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Bullet In Crowd  作者: 【es】
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Mission 06: Flow of Time

 遥か上空で発生した雲の中で、小さな埃のようなものに水分が集まって雫を作る。それはやがて重力に引かれ、地上へと落ちる。雫は自然落下をしながら木々の間を抜けて、ついには大きな音をたて大地へと打ち付けられた。

 大量の水分を含み、ぬかるんだ地面を滑らないように踏みしめながら、楓は歩を進めた。千里はその楓の二の腕の袖を勝手に掴んで歩く。服を着たままパンツまで濡れるなんて小学生以来だった。

 クローネは、全身の傷が魔術神経によって少しずつ癒えていくのを感じながら立ち上がる。ふわりとしていた金髪は見る影もない。

「…本当に、大丈夫なのか?」

 楓はよろめくクローネに手を差し伸べた。クローネはその手を取らずに足を踏ん張り背中を反らせる。

「魔術神経っていうのがね、魔術師にはあるのよ。

 基本的には近接戦闘を得意としない魔術師の生きる術よ。身体の蘇生を促進するの。その回復速度は家系によって様々だけどね。

 日本じゃ霧の魔女ってのが有名ね。

 あの回復力は化け物じみてるって、誰かが言ってたけど…。」

 目線は千里へ。つられて楓は千里をみる。

「おっとと…。えと…、うちは実はその手の分野はダメダメでして…。なんせ元々クローネさんみたいに前線に出ることはない魔術ですので。」

 少し足を滑らせて楓の肩を強く握る。楓はそれを今度は支えながら「なるほど」と答える。

「なら、クローネは本当に何ともないんだな。なら…。」

 と大きく息を吐きながら改めてクローネの横に倒れた大きな獣を見下ろした。同時に千里もその目線を追う。

 その眉間には深い傷があった。

 千里は心配そうに見回すと、腹が上下に動いているのに気づいた。

 楓は約束を守ってくれたのだ。テレビでよく見る麻酔銃というやつなのだろう。眉間の傷は少しずつ治っていっているが、意識は戻らない。

「強力な麻酔銃だからな、アフリカ象なら半日は眼を覚まさない。ま、こいつがどうかはわからんがな。」

 楓の言葉にクローネは笑みを見せる。

「まあ合成生物で色々強化されているとはいえ、基本的な構造は動物だしね、数時間は安心でしょ。それより、千里。」

 と顎でこっちへこいと促す。

 そうだ"触れる"という無茶なお願いをしたのは自分だ。さっさと終わらせなければ。

 千里は楓の元を離れ、キメラの顔の側まで来る。近くで見るとその大きさに改めて臆した。

「でも…。本当に怖がっているのは、奏多さんなんですよね。」

 そう呟くと、クローネは眉をしかめた。

「…どういう意味?」

 楓もキメラの前に立ち、千里と並んで見下ろす。

「俺も気になったんだ。さっきも同じようなことを言っていたな。その少年を助けたいと…。残念だがそいつはその化け物の胃の中に…。」

「違います。」

 キッパリとそれを否定した。

「森の中でお二人をみつけたとき、銃で狙う楓さんの姿をみてこの子を殺してしまうんじゃないかって初め心配になりましたが、すぐに思い直しました。

 私、人の殺気とか見えるんです。あのとき楓さんからはそれを感じなかった。だから安心しました。約束を守ってくれるんだって。」

 濡れた前髪の横に流しながら、千里は続ける。

「同じように、この子からも殺気をまるで感じなかったんです。はじめから。

 それで、なんて言ったら良いか分からないですが、この大きな体から、まるで子供みたいな悲鳴を感じたんです。」

 そこでクローネはハッとした。

「まさか…。この怪物をあの子この子って変な呼び方するなーってずっと思ってたけど…。」

 クローネはキメラを見下ろして息を呑む。

「…はい。屋上でみた病院服。確かに血だらけでボロボロでしたけど、違和感ありませんでしたか?」

