第465話 ホノカの新技
カオリにいざなわれるままに向かった育成所の裏で、俺は信じられない光景を見た。
まだ四、五歳にしか見えない幼女に、黒い狼が二頭覆い被さろうとしている。しかもそいつは普通の狼より体格も大きく……あれは忘れもしない、バーデンの勇敢な兵たちからあまたの生命を奪った、魔狼じゃないか。
「くっ!」
もちろん、一刻も早く助けなければ。
俺は多少剣をたしなんだとはいえ、魔狼に勝てるなどとうぬぼれることのできる腕前ではない。しかも相手は二頭……本気で立ち向かっても、奴らのエサが幼女から俺に変わるだけだろう。だけど、目の前で幼い子供が危機に至っているのを、黙って見過ごすわけにはいかない。
やや悲壮な覚悟で剣を抜こうとした俺の手を、白く小さな手が押さえる。その手の持ち主は、駄々っ子の弟をなだめるように優しく落ち着いた目を俺に向けた。
「大丈夫ですよ、あれはホノカの眷属なのです」
「眷属だって?」
カオリの意外な言葉に驚いてもう一度魔狼の方を見れば、今にも魔物に組み敷かれようとしていた幼女は、我が娘ホノカだ。そして、娘を襲うように見えた魔狼はよく観察すれば何やら上機嫌で、まるで主人にじゃれつく飼い犬のように見えなくもない。
「ええ。ホノカはついに、魔物を魅了し、仲間にする業を身につけたのです。お母様の死霊使役術もすごいですけど、魔狼までああやって引き寄せて従わせるホノカの術は、すばらしいもの。我が妹ながら、誇らしいです」
「とても、信じられないが……」
いや、信じるしかないだろう。我が娘ホノカは、魔狼の赤い舌に頬を舐め回され、きゃあきゃあと喜んでいる。そして近くにうずくまったもう一頭の魔狼をもふもふ枕にして、大の字になって昼寝を決め込もうとしている。
「ホノカ!」
「あ、とうさま!」
俺の声で跳ね起きたホノカが、満面の笑みを浮かべていっさんに駆けてくる。しゃがんで両手を広げてやれば、そこにゴムまりのように弾む身体が飛び込んできた。さっきまで地面を転げ回っていたせいでその身に染みついた草の香りを、胸いっぱいに吸い込む俺だ。
眷属になったという魔狼はほえることも暴れることもなく、ホノカのちょうど二メートルばかり後ろに、二頭並んでちょこんと「お座り」している。本当に、よくしつけられた飼い犬みたいだ。やたらとでかいけどな。
「ホノカ、魔物を手懐けることができるようになったんだな。すごいじゃないか」
「えへへ。とうさまやかあさまにほめてほしくて、がんばったの」
「いつからこんなことができるようになったんだ?」
「う〜んとね、おおかみさんとともだちになったのは、ひとつきまえくらいかな。まものがいっぱいきたときがあったでしょ。あのときからかあさまが、れんしゅうしなさいって」
そうか。魔物大襲来のとき、ホノカの「魅了」が魔物にも実によく効くってことが証明されたからな。子供の将来像をきちんと考えているアヤカさんは、これを単なる魔物を引き寄せる撒き餌術だけとは考えず、魔物を従わせて己のために働かせることに使えると踏んで、娘にテイマー修行を課したというわけだ。
いやはや、この子はまだ四歳なのだが……そこまで厳しい要求を突きつけなくてもいいんじゃないかと思ってしまう俺は、元世界のぬるさをまだ引きずっているのだろう。
「さいしょは、ねずみさんだったの。つぎがうさぎさんで、そのつぎがごぶりんで、そのあとやっとおおかみさんをつかまえたの。このこたちはつがいだから、そのうちこどもができるでしょ……そのこもおともだちにするつもり!」
おいおい、放っておくと、魔狼の群れを引き連れて闊歩する、超絶危険物娘になってしまいそうだ。
「それでね、つぎは、おーくとともだちになりなさいって、かあさまはいうの。おおかみさんとちがってかわいくないから、ほのかはあんまりやりたくないんだけど、しょうらいのためにひつようなんだって」
なるほど。アヤカさんは、こうやって徐々にテイムの難度を上げていかせようとしているわけか。最終的にはどこまで行くのだろうか……オーガーを率いて戦う我が子の姿は、あまり想像したくないが。
「ほら、ムサシ、サガミ、このひとが、わたしのとうさまだよ、ごあいさつして!」
ホノカの言葉に応えて、でかい黒狼が二頭、ゆっくりと近づいてくる。
「とうさま、なでてあげて」
自慢じゃないけど、俺は犬科が大の苦手だ。元世界で子供の頃、なぜか近所の犬に追い回されて毛糸の手袋を奪われた恐怖が、深く記憶に刻まれているのだ。ましてやこいつらは魔物で……いくらホノカが慣らしているとはいえ、本能的な怖さが、俺をあとずさらせる。
「だいじょうぶ、こわくないよ、ほら」
まるで幼い子をなだめるような口調で我が子にうながされるのは、かなり不本意だ。だがここでビビっていては、父親の沽券にかかわる。ムサシと呼ばれた雄狼の頭にこわごわ手を伸ばす俺だが、狼の方は威嚇するでもほえるでもなく、静かに受け入れてくれているようだ。
だけど、サガミと名付けられた雌狼に触れた時の反応は、全く違うものだった。




