第473話 お風呂造り
野営地に着くと、黙々とついてくるだけだった使用人たちが一気に散って、忙しそうに宿営準備を始める。なにしろ五十人を超える団体さんなのだ。飯を作るにもテントを張るにも、えらく手間がかかるのは仕方ない。
「汗かいちゃったね」「うん、身体中、べたべた……」「お風呂、入りたい」
こっちでは、一日慣れない行軍をがんばり抜いた子供たちが、ぼやいている。
元世界の中世ヨーロッパでは、あまり頻繁に風呂に入る習慣はなかったようだが……こっちの世界でも、どうやら入浴は贅沢な習慣らしい。庶民は濡れ手拭いで身体を拭く程度がせいぜいで、毎日湯浴みするのは高位貴族や有力商人の特権であったようだ。
だけど俺は、入浴大好き民族の日本人だ。毎日風呂に入りたいし、衛生や健康のために、領民にもできるだけ入浴習慣を広めたい。鉱山のほうに温泉は湧いてるけれど、あれはちょっと遠すぎて、気合いを入れないと訪れられないしなあ。
そんなわけで俺は、バーデン領の領都シュトゥットガルトに数ケ所の公衆浴場を設けさせ、格安でお風呂が楽しめるようにしたんだ。
コストが心配だったけれど、そこは「売るほどいる」帝国出身の水魔法使いで解決だ。
水魔法使いの主な能力は水を生み出すことだけれど、彼女たちは、ある程度水温を変えることができるみたいなんだよね。リーゼ姉さんみたいに氷を作ったり、ティナみたいに熱々の水蒸気を発生させたりというのは無理だけど、冷水をぬるま湯に変えるくらいなら、多くの魔法使いにとっては、息をするようにできることなんだそうだ。
もともと水魔法は、平時なら農業くらいしか役に立たないとされてきた。
今はメルのおかげで、魔法制御力に優れた連中はフリーズドライ工場で稼いでもらっているけど、大勢いる魔法使い女性は、みんながそれほど器用な奴ってわけじゃない。そういう繊細な技術を持っていない人たちの力を合わせて、公衆浴場に「ちょうどいい温度の水」を供給してもらっているというわけさ。
もちろん、領主館には俺たち家族や、子供たちが使う風呂がしつらえられ、毎日入浴することがもう習慣づけられている。そんな生活に慣れた子供たちが、汗で濡れた身体を湯で清め、冷えた手足を温めたいと望むのは、ある意味当然なのだが……さすがに森の中では無理でしょ。近くに小川はあるけど、そこに流れる水は思いっきり冷たい。今回の旅には火魔法使いも水魔法使いも炊事なんかに必要最低限の人数しか連れてきていないし、お風呂を作るのはあきらめてもらうしかないよな。
「ああ、お風呂ですね。ちょっと待ってください、準備しますから」
だが、アヤカさんは、何でもないことのように請け合うのだ。
いやまあ、アヤカさんくらい有り余る魔力があれば、いろんなことができるのかもしれないが……闇属性の魔法って、デバフとか精神支配とか手裏剣ブーメランとか、おっかない術ばかりだったような気がするけどな? それのどこに、お風呂作りに役立つ能力があるというのだろう。
「ではミカエラ様、申し訳ありませんけれど……」
「これ、苦手なんですよねっ! でもお風呂のためなら仕方ありませんっ! ふうっ!」
すでにミカエラとの間では、話が付いていたらしい。彼女がアニメ声の気合を入れると、河原の土がうねうねと動き出し、あれよあれよという間に直径十メートルくらいの丸い窪地ができた。石撃ち攻撃に特化して、土木工事系は苦手と言っていたミカエラだが、さすがはSクラス。このくらいのことならば軽々とやってのける。
「はあっ!」
二度目の気合で、川水に洗われてなめらかになった小石が一斉に浮き上がった。小石はものすごい勢いで窪地に敷き詰められて、まるで岩風呂のようなものを形作った。最後にミカエラが細い溝を掘って……澄んだ水が即席の浴槽に引き込まれる。
「さすがミカエラ、見事なもんだな。だけど、水風呂じゃ身体が冷えて、風邪をひいちゃうよ」
そうだ、雪が溶けたとはいえ、季節はまだ春とはいえない。川を流れる水は身を切るような冷たさで……ここに身を浸すなんてのは、まさに修行みたいなもんだぜ。
「ええ、もちろん、温めねば使えませんね」
ふわりと微笑んだアヤカさんが、両手を組んで印を結ぶ。と……彼女の隣に、不意に白い影が現れる。凝視すればそれは奇妙な形をした杖を持つ、女性の姿みたいに見えて……。
「お願いします」
アヤカさんが穏やかに命ずると、白い影が小さく杖を振って……その頭上に、バスケットボールくらいのでっかい火球が顕現した。もう一度杖が振られると、その火は一直線にさっきの浴槽もどきに向かって飛び……そのまま水面に飛び込んで、派手な湯気を噴き上げた。
「こんなものではないかと思いますが……ああ、ちょうどいい湯加減ですよ」
岩風呂にその白くしなやかな手を突っ込んだアヤカさんが、涼しい顔で微笑んだ。おいおい、これはいったい、どういう魔法なんだよ?