 分かっていないような楓に目線を向ける。

「…違和感…?」

 クローネは代わりに答える。

「普通、獣が何かを食すときってのはその肉片なりが残るでしょ?骨とか肝とかね。だけど、あそこにあったのは衣服と血痕だけ。

 …つまり、食べられた跡にしては綺麗すぎるのよ。」

 楓はようやく一つの答えに思い至った。

「じゃあ消えた少年というのは、まさか…。この化け物が…その行方不明の少年ということなのか?」

 楓が驚くのも当然だ。彼はその世界に生きてきたわけではない。そんな事が起こりうる事自体が普通に想像できなかった。せめて普段からファンタジー小説なりを読んでいたらその可能性くらいは思い浮かんだのであろうが、戦争馬鹿の楓にそんな趣味は皆無だ。

「それに、殺気がなかったって?だがこいつは何度も俺たちに牙を向けて…。」

「私には今日の戦い、ただ追われるから必死に逃げようとしてただけに感じました。

 …それに以前お聞きした中国での事件も、暗闇で必死に逃げようとしていただけで、その子が直接誰かを殺めたわけではないですよね?」

 流石に少し申し訳無さそうに言葉をつまらせながら言う。

 だが、楓もそれで逆上するほど子供ではないかった。

「…言われてみれば、グレッグ達は捕まったが拘束されたのみで被害は殆どなかった。唯一死んだメグルは俺が…。」

「それはいいから。」

 楓の自虐的な言葉をクローネが遮る。

「あのとき、ただあの場所から逃げ出そうとしていただけで、襲ってきたのは楓達だったと言うの?」

 はっきりとそう言われ、申し訳無さそうに肩をすくめる千里。

「で、それを確かめたくて殺さず眠らせて欲しいって言ったわけね。」

 千里はそれに頷く。

 そして、少し屈むと腰の高さほどにあるキメラの額に恐る恐る手を触れてみた。触ってみると予想以上に柔らかい毛並みで驚いた。しっかり乾かせばそれこそファンタジー映画のようにふわふわとした素敵な相棒件乗り物になるのでは?と一瞬思う。

 千里は、雑念を振り払うかのように頭をプルプルと振り、嵯峨野家代々伝わる魔術神経を励起させた。

 先程と同じく背後に魔法陣が浮かぶ。

 すっかり暗くなった森の中がその光で少し照らされ優しく光った。

「では…はじめますね。」

 楓とクローネは、そんな千里をみて同時に頷いた。


 千里の脳裏に流れてくる景色。

 それは体験したものにしかわからないような異質な情景だった。千里は今いる自分の世界と一旦別れを告げ、キメラの記憶の海へとダイブする。

 初めに聞こえてきたのは、さっきまで聞いていた音と同じものだった。

 激しい雨音。

 ぼんやりと見えてきたのはどこかの農村だった。その建物の形状から日本ではない事がすぐに分かった。恐らく、中国だ。

 スコールの降る蒸し暑い夜。

 しかし、そんな雨の中にも関わらず、村のあちこちで炎が上がっていた。そこら中に転がる死体の山。

 そんな山を気に留めることもなく足でどかしながら歩く男たちの姿がそこにあった。

 千里の感情など関係なしに情景は流れる。

 武装した男たちが何か叫んでいたが、何を言っているかは理解できない。

 数人の男が囲んでいたのは一人の少年だった。歳は十四、五だろうか。彼は泣きながら怯えていた。

 そんな彼に突撃銃を向ける男たち。そこへ、遠くから明かりが近づくと同時にエンジン音が響く。短いブレーキ音のあと、アイドリングさせたまま四輪駆動車からは二人の男女が降りてきた。一人は泥だらけの地面に革靴をつけるのを少し嫌がりながら足を降ろす。そんな姿に女性は文句でも言っているのだろうか、少し声を荒げながら雨合羽のフードを頭にかぶる。

 男女は明らかに男たちよりも身なりが整っていて、合羽の下からはYシャツと白衣が見えた。

 女性が銃を持つ男に何かを告げると、突然男は少年に近寄り、羽交い締めにした。そして、女性は手に持っていた小さな鞄の中から注射器を取り出し、泣き叫ぶ少年の二の腕にそれを突き立てた。

