
今の自分とエラがそうだ。
エラはともかく愛娘の自分にまで八つ当たりをするなんて、以前の母なら考えられないことだ。
――一体この人は、そんな力を得てどうするというのだろう。
自分の娘が王妃になるだけで十分じゃないか。そのおかげで自分たちはこれから幸せに暮らしていけるんだし、王の義母という素晴らしい称号も手に入るのに。
一体何が不満なのか。
「……ともかくこんなボロ家で暮らしたくはないんだ。――王宮へ行くよ」
「は!? お母さま何いって」
「あたしゃあの子の母親だよ! 姑として王族に会うのは当然だろう」
姑だから? 姑だから、城に行くだけ?
違うでしょ? もっと何か、他に理由があるんでしょ?
「もう嫌なんだよ。……力のない自分のせいで誰かを失うのは」
ぐっと、ドリゼラは息を呑む。
お母さま、それってもしかして……。
と、そこまで考えて、やめた。
これ以上考えたら、自分までおかしくなりそうだ。
時期王妃の姉。考えただけでもわくわくするのに、何だかもう――、
嫌だ。
***
「女の子なら誰でもお姫様になれる」
と、今は亡き父は言った。
エラはその言葉を信じていた。いつか自分もお姫様になれるんだ、と信じて。
なのに。
「シンデレラ」「シンデレラ」「シンデレラ」
エラは優しすぎた。あれだけ苦痛を味わったのに、相手を恨みもしないんだから。
だけど。
「ねえ、お父さん。どうやったら、お姫様になれるの?」
「それはね――」
……夢を追いかけ続ければ、いつか素敵なお姫様になれるんだよ。
……相手に同じ気持ちを味わわせて、この世を自分のものにするんだよ。
当時のエラには、優しい父の言葉がそう聞こえていた。
なぜかは知らない。でも、重ねて聞こえた〝父の言葉〟より〝誰かの言葉〟のほうがよっぽど説得力があった。
夢を追いかけ続ける? そんなの無理。わたしには無理。
でも自分を傷つけた相手に復讐すれば、いつか幸せになれる、ってことでしょ?
だったら断然、復讐して生きるほうがいいじゃない。
復讐して、生きるほうが。




