分岐点 2 ジョシュア視点
「……私が疑われているのだろう?」
「そういう話も耳に届いています」
「馬鹿馬鹿しい。確かにあの時、ガスターを連れて顔を出したのは間違いだった。だが王弟がいなければ、きちんと謝罪をして丸く収まる場面だったんだ。……いや、ナディア夫人がギルモア侯爵の姪だと把握していなかったのは私のミスだ。現ギルモアも注意しなくてはいけない人物だが、前ギルモア侯爵はもっとやばかったのに」
やばい?
父上がそんな言葉を使うのは初めて聞いたぞ。
そんなにすごい人だったのか?
「ギルモアは注意しろ。あそこは根っからの戦闘民族だ。しかも一族の結束が固い。男ばかりの家系で直系の女性はナディア夫人だけなんだぞ。その娘ふたりも宝物のように可愛がっている。武力行使される危険もあるというのに、シェリルに手を出すなんてありえない」
「いくらなんでもそれは」
「いや、やりかねない。両家とも疲弊し、国王陛下を激怒させても、やるのがギルモアだ。そういう侯爵家が我が国に存在するというのが、隣国への盾にもなっているんだ」
大丈夫。そんなことには絶対にならないよ。
きっと、シェリルがギルモアに乗り込んで、全員床に座らせて説教するぞ。
「内密にガスターの調査をする必要がありますね。何度も屋敷に来るということは、自分の行動が父上を喜ばせ、執事に返り咲けると勘違いしているかもしれません」
「……私が悪いのだ」
父上はお守りをぎゅっと握りしめて、息子の僕に頭を下げた。
「ど、どうしたんですか! やめてください」
「あの頃の私が何を考えていたのか、今となっては全く自分でも理解できないのだが、公爵を継いだばかりの頃に、彼が身を粉にして働いてくれたという印象が強かったからかもしれない。私は、紹介状を書けない代わりに、今後生活に苦労しないようにと退職金を渡してしまった」
それがあの男の行動資金になっているのか。
新品の制服を襲撃のために揃えるような金を、どこから用意してきたのかと疑問だったんだ。
そのせいで、裏に父上がいるんじゃないかという疑惑が出たんだ。
「だいぶ……渡したんですか?」
「それほどでもないと思うんだが……」
「父上の感覚でそれほどでもないというのは、かなりの金額ですよね?」
「ピアソン伯爵の借金を全額返済出来るくらいの額ではあるな」
最初から、金を渡す気なんてあるもんか。
ピアソン伯爵は捨て駒だ。
よかった。
何がよかったって、あのずさんな計画を父上が立てたのではなくてよかった。
そうだったら軽蔑していたところだ。
「シェリルは元気にしているのかい?」
「ええ。無事に学園に入学が決定し、次の試験のために勉強しているそうです」
「……ローズマリーは受かったのか?」
「合格しましたよ」
「そうか。さすが自慢の娘だ」
「本人に言ってあげてください」
今の父上ならもう大丈夫そうだが、まだ気持ちを緩めるわけにはいかない。
ガスターが、父上が喜ぶと思い込んでいるのだとしたら、そしてその妄想をどこかに書き記してでもいたら、めんどうなことになる。
くそう、もっと早くガスターの身辺調査をしておくんだった。
すでに王弟殿下とギルモアの人間が、あいつを尾行している。
へたに家を調べたりしたら、余計に疑われることになるかもしれない。
「ジョシュア」
「はい」
「出来るだけ早めに法務省に行ってきてほしい」
「法務省? 必要な書類でもあるんですか?」
「おまえに爵位を譲りたいんだ」
……まさか、父上のほうからこんな話が出るとは思いもしなかった。
「ジョシュア?」
「ちょっと待ってください。突然すぎて……」
もう僕が爵位を継ぐしかないのは事実だ。
どうあっても、たとえ何をしても、ワディンガムを守るためにはそうするしかないとは思っていたんだ。
でも……。
「ここ何年かの私の態度は落ち度ばかりだ。自分でもどうしてそんな態度を取り続けていたのか不思議だが、だからこそ……精神的な病気の可能性もある。体も、こんなに痩せてしまった」
こちらに掌を向けて伸ばされた腕は、確かに以前に比べれば痩せてはいたけれど、それでも何か月かまともな生活を送れば、元に戻る程度の状態だ。
父上はここ何か月か、屋敷の外にほとんど出ていなかった。
健康状態がよくないという噂は広まっていても、取り返しがつかないほどではない。
「元に戻るまでは何か月もかかる。いや、戻る保証はない。私のせいでワディンガムの評判に傷がつき、王族派の力が弱まってしまっているのに、この先何か月もこの状況のままにしておくわけにはいかない」
これはゲーム通り、僕が爵位を継いで丸く収まるなんて、そんな安易な話ではない。
神の気まぐれで操られ、父上の人生は狂わされてしまった。
勝手に喧嘩をして、異世界の人達に迷惑をかけて罰せられたくせに、なぜワディンガムがこんな目に合わなくてはいけないんだ。
「それに……レイモンド様がゴールディング様に会いたいとおっしゃられた時に、手助けをしてしまった」
ああ……やっぱりあれは父上の仕業だったのか。
ワディンガムが手を貸したという証拠は出てきてはいないが、第一王子がいつ話してしまうかはわからない状況だ。
「それは……まずいですね。なぜそんなことをしたか、理由を聞いてもいいですか?」