 するとまもなくぐったりと眠る少年。

 男たちは少年を四輪駆動車の後部座席へと運び、男女はまた車に戻った。

 車が動き出したかと思えば突然場面が変わる。

 何処かの施設だろうか。うってかわって小綺麗な白を基調とした屋内だった。とはいえ生活感はまるで無い。いわば研究所というものだろう。その証拠に先程の男女がガラスの向こうに居た。ここの研究員なのだろう。そして広いそのスペースに一人ぽつんと先程の中国人の男の子が立っていた。ひどくやつれている。

 なにもないその部屋に突如、どこからか紫色の煙のようなものが吹き付けられ、白い部屋は紫に染まる。少年の叫び声が響くがその姿は見えない。

 やがてその叫び声は少しずつ低くなり、唸り声に変わる。煙の向こうの少年の影はみるみる内に大きく膨れ上がり、巨大な獣のそれへと変貌する。

 千里はそれが、さっきまで戦っていたキメラであることを確信した。そして、その正体は病院で"奏多"と名付けられていた少年であることもこれで確かなものになった。

 そこからの映像は悲惨なものだった。

 度重なる人体実験。その度に少年は嘆き、苦しんでいた。恐らくこの施設では生物兵器を作ろうとしていたのだ。

 千里はその非人道的な行為の繰り返しに耐えられず、その回線を切った。

 

「千里っ!!」

 気がつけば千里はキメラから離れ、大木の下で泥水の中で膝をついて泣いていた。

 心配そうにかけつける楓。

「はぁっはぁっ…!

 うぅううぅうううぅぅぅ…!こんなことって…。」

 肩で息をし、呼吸が荒い。日本で幸せに暮らす一人の女の子にとって、それはもう見るべき内容ではなかったのだろう。楓は、一人の少年がこのような化け物になった経緯というものを想像して千里を哀れに思った。

 実はある程度予想を立てていたのだ。

 というのも自分が潜入した雲南省の研究所がテロリスト集団と密接に関わっていることは明らかだった。当時ピースへの情報開示は無かったとはいえ、その道のプロであった楓はただの研究施設ではない事は容易に想像できた。そんな施設で少年が化け物に変えられたのだとしたら、そんな人体実験が幾度となく繰り返されていたのだろう。

