オバサンの周りはなにかと慌ただしい 3
「ここがマガリッジ男爵のお屋敷ですか?」
「昔は子爵家だったからね、大きいでしょ?」
マガリッジの屋敷は相変わらず古くて薄汚れていて、開けたままの窓の向こうで黄ばんだカーテンがひらひらと揺れていた。
屋敷とすぐ横の木の間に大きな蜘蛛の巣が日の光を受けて輝いていたり、一部壁がはがれていたり、夜に見るとちょっとお化け屋敷みたいよ。
「あなたたち、玄関前で何を騒いでいるの?」
エマの叫びを聞きつけて、アレクシアが屋敷から出てきた。
夏らしく涼しそうなライトブルーのドレスを着て、左右の髪を編み込んでいる。
護衛をしている時は気を張ってきつい言動になりがちな彼女も、今は穏やかで魅力的なご令嬢に見える。
エマのほうは古い屋敷の扉が開く音がした時に、しっかりと身構えていた。
護衛としては正しい行動だけど、中から現れたのが若い女性だったせいかほっとしていたから、幽霊でも出てくると思ったのかも。
「私が転移で連れてきたら、こわかったらしいわ」
エマを見て、ほんの少しだけアレクシアの表情が曇った。
警護をやめるのはしかたないと今は思っているはずだけど、それでも以前は自分のいた場所に他の子がいるのは、複雑な気持ちなのかもしれない。
「……自分で転移することにしたの?」
「自分と周りの身の安全のためにも、もっと友人に会いやすくするためにも必要でしょ?」
「私は前からそう言っていたでしょ。さあ、中に入って」
大きく扉を開いて背中で固定してくれているアレクシアの前を通り抜け、玄関ホールに入っていく。
顔見知りの侍女が何人かホールで出迎えてくれていた。
「失礼します」
「あなたが新しい護衛?」
「は、はい。エマ・ジェンクスです!」
アレクシアの前で一礼して屋敷の中に足を踏み入れたエマは、声をかけられてさっと振り返り直立不動で答え、
「よろしくお願いします!」
そして深々と一礼した。
「そう、よろしく」
愛想がないなあ。
アレクシアって人見知りするのよ。
本人はそんなことはないって言うけど、ある程度親しくなるまではツンが多くなるタイプなの。
「あの……これは……」
すすっと私の隣にやってきたエマが小声で囁いた。
ああ、エマとしてはアレクシアが、こんな古くて何もない屋敷に住んでいるのは驚きよね。
「マヨソースの工場がある村に、レイフ様が屋敷を建てているのよ。アレクシアを口説いて一緒に住む気満々で、告白する前からちゃっかり広くて素敵な屋敷を造っていたんですって」
「なるほど。すぐに引っ越すのでこちらは手を入れていないんですね」
「そうそう」
アレクシアとの関係がなかなか進展しなかったから、レイフ様って奥手か恋愛に疎い人かと思っていたのに、いざとなったらがんがん突き進むタイプだったのね。
両想いになる前から屋敷を建て始めていたってことは、絶対にアレクシアと結婚するんだって決めていたってことでしょ。
愛が重いな。
アレクシアが案内してくれた部屋は、この屋敷で唯一の客間よ。
古い応接セットが置かれているだけの部屋で殺風景だったけど、前回ここに来た時よりもいくつかクッションが増えていた。
生活していると、やっぱり物は増えていくものよね。
侍女たちがお茶の用意をしてくれて、エマも彼女たちと一緒に部屋を出て行ってふたりだけになると、アレクシアはため息と一緒に体の力を抜いて、椅子の背もたれに身を沈めた。
