第472話 ハルトと騎獣
「わあ、らくちん!」
ファニーのはしゃぐ声が、こっちまで聞こえる。
振り返れば我が娘が、魔狼サガミの背中に揺られ、満面の笑みを浮かべている。そのすぐ後ろには、サガミの連れ合いであるムサシが、ホノカを乗せてゆったりと歩いている。
時刻は、昼過ぎ。ヴィーの治癒魔法で身体的な疲労はとれるとはいえ、歩きの長旅など初めての子供たちだ、半日もたてば飽きてくる。代わりばんこに俺がおんぶしてやっているけれど、身体も心も強靭なヴィーとレーアを除いた子供たちは、精神的な疲れを訴え始めた。
「それなら、みなさん。わたしのおおかみさんに、のってみませんか?」
少しだけお姉さんのホノカが、子供たちの疲れた様子を見て、こう言って誘ったのだ。ホノカの眷属となったこのつがいは、選びに選んだ個体であるらしく、通常の魔狼より大きい。人間の大人くらいの体躯を持っていて、子供なら十分乗せて運べるのだ。
馬であれば俺やグレーテルと一緒に乗ったことがある子供たちも、さすがに魔物の背中には抵抗があったらしいが……先頭を切ってその提案に乗ったのはやっぱり、好奇心の塊のようなファニーだった。
クッション付きの装具を着けたサガミにまたがったファニーは、大人に頼らず一人で騎獣に乗るという体験に、いたく盛り上がっているらしい。まあファニー自身が魔狼を操っているわけではなく、ホノカの指示で動くサガミに運んでもらっているだけなのだが……いつもより高い視点から見る景色が新鮮に見えて気分がアガるのは、俺にも経験がある。
きゃあきゃあと騒ぐファニーは、魔獣にとってうるさい邪魔者以外の何物でもないと思うのだが、サガミは落ち着き払って、乗り手を揺らさないように柔らかく歩を進めている。アヤカさんの指導があるとはいえ、わずかの間にここまで魔物を飼いならすとは……ホノカのテイマースキルが非凡なものであることは疑いない。
「ハルトさまも、いかがですか? ムサシも、おとなしくていいこですよ」
だが、ホノカの可愛らしいお誘いに、ハルトは思わず後ずさった。
「いや、おれ、おおかみとか、こわいし」
ま、その気持ちはわからなくもない。いくらホノカの精神的影響下にあるといっても、相手は魔物なのだ。そして、子供の頭などひとかじりかと見える大きな口からは、鋭い牙がのぞいていて……普通の子供なら、怖いという感情以外が湧かないだろう。誘われてすぐに、疑いを抱くこともせずホイホイと魔狼に対して警戒を解いてしまうファニーの大らかなキャラが、特別なのだ。
だがここは我が息子に、この世界の心得を伝えねばならないだろう。
「なあ、ハルト」
「うん、なあに?」
「変な意地を張らず、怖いことを、ちゃんと怖いと言えるのは、とても立派なことだ。カッコつけずに素直に自分の気持ちを語れるのは、お前のいいところだ」
「……そうかな」
「だけど、もっと大事なことがある」
「それはなに?」
「お前を大事に思ってくれる女の子が言うことを、ちゃんと聞くことさ。この世界の男は、女性の力を借りなければ、何もできない弱い存在なんだ。だからこそ、強い女の子を信じて、頼るんだ」
このへんが、元世界とはまったく違うところなんだよなあ。前世では、女性に頼ってもらえることが、男の誇りだったのに。いつしか俺もこっちの世界になじんで、息子に「女性を頼れ!」って説くようになってしまった。
「そっか……とうさんのいうことはわかったよ。ほのかがそこまですすめてくれるんなら、こわいけど、やってみようかな」
「わあ、うれしいです! ほら、はるとさま。わたしがしっかりおさえていますから、だいじょうぶですよ!」
ホノカが魔狼の首筋に掌を触れ、耳元で何かをささやきかけると、ムサシは膝を折って、犬が「伏せ」をするみたいな体勢をとる。ハルトはまだ明らかにびくびくとキョドっていたが、グレーテルが背中に手を触れてやるとようやく覚悟を決める気になったのか、何回か深く息を吸ったり吐いたりして……やがて目を大きく見開いて、一歩大きく踏み出した。
「うん、おれ、おおかみにのる。むさし……おれをのっけて、くれる?」
狼が、小さくうなずいたように見えた。
ハルトが小さな身体で、魔狼の背にくくりつけられた革の装具にえっほえっほとよじ登ると、ムサシがゆっくりと立ち上がった。怖がりの乗り手が驚かないようにと、精一杯気を遣っているようだ。
「うわっ、たかいなあ。でも、きもちいいかも」
ハルトの顔に、珍しく男の子っぽいワクワクした笑顔が浮かぶ。そうだよなあ、あのくらいの齢なら、十円遊具のキリンさんに乗って揺られるのが好きだった昭和の俺だ。
「ね、ながめが、いいでしょう? じゃあ、ゆっくりとすすみましょう。むさし、はるとさまに、こわいおもいをさせないように、やさしくおねがいね」
「おおっ、すごい。そんなにゆれないし、やわらかいし……いいな、これ。だいじなともだちをかしてくれて、ありがとう。おれ、やさしいほのかが、すきだ」
「……はるとさまに、そういってもらえるなんて、しあわせです」
ぽっと頬など桜色に染めるホノカ。我が息子は、早くも見境ないたらしの才能を発揮しているようで……父親としては喜ぶべきなのか、嘆くべきなのか、迷うところだなあ。