 そういった研究施設は海兵隊に居た頃にも見たことがあった。正に反吐が出るような施設も見てきた。

 千里眼という術は便利なようで、必要以上のものを見なければいけないのか。

 楓は優しく千里の背中を撫でた。震えていた。

「頷くだけでいい。

 やはりこの化け物がその、少年なんだな?」

 その言葉で、千里は振り向かずただ首を縦に振った。

 楓は後方にいるクローネを見た。

 クローネは長い後ろ髪を、何処からか出してきたゴムでくくり、たまった雨水を絞り出す。

「…仕方ないわね。」

 クローネはジャケットの裾を少しまくる。

「私だって、鬼じゃない。こいつが幼気な少年だってわかったら、はいそうですかと抹殺できないわ。」

 千里は少し呼吸を落ち着け振り返る。

「元々日本にある協会の保護施設に送るつもりだったんだけど、おに筒はこわれちゃったしこんな巨体運びようがないわ。

 なら、元の少年の姿に戻してから連れて行くしかないわね。」

 そう言って、クローネは右手を真上に挙げ、掌を空に向ける。

 すると暗くて見にくいが、そこには午前中に見た黒い時計のような魔法陣が展開された。

 それは獣の大きさよりも大きい。

「そんな事できるのか!す…凄い。」

 楓は信じられないような眼でその魔法陣を見た。その針はチクタクと動き始める。

 これなら問題は解決だ。

 麻酔が切れればまたこのキメラは暴れだすだろうし、少年の姿のまま拘束できれば何とかなるかもしれない。

「待ってください!」

 突然そんな事を叫んだのは、さっきまで震えていた千里だった。

「な…なによ。」

 クローネの上部に展開した異形の時計の針が止まる。

「やめてください…。」

 千里は立ち上がる。膝には泥をつけたまま。

「今すぐにその術を中止してください!」

 千里はまっすぐにそう告げる。それに対し、クローネは反論した。

「何言ってるのよ。おに筒もないし、こんな巨体回収できないのよ。またいつ目を覚ますかわからないってのに…。」

「等価交換です!」

 千里はいつしかはっきりとした声を取り戻し、そう言った。

 その声に遮られ、クローネは口をつぐんだ。

「通常、大地や大気に宿るマナを使って魔術師は術を行使します。

 ですが、時間を操る魔術はイレギュラーです。この世界にあるどんなマナでも時間には干渉できません。

 できるとしたら神界に住まう時間の神クロノスなどと、ある種の契約を結ぶ必要があるんです。」

 いきなり難しい話が飛び出した。置いてけぼりを喰らわないよう必死でその話を聞く楓。

「いえ…契約といえる程穏やかでは有りません、呪いとも言えるでしょう。違いますか?」

 クローネの顔色が変わった。

 そこから笑みが消える。座った目つきで千里を睨んだ。

「それは千里眼?ただの知識?洞察力?」

 そしてまたフッと笑みを取り戻した。

「…まあ良いわ。けど貴女の読みは当たってる。こういう事を言うとそこの筋肉バカが必死で私を止めるかもって思って言わなかったのに…。」

 相変わらず時計の針が止まったような状態の魔法陣の下で、クローネは続けた。

「時間を操作するとね、…てゆーか人間あるいはそれに近い種の時間を操作するとね、私から時間が奪われるのよ。それが世の理に触れれば触れるほどその代償は大きい。

 …例えば、死んだ人を生き返らせるとか、ね。」

 と自嘲気味に笑う。

「ま、だから今回この子を人間だったとき、つまり一旦数時間前まで戻すわ。

 その程度なら私の身体は数年若くなるくらいで済むでしょ。赤ん坊まで戻るってのならごめんだけどね。」

 と笑ってみせる。

「いや全然笑えないだろう。それ。」

 楓が前に出る。

「女性のコンプレックスだと思って今まで言わなかったが、クローネの見た目は俺と同い年というには幼すぎる。そういう理由だったとはな…。」

 まじまじと見つめてしまう。

「ま、色々やらかしちゃってね。昔はナイスバディだったのよ。」

 とおどけてみせるが、やはり二人とも笑わない。

 仕方なく、クローネも真面目な顔に戻る。

「ったく、湿気た面ね。

 仕方ないでしょーが今はこうするしか。まごまごしてたらこいつ目を覚ましちゃうかもしれないでしょ?

 だったら今しかないのよ!」

 そう言って時計の針を進め始めた。

「別にこの子が実験される前まで戻すってわけじゃないんだから、大したことないって!」

 千里は動き出した魔法陣をみて息を呑む。四大元素とは全く異なる元素に干渉する言語。見たことがないような神代文字が描かれている。それに影響して周り中のマナが暴れ始めた。

