オバサンは本気で仕事と勉強が好き 6
どんな言葉をかければいいのかわからなくて、私は何も言えないまま黙って立っていた。
困ったことに周りも同じだったみたいだ。
アードモアの人達はヘンリエッタから目を背けて、迷惑そうな様子で黙り込んでいる。
たぶん今まで何度も迷惑をかけられて、彼女に関わるのが嫌になっているんでしょう。
ローズマリー様やアレクシアは驚いた様子で、ヘンリエッタと距離を取ろうとして身を寄せ合って椅子の後ろに移動してしまった。
こんなに感情を爆発させて、足を踏み鳴らして叫ぶ人なんて見る機会はそうそうないもんね。
武器でも持って暴れるんじゃないかって、怖くなるのもしかたないわ。
ラスボス殿下とレイフ様は、もうはっきりと不快感を露わにして黙り込んでいて、教皇とジョイ、そしてクロフは無表情よ。
つまり誰ひとり、ヘンリエッタを叱ろうとする人も慰めようとする人もいなかった。
まさかヘンリエッタも放置されるとは思わなかったんじゃないかしら。
永遠に泣き喚くなんて出来ないから、徐々に落ち着いてきて、周りの静けさに気付いて、いたたまれない気分になっているかもしれない。
これはどうしたらいいんだろう。
これだけの数の転生者がいたら、この世界に馴染めない人もいるでしょう。
でもどうしようもないのよね。
前世の記憶と転生して生まれた子供の性格やその子自身の記憶が融合して、どういう性格や考え方をする子になるかは誰にもわからないじゃない?
私だって無理して寝込んだり、感情が爆発して殿下に泣きついてしまったり、いろいろやらかして、どうにかヒロインの行動力やコミュニケーション能力と、オバサンの知識と経験がうまく合体して、非常に動きやすい今の私になった。
でも、もし家族がもっと子供らしくしろと言っていたら?
誰も私の話を聞いてくれなかったら?
こんなにいい形で融合できなかったかもしれない。
だから他人事ではないのだけど、それでもなあ、あまりに自分勝手すぎて関わり合いになりたくないと思ってしまう。
巻き込まれたら、もっと大変な思いをすることになるでしょう?
家族にまで迷惑がいくかもしれない。
「なるほど。前世の記憶があるせいで苦しんでいるんだな」
誰も手を差し伸べてくれないまま、泣きやんで立ち尽くしていたヘンリエッタに、しばらくしてクロフが声をかけた。
「実はここに来るときに神から、ヘンリエッタがこれ以上転生者仲間に迷惑をかける場合は、彼女の前世の記憶を消すというお告げがあったんだ」
「……え?」
「前世の記憶があるせいで苦しんでいるんだろう? いくらきみが騒いでも元の世界には戻れない。そもそもきみは元の世界には存在しなかったことになっているんだ。いくら泣いても叫んでも無駄なんだから、いっそ忘れたほうが楽だろう」
「そんなの嫌よ。私じゃなくなってしまうわ」
真っ青になって力なくその場にしゃがみこんだヘンリエッタを見つめるクロフの目には、全くなんの感情も浮かんではいなかった。
「いや、ヘンリエッタの記憶だけ残って転生者仲間のことも忘れたほうが、本来のヘンリエッタらしくなるんじゃないか? ゲームの中のヘンリエッタは国民に愛される優しい王女だった。両親にも兄にも大切にされて、幸せだったはずだ」
「嫌よ! そんなの私じゃない!」
うーーん。そうか、そうするしかないのか……。
いやでも、どうなの?
「シェリル、きみも納得できていないみたいだね」
名を呼ばれてはっとして顔を向けたら、口元に笑みを浮かべてクロフが見ていた。
彼を見ると視界の中に彼の斜め後ろに座っている教皇やジョイも見えるんだけど、彼らも私の様子を興味津々な様子で見ているのよ。
ヒロインの私が何を言うのか、実際はどんな子なのか、ここで確認したいのかもしれない。
「あのー、神の言うことはもっともだと思うんですけどね、ヘンリエッタはまだ十三歳なんですよ。十三歳って中学生で思春期突入して、厨二病なんて言葉があるくらいに変な行動を取る子が出現する時期なんです」
「厨二病……ああ、そうだね」
わかってる?