「あの方は、だいぶつらい状況に立たされていた。確かに過去に優秀な子供たちを遠ざけたり、勉学を疎かにしていた時期はあったかもしれない。でもあの方はまだ十歳で、間違った判断をした時は更に幼い時だった。だが、あの方が遠ざけた子供たちは、今では第二王子の側近になったり、年齢が上の者達はすでにそれぞれの仕事に就いて活躍している。そうしてあの方の周りに残っているのは、おべっかを使う王族派の家の子供たちばかりだ」
自業自得なんだよな。
確かに子供時代の過ちのせいで一生を左右しかねないのはあまりに厳しいが、王族は凡庸では許されない。
彼の言動で多くの者達の人生が狂うこともあるんだ。
「せめてゴールディング様に別れを言いたいと言われて、転移で王宮に戻るのであれば可能だろうと考えてしまった。その行動が余計にあの方の立場を悪くしてしまうのくらい、少し考えればわかることだったのに」
父は両手で顔を覆って呻いた。
「ここ何年か私の行動は落ち度ばかりだ。自分でも自分が信じられないよ」
これは、呪縛が解けたと安心してばかりはいられないかもしれない。
何年も、自分でもおかしいと思う行動を続けていたんだ。
自分を追い込んでしまうかもしれない。
病気を治すだけではなく、精神的なケアも考えないと責任を感じて自ら……なんて嫌な未来まで思い浮かんでしまう。
「まだ成人したばかりのおまえに、公爵家当主という重荷を背負わせてしまってすまない。それがどれだけの重圧になるかは、誰よりも私がよく知っているというのに……。だが領地で静養はするが篭る気はない。一族は私が納得させるし、領地経営も私がしよう。おまえは、今はただ王宮で陛下の横で力をつけ、ワディンガム公爵家の当主として存在感を示してくれ」
「……父上、まずは静養してください。それでは引退する意味がありません」
「あ……」
せっかく格好良く決めてくれたのに悪いけど、まずは体調回復を最優先してもらわなくては。
でも領地経営は自信を取り戻すのにいいかもしれない。
それにこの人は一番重要なことを忘れている。
「この話はもう誰かにしているのですか?」
「いや?」
「では、僕も聞かなかったことにします」
「ジョシュア」
父上が慌ててベッドから降りようとしたので、急いで駆けより、肩に手を置いて押しとどめた。
「父上、聞いてください。この話、まず母上に話さないとまずいですよ」
「……まずいか?」
「はい」
確かに当主の決断は絶対だ。
それでも相談したかどうかで、今後の夫婦仲が大きく変わるぞ。
「この何年間か、父上に変わり社交界でワディンガムを守ってきたのは母上です。顔には出さないようにしていますが、かなりお疲れのようですし、父上を心配しています。それなのに父上と僕だけでこんな大事な話を決めてしまったら、離婚すると言い出しかねません」
「相談しよう」
「そうしてください」
きっと母上は了承し、一緒に領地に向かうだろう。
ワディンガムにだって優秀な魔道士は何人もいる。
社交界には、この屋敷まで転移で通えばいいだけだ。
「いくら体調がよくなったとはいえ、あまり長く話すと疲れてしまいます。食欲はありますか?」
「そうだな。食べられそうだ」
「では、執事に何か持ってこさせましょう。ローズマリーが帰宅したらまた来ます」
「ああ。……ジョシュア」
「はい?」
「ありがとう」
笑顔で頷いて、涙ぐみそうになって慌てて歩き出した。
ちらっと水を注いだままのグラスに視線を向け、すぐに前を向いて扉を開けた。
「ジョシュア様」
思っていたより長く話していたようだ。
執事長と若い侍従がひとり、困った顔で廊下に待機していた。
そろそろ医師が来る時間だったな。
「執事長、父上がお目覚めだ」
「おお!?」
「なにか胃に優しい食事を用意してくれ」
「食べられそうなんですか!?」
「だいぶご気分がいいようだ」
「それは……よろしゅうございました……本当に……」
父が幼少の頃から我が家の執事をしていた執事長は、涙声になっている。
「私が厨房に行ってきます」
「ああ、たのむ。執事長は父上の様子を見ていてくれ。ちょっと元気になったからといって、ベッドから出ようとしていたんだ」
「それはいけませんな」
バタバタと部屋に向かう執事長も、厨房に駆け出した執事も、ひさしぶりに見る晴れやかな顔をしていた。
「ジョシュア様」
優秀な僕の執事も、ちゃんと待機していたようだ。
廊下の陰から黒い上下を着た男が姿を現した。
「おまえは母上のところに行き、父上が目覚めて会いたがっていると伝えてきてくれ」
「かしこまりました」
執事が背を向けて足早に去るのを見送り、僕も踵を返して書斎に向かった。
室内に入り扉を閉めながら、胸ポケットからカード入れを取り出す。
窓に背を向ける形で置かれた机に歩み寄り、椅子に腰を下ろしてカード入れから出した鍵を使って引き出しを開け、中にある箱にポケットの中にあった小瓶を入れ、引き出しを閉めて鍵をかけ、大きく息を吐きだした。
本当によかった。
家族から父上を奪わずに済んだ。
現状で考えうる最良の形で爵位を譲り受けることが出来る。
もうこれ以上、家族につらい思いをさせるわけにはいかない。
ガスターのやらかした馬鹿げた襲撃に、ワディンガム公爵家が巻き込まれないようにするためには、王弟殿下の力が必要だ。
何かとシェリルが王弟殿下を頼りにするのは癪に障るけど、確かにあの人が味方だと心強いのは確かだ。
出来るだけ速やかに動かなくては。
だがその前に、ローズマリーに嬉しい知らせを届けなくてはいけないな。
カード入れを胸ポケットに入れる時に指先に触れたお守りを取り出し、感謝を込めて握りしめた。