 楓はというと正しくは理解できないとはいえ、コハクが同化した今、膨大な魔力の流れを感じはじめ、かつてない力の感じ方に戸惑っていた。

 降り続けていた大雨は四方八方に弾かれていく。まるで雨の日ヘリコプターの真下にいるようだと楓は思う。

「駄目です…!やめてください!」

 千里は諦めず、顔の前で腕を交差させながら近づいていく。

 風が吹き荒れ、千里の制服のスカートがバタつく。

 ただ事ではない雰囲気に楓も叫ぶ。

「クローネ…!」

 止めるべきなのだろう。だが確かにクローネの言う事もわかる。このまま放置してもまたキメラが暴れだすだけだ。他に方法はないのか…。

 と、そのときだった。

 千里の制服が突風でバタつく。そのとき、右ポケットから何かが落ちた。

 吹き荒れる風がそれを巻き上げ楓の方へと運んだ。楓はそれを掴む。

「これは…!」

 楓はクローネの方へと再び目線を移した。魔法陣の針は次第にスピードをあげ、黒い光は輝きを増してきた。

「そうか…!」

 楓は突如走り初めた。吹き荒れる風とぬかるんだ地面で上手く走れない。

 クローネの上部に広がる黒い魔法陣のような時計の、短針と長針が少しずつ動き出し、12の文字のところに集まっていく。

「クローネぇ!」

 楓は叫んだ。珍しく張り上げた声にクローネは振り返るが、術をやめようとしない。

 時計の針はまもなく0時0分をさす。

「クローネさん!」

 二人に背を向けたまま、振り上げた掌を握りしめる。

「アンタたちとは、ずーっと長い付き合いだった気がするのは、なんでだろうね。」

 なんてことをいって、少し振り向く。

「って別に死ぬわけじゃないんだからね!」

 それでも数年前の自分に戻ったとき、記憶が混濁して二人の記憶はなくなるかもしれない。それは神のみぞ知るというやつだ。

 二人の姿をもう一度見ておこうと目線を上げたとき、吹き荒れる風の中、一人の狙撃手(スナイパー)が見えた。

「悪いな。」

 匍匐状態でスコープからこちら見ている人、楓だ。

「へ?

 なにして…ふぇぐっ…!」

 クローネの意識はそこで途絶えた。

「か…楓さん!?」

 左側頭部の衝撃と共に、遠くで千里の叫ぶ声が聞こえた気がした。

 

「…ローネさん!クローネさん…!」

 肩を揺さぶられ、起きる。

「あ…れ?ここは?」

「良かった…。」

 当たりは真っ暗。森の中。雨は止んでいた。

「…化け物が目を覚ますより先に目覚めるか…賭けだったんだが…。」

 と頬をポリポリとかく楓が居た。いや、こいつは暗殺者(アサシン)だ。

 突如クローネは楓の胸ぐらを掴む。身長差で全くすごみはないが。

「楓!あんた何を…いつっ!」

 左こめかみ辺りに激痛。

「悪い…。かなり強力なゴム弾だ。暫くは痛い。魔術神経で、なんとかしてくれ。」

「覚えたての知識でテキトーな事言ってんじゃないわよ!アンタの中の無神経をなんとかしなさいよ!」

「あ、うまい。」

 とか言うてる場合か。とクローネは付け足す。

「すまない、クローネの術を止めるためには、狙撃して気絶させるしかないと、思ったんだ。」

 強引すぎる。とクローネは口をあんぐり。

 確かに昔から魔術師は遠距離武器には弱い。ある意味、楓がその道へ勧めば歴史に名を残す魔術師殺しとなれるかもしれない。

「でも、ここまでして止めておいて、何か策でもあるんでしょうね?」

 イライラを抑えながらクローネは楓の襟元から手を離し、背中を向けた。

 すると、楓はそっぽを向いたクローネの顔の横から、ぬっと何かを取り出して見せた。

「おに筒…。」

 ひしゃげてもはや使い物にならないアーティファクト。

「屋上にあったものを私が拾ってずっと持ってたんです…。」

 とりあえず、差し出されたそれを受けとるクローネ。

「人間に近ければ近いほど時間を操作するときのリスクが高い、その認識で間違いないんだな?」

 楓はじっとクローネを見下ろす。クローネはその目線に気づき、頷いた。

「そう言ったでしょ。だから人起因のストレンヂアに使うのだけはやらないって決めてたんだけど…。」

 と言いかけて自分の手の中の物を見る。

 暫くそれをみつめ、ハッとしたように二人を見た。

「冷静になってみれば簡単な事だった。

 まあ、それが簡単かどうかは俺には解らないが、人間を戻すよりはイージーなんだろ?」

「楓さんの案です!

 私も見ました、神社で花を一本枯れさせてましたよね。

 そのときクローネさんに変化は感じませんでした!