早く転生した分、クロフは前世の記憶があいまいになっている量が私たちよりも多い?
「そんな子も高校に行く頃にはだいぶ落ち着くものなんですよ。中にはそのまま悪い道に進んじゃう子もいるので絶対とは言えませんけど。だから、あまりに極端な罰を与える前に、もう少し何か猶予があってもいいのではないかなと……」
子供から大人に体が変化して、精神的に不安定になる時期でしょう?
そこに適応できない世界で王女として暮らすストレスが重なって、それで助けてほしくて極端な行動に出ているのかもしれないわ。
ただ本当はこういう時は専門家にお願いするのがいいのよね。
周りが下手に庇おうとして傍にいると、その人まで精神がやられてしまうかもしれないから。
「確かにきみの知っている問題だけを見れば、そういう意見が出るのもわかるよ」
「……まだある?」
「うん。彼女はすでに二回、誓約を破っている。その場の勢いで自分は転生者だと言おうとしたんだ」
誓約って、最初に殿下に会った時に結んだやつよね?
ヘンリエッタの場合は神に直接会って、その時に誓約を結んだのよね?
それを破ったの!?
「嘘だろう……」
それは他の人達も初めて聞いたようで、いっせいに非難の目がヘンリエッタに向けられた。
「誓約の効力で声が出なくなって話せず、その場で倒れて医者が呼ばれて大騒ぎになっただけで、転生の話は漏れてはいない」
なっただけって……王女が突然話せなくなって倒れるって大変なことでしょう。
ああ……それでもう王位継承の話は消えたのね。
「二回だと……」
「記憶を消したほうがよさそうだな」
殿下と教皇は、ヘンリエッタを庇う気をいっさいなくしたというか、元からないわね。
いやもう、全員がこれ以上彼女に迷惑をかけられることを嫌がっている空気だわ。
「それは……だって……王女はこうじゃなくちゃいけないとか、座り方や歩き方まで細かく指示されて」
「そんなの私もそうです。貴族に生まれたらみんながそういう訓練をしますし、姿勢がよく所作が美しい子供は、いい家の出なのかしらとか、親御さんがしっかりしている人なのねって、前世でも言われていたでしょう?」
どうしてこの子は、こんな幼い考え方をしているの?
アードモアではしっかりと教育をしていないの?
両親は? 王女の教育をどうしていたの?
「嫌だから窮屈だからって自分勝手にしていたら、そりゃあ周りはあなたから離れていくわよ。人に迷惑をかけてはいけない、約束を守らなくてはいけないって習っていないの? 今の世界で習っていなくても、前世の親御さんや学校で習ったはずよ」
ああ、こういう時に放っておけない自分が嫌だ。
でも私の娘だって反抗期はあって、喧嘩したことも何度もあって、ぶつかり合う中で絆が深まったこともあるから、ここで全員が見放してしまうのはどうかと思ってしまう。
せめてもう一度だけ、チャンスをもらえるのなら頑張ってみてほしい。
「だって誰もわかってくれなくて、どうでもよくなっていて」
「じゃあ記憶を消すしかないわね」
この期に及んでまだそんなことを言うの?