「あんな小動物みたいな子が護衛なの?」
「アレクシア」
「しょうがないってわかっているの」
苦笑する私を見て、アレクシアは髪をかきあげようとして編み込んでいることに気付いて手をおろした。
「レイフと婚約を決めたんだし、領地の仕事も忙しい。でもクロウリー子爵家に行けなくなるのは、やっぱり寂しいわ」
「何度も言っているでしょう?」
カップを口に運ぶ途中で手を止める。
大丈夫だと言おうとしかけて、でも会える機会が減るのは間違いなくて、なんて話せばいいのかここに来て迷ってしまった。
「ローズマリー様と会う機会は少ないけど付き合いは変わらないように、あなたとの関係だって変わらないわよ。むしろ私が学園を卒業したら、もっと会えるようになるかもしれないわ」
「そうかしら」
「あー、もしかしてレイフ様が私と王弟殿下の婚約に乗り気なのって、そうすればアレクシアと私が会う機会が増えるからだったりする?」
「……それもあるかも」
なるほどねえ。
王弟殿下の側近のレイフ様なら、大公領にも屋敷を持ってもおかしくないもんね。
それに側近の奥さんが大公妃の傍にいるのもおかしくない。
私の身を案じているのも、いつまでも女性と親しくなろうとしない王弟殿下をどうにかしたいのも本当だろうけど、一番はアレクシアのためだったのね。
「私は結婚する気なんてないわよ。でも大公領で働くのは迷っている。王宮は面倒ごとがいろいろと起こりそうだから」
「シェリルに結婚してほしいなんて思っていないわ。生活が変われば付き合い方も変化するのは仕方のないことよ」
いやだからね、なんで私との付き合いが終わってしまうような顔をしているのよ。
レイフ様はあなたを屋敷に閉じ込めておくような男じゃないんだから、いくらでも会いにくればいいだけなのに。
私だって会いに行くわよ。
「確かに環境が変わると、友人と話題が変わって疎遠になったりするわよね。子供を育てている人は、ママ友のほうが独身時代の友達より共通の話題があって話しやすいとか。でも私は失敗したけど結婚していた過去があるし、子育て経験者よ。今後、私に相談する機会も増えるんじゃない?」
お茶と一緒に用意された枝豆を使ったお菓子が美味しいわ。
カステラのような生地に、潰して砂糖を加えた枝豆を挟んでいるのね。
これってなんて名前だったかしら?
「あなた、お菓子のほうに気が向いているでしょ」
「美味しいんだもの。それに、どうせすぐに大丈夫だった。悩むことなんてなかったって思うことになるのよ」
「まあいいわ。もうすぐローズマリーも来るそうだから、この話はこれでおしまいにしましょう」
「まあ、ローズマリー様が? 合格したかどうか聞いてる?」
「合格ですって」
よかった。
ふたり揃って第一関門を突破出来たわ。
「それでユーインはどうなの? クロウリー子爵家にいるんでしょ?」
「うん。もうすっかり親戚の子って感じ。ギルバートと仲良くしてるわ」
「そう。でもそうよね。話してみたら、普通に気さくで話しやすい人だったから驚いたわよ。前に転生者の集まりに参加した時は、ヒーローとヒロインが付き合うべきだ。ヒロインを口説いて一緒に冒険者をやるって息巻いていたし、もっと傲慢な感じだったのよ?」
そうね。私もそういう説明を聞いていたわ。
でも以前はアードモアの人達とバルナモアの人達は、あまり仲がよくなかったんでしょう?