 ということは…!」

 嬉しそうに千里が言うが、その答えをクローネは奪った。

「おに筒も直せる…。」

 その言葉に二人は笑顔で答えた。

「はは…、たしかに、…ね。」

 こんな簡単な事に気づかないなんて。クローネは肩を落とす。

「一人で熱くなって、チョー恥ずかしいじゃない。」

「そんな事ないですよ!

 クローネさんが真剣にこの子を助けたいということが、伝わってきましたから!」

 クローネは無言で赤くなる。

 楓もその事実を知ったのは大きかった。監視協会というところがどれほどのものか、その組織に血が通っているのか、それが少し見えたのだ。クローネを通して、自分の未来への不安が少しだけ和らいだ。

「さあ、問題がなければやってくれ。

 筒が修復できたら、今度こそ俺がメグルの仇を取る。

 おに筒でこいつを捕まえる。」

 楓はそう言ってクローネを見た。

 すると、クローネは少し妙な表情をする。

「ごめん、いつ言おうかずっと考えてたんだけど…。」


【その年の春】

 英語や中国語、そして日本語のアナウンスが場内を木霊する。

 都内の国際空港だ。その大きな窓の外には沢山の作業員や搬送用の車、そしてジャンボジェット機が動いていた。

 そんな風景を背に、紙飛行機が力強く飛ぶ。

 それはやがてその浮力を失い地面へと落ちる。そして、地面に落ちる直前、誰かの革靴に当たった。

「ん?」

 それを拾ったのは、黒い薄手のコートを羽織った楓だった。彼は紙飛行機が千鳥柄の折り紙であることに気づく。

「Sorry !!」

 聞こえてきたのは英語だった。声の方をみると、金髪の少年。その後ろには両親らしき人影が見えた。恐らく観光客だろう。

 紙飛行機を返し、当たりを見回す。

 幸せそうな家族連れ、喧嘩をする男女、別れを惜しむ若者達。当たり前の風景がそこにあった。だが、よく目を凝らすと、一人で待合に座る老人や高いガラス窓からジッと誰かを目で追い続ける女性など、日常とは違う世界に住む人間かもしれないと、変に勘ぐってしまう。

 それも仕方ないことだった。

 化け物を封印したその日から、いや、千里と出会った日から全てが変わったのだ。

 楓はコートの袖をまくった。そこには銀色に輝く数珠があった。

 楓が目を閉じると、確かに感じる自分以外の何か。

 結局、コハクは神社には帰らなかった。楓もまた、コハクと共に生きることを選んだのだ。

 突如、鳴る楓の携帯電話。

「もしもし、ああ、今空港だ。多分明日の夜にはロンドンにつくだろう。」

『ふふ、頼りにしてるわ。

 あ、でもちょっと色々トラブっててね、もうちょっとそこで待っててくれる?チケットは直接協会のエージェントが渡しに行くから。』

 楓は、クローネからの誘いを受け、ピースを正式に除隊し監視協会に籍を置くこととなった。

 あの戦いの直後、クローネは驚くべき事実を告げたのだ。

 

「メグルが生きているかもしれない!?」

 楓は耳を疑った。だがクローネは淡々と続けた。

『ええ、プラスチック爆弾は彼のすぐ横で爆発した。生きているはずがないわ、普通はね。

 でもね、普通の人間がこのキメラに深く噛みつかれたのだとしたら、その体組織が何らかの影響を受けてて、蘇生をしていると考えられないことはないの。

 そう考える理由の一つだけど、実はまだソダ=メグルの遺体は発見できていないのよ。

 これ以上詳しくはまだ言えないけどね。』


 元々、日常から弾き出された今、どう生きていくべきか決めあぐねていた楓だったが、メグルが生きているかもしれないという事実を知らされ、放って置けるはずがなかった。

 それからじっくり楓は考え、決心をした。

 監視協会に入り、全てを知る。

 だからこそ、そのためにもコハクの力は必要だった。コハクもまた、世界を見られると前向きに考えてくれた。そして、約三ヶ月かけて神社の岩から削り出して結晶化した数珠により、コハクの力は半永久的に安定するというのだ。