ごねれば誰かが助けてくれるなんて甘えは捨てなさい。
「王女はどういう立場か。何をすればいいか。人との接し方はどうすればいいか。嫁ぐ可能性のある国はどんな国か。全部、自分で調べて学ばなくちゃ。わからないことは専門家に聞かなくちゃ。王女ならいくらでも学べるでしょう? たくさん学んで世界を広げれば、自分はどうすればいいか、何が出来るのかがわかるから。そうしたら楽しくなってもっと学びたいと思えるかもしれないわ」
「きれいごとを言わないで。勉強なんて嫌に決まっているでしょう」
「え? 勉強、楽しいのに? ありがたいことに転生者はみんな、優秀な頭脳を持って生まれているでしょ? するする頭にはいって面白いわよ? こんなに学べるのは今だけよ?」
「あなたおかしいんじゃないの?」
「ちょっとちょっと」
今までいっさい話さなかったホリーという女の子が、早足で近付いてきてヘンリエッタの隣にしゃがんで腕を掴んだ。
あの窓際の場所からここまで、いつの間に近付いていたの?
この子も冒険者なのかしら。
紺色の髪を肩の上で切りそろえてカチューシャで髪を止めている。
くりんとした大きな目も藍色で、日に焼けた健康的な雰囲気の女の子だ。
「さわらないでよ」
「いいからちょっと聞いてよ。彼女にとっては勉強できるって言うのは本当に楽しいのよ」
声を潜めてもこの距離だと聞こえているんですけど?
「はあ?」
「戦時中に生まれたから勉強できなかったのよ。だから今は勉強が出来て嬉しくて……」
「ちょっと待った!」
思わず叫んだわ。
ずかずかと歩み寄って、上から上体を屈めてふたりを睨みつけたわよ。
「戦時中がなんですって?」
「え? 生まれが昭和で……」
「私の両親でさえ戦後生まれでしたけど?」
「えええええ!?」
なにそれどういうこと?
アードモアでは私はいくつだと思われていたの?
「だって、リンジーがヒロインは孫がひとり立ちするくらいの年齢だって言ってたから……」
「あいつ……」
マドック公爵子息が頭を抱えて呻いた。
どうやら今日参加していない転生者が、妙な話を流してしまったようね。
「成人して結婚したのは娘。孫はまだ赤ん坊」
「え!? そうなの?」
「戦時中生まれってことは、私は八十以上だったってことよ。それじゃオバサンじゃなくてオバアサンでしょ!」
「うわあ、ごめんなさい」
顔の前で手を合わせて謝るホリーは、ヘンリエッタと同じくらいの年かしら。
明るくて表情豊かで可愛い。
たぶん男の子に人気があるタイプだわ。
「せっかくマガリッジ風料理を持ってきたけど、どうしようかしら」
「うわあ、楽しみにしていたんです! 許して!」
がばっと立ち上がって縋り付いてくる素早い身のこなしは、おっとりした御令嬢とはやはり違うわね。
「わかったから落ち着いて。そろそろ料理を配りましょうか」
「そうね。あなたも手伝ってよ」
「はーい」
ローズマリーに言われて、ホリーは嬉しそうに返事をした。
「それで……あなたはどうするの?」
もう他の人達はヘンリエッタへの関心をなくしている。
なくしてはいなくても、ここで声をかけてたよられるのは嫌なんだろう。
「そのままそうしていても誰も助けてくれないし、何も変わらないわよ。このまま記憶を消されるか、もう一度チャンスをもらえるようにクロフを説得するか。その場合はもう我儘を言える立場ではないと思わないと駄目よ」
まだ納得がいかないようでヘンリエッタは不満げに私を睨みつけ、泣きつく相手を探して料理をもらいに集まっている転生者たちに視線を向けた。
どうやら私の言葉は届いてはいないのね。
「シェリルに免じて食事が終わるまでは猶予をやろう。それでも今の態度なら記憶を消す。心を入れ替えてやり直すというのなら、更に一週間の猶予をやってもいい」
クロフが近付いてきて冷ややかにヘンリエッタを見下ろした。
背が高いから、ヘンリエッタの位置からはだいぶ怖く見えるんじゃないかしら。
「一週間なのね」
「すでに二回、やり直す機会を与えて駄目だったんだ。それでも甘すぎるくらいだ」
そういえば、記憶を消すかどうか決めるのは神ではなく、教皇でもなく、クロフなのね。
もしかして、この人が神だったりしないわよね。