同じセリフでも状況が変われば、聞いた時に受ける印象が変わるものよ。
「実際に会って話をするうちに、こいつは思っていたヒロインと違うぞって思ったんじゃない?」
「その割にあなたに懐いているわよね」
「バルナモアに来るまでに、いろいろとあったのかもしれないわ。現実が見えてきて大人になったのかも」
「むしろ好青年っぽいわよね」
「自分の息子もあんなふうに育ってほしいって思わせるような子よ」
「あなた、最近はナチュラルにオバサンしているわよ」
そう言われても、もうこれで人格形成されちゃったのよ。
この世界で生まれた私の性格にオバサンの記憶が融合されて、今の私が出来上がっているんだから変えろと言われても難しいわ。
「失礼します。ワディンガム公爵令嬢がお見えになりました」
侍女に案内されて部屋にやってきたローズマリー様は、淡いピンク色のドレス姿で綿あめのように可愛かった。
でもどうしたんだろう。表情が暗いわ。
「シェリルも合格したんですってね。おめでとう」
「ローズマリー様もおめでとうございます」
部屋の入口まで出迎えて、お祝いの言葉と共に手を取り、今まで座っていた椅子ではなくソファーのほうに案内して、そのまま一緒に腰を下ろす。
侍女がお茶の用意をどこにすればいいのか迷っていたけど、アレクシアもローズマリー様の様子に気付いていたようで、テーブルに用意すればいいからと指示をして、すぐに下がらせてくれた。
「何かありました? 体調が悪いのならすぐに言ってください」
「そんなにわかりやすい?」
そりゃそうよ。
すっかり肩を落として沈んだ様子なんだもの。
「……昨日、父が倒れたの」
「え?」
「前から調子は悪かったのよ。今年に入ってからほとんど屋敷の外に出ていなかったから、いろいろ噂にはなっていたでしょ?」
私も勉強のために屋敷に閉じ籠っていたので、その噂は知らなかったわ。
でも、全く話題に出てこなくなったなとは思っていたの。
王宮で見かけないという話も聞いていたわ。
「受験の日は、まったくそんな感じじゃなかったじゃないですか」
「もっと軽く考えていたのよ。ときどき胸が痛いと蹲っていたり、眩暈がしてベッドから起き上がれない日があったりはしたけど、普段は相変わらず偉そうで、それに……」
ローズマリー様は言葉を切り、しばらく迷ってから顔をあげた。
「大嫌いだったから顔を合わせないようにしていたのよ。子供の頃は素敵なお父様だと思っていたのよ。でも年を重ねるにつれて、思っていたより出来る人じゃなくて、むしろ自分勝手で気分屋だと思うようになった。コーニリアスとの婚約を解消して第一王子と婚約させると言い出したときに、もうこの人は駄目だって見限ったの。私とコーニリアスが想い合っていて、ノースモア侯爵家とは代々いい関係を築いてきているのに、ありえないでしょう」
両手でスカートを握りしめながら一気に話してから、ローズマリー様は苦笑いを浮かべた。
「それなのに倒れたと聞いた時はショックだったわ。最近はお酒ばかり飲んでいるお父様の代わりにずっと忙しくしているお兄様や、明らかにお父様を避けているお母様は、いずれこうなると思っていたって冷静なのに、今になっておろおろしている自分が嫌なの」
「そんな、父親が倒れたら動揺するのは当然ですよ。顔に出していないだけでジョシュア様も夫人も心配しているんじゃないですか?」
「いいえ、お父様が倒れてくれてほっとしているわよ。あの人に任せておいたら、ワディンガムは潰れてしまう」
なんて返していいかわからずにアレクシアに視線を向けたら、彼女も同じように私を見ていた。
ワディンガム公爵だけが、家族の間で浮いている雰囲気はなんとなく察していたのよ。
他の三人はクロウリー子爵家とも王弟殿下ともうまく付き合っているのに、公爵だけが明らかに距離を置いていたしね。
「潰れてしまうというのは、少し大袈裟じゃない? ワディンガム公爵が問題を起こしたって話を聞いたことがないわ」
アレクシアは椅子に座らずローズマリー様の前に跪き、スカートを握りしめている手に自分の手を添えた。
「唯一レイフから聞いているのは、王女とジョシュア様を婚約させたくていろんな人に働きかけているって話かな」
「それが大問題なのよ。ベアトリス様が公爵家に嫁ぐわけがないじゃない。あの人は王族以外に興味がないの。陛下のお子様の中で一番次期国王にふさわしいのは、本当はベアトリス様なのよ」