 思い返すとコハクとはまるで映画や漫画のような出会いだった。まさかあのときは、共に生きる事になるとは全く思っていなかった。

 楓の脳裏には、黒々としたおどろおどろしい狐の化け物が浮かび上がる。

 出会いと言えば、もう一人。

 一見頼りなさそうで、か弱な女子高生。

 彼女は元気にしているだろうか。楓は千里のとぼけた顔を思い出す。

 キメラをおに筒に封じて、クローネがそれを預かった後、遅れて監視協会の術者が何人かかけつけた。よくあるサスペンスの最後のシーンみたいに。

 やはり病院付近で多数の目撃があったようで、監視協会としても問題ということで、近隣に忘却の術をかけるという事だった。

 そのとき、楓は監視協会からすれば突如現れたストレンヂアという扱いになる。そうなれば事はややこしい。その場に居合わせた嵯峨野千里もまた、ただでは済まない。

 そこでバタバタとした空気のまま、わけも分からず解散となったのだ。

 その次の日にはクローネからのお誘いがあり、クローネとは連絡がついたが、千里とはもう連絡をとりようがなかった。

 とはいえ他人であることは変わらず、変に調べるわけにもいかず、それっきりだった。

 普通に考えて、一日だけ知り合った年上の男性など、一女子高生にとっては記憶にとどめておくほどの存在ではない。

 まあ、その過程は異常であったが。

 兎に角、もう会うことはないだろうが、彼女の奥底にある正義感や、熱い想いには共感できた。

 ああいう人間はそうはいないだろう。もう十ほど歳を重ねたら聡明な大人の女性になるだろう、そう感じた。

 しかし一人の女子高生にあまり肩入れするのもなんだか変だと、楓は考えを改め、柱にある妙に凝ったデザインの時計を見た。

「クローネ。もう切るぞ、そろそろ時間だ。」

 楓は、取っ手のところにドッグタグネックレスをいくつもぶら下げたキャリーバッグを引き、受付へと歩き出した。

『あらそうだっけ?まあいいわ。

 あ、そうそう。』

 何か思い出したように付け足すクローネ。ちょうどそのとき後方からドタバタと騒がしい音と声が聞こえてきた。

「すみませーん!どいてくださいー!」

『彼女、まだ未成年だから、ちゃんと保・護・者!として面倒見てあげるのよ。』

「なに?それは…っ。」

 楓の言葉を聞く前に電話は切れた。

 だが、その意味を正しく理解するまでそう時間はかからなかった。

 突如、豪快な音が後ろで響く。

 振り向くと、絵に書いたようにキャリーバッグの中身をぶちまけてこける女の子が一人。

 楓は深ーいため息をついて、そして少し笑い、近づいていった。

 彼女は膝を強く打ち付けたらしく、屈んだまま半泣きになっている。楓は前に立ち、優しく肩に手を置いた。暗闇の中絶望から救ってくれたあのときのように。

 見上げた顔は、やはりそうだ。ちょっと頼りない眼鏡の女の子。

「千里。」

「…!

 か…!」

 屈んだまま楓の腰に抱きついてきた。

「楓さーん!!」

「おいおいっ。女子高生がこんなところで号泣するな。」

「もう卒業しましたもーん!」

「なら尚更だっ!」

 空港に轟く声。

 聡明な女性、という言葉は取り消す必要があるかもしれないと、楓は頭を掻く。

 だが、正直クローネのサプライズに少し感謝する自分もいた。

 これから未知の世界へ一人で飛び込むには、いくら楓といえども少し怖気づいていたところだった。

 まだまだ不安だらけだが、それでも楓には頼もしいバディ(相棒)であることは間違いない。

 

 進めない道があれば楓が切り開き

 進むべき道がみつからないときは千里が標を示す

 

 そうやってこの後も二人は歩き続けるだろう。

 足りないところを補い合いながら、様々な苦難を乗り越えるだろう。

 そんな二人の冒険譚が今、始まったのだ。

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