第463話 闇一族ジュニア
そういえば、今日の昼間には珍しく、何の予定も入っていない。まあ、夜になると「リラの会」関係のアレが待っているのだが、とにかく日中は自由時間だ。ならばと俺は、頼れる秘書役のほうに振り向く。
「ねえアゲハ、里の子供たちを訪ねようか?」
「それはよろしゅうございますね!」
いつもはねっとりと絡みつくような話し方をするアゲハの声が、たった今ばかりは弾む。もちろんそれは、愛娘ルリと触れ合えるからだろう。
同じ護衛役であるミカエラの子ガブリエラは領主館で育てられているけれど、アゲハの子ルリは、闇一族の里にある集団育成施設で生活している。ナディアやジークリットも領主館にいるのだから、ほとんど領主館に詰めているアゲハの子も遠慮せずそこに預ければいいように思うのだが、彼女は丁重に謝絶し、娘を闇一族の先達たちに託したのだ。
「この娘には、ルッツ様、またそのお子たちをお守りする責務がございます。厳しく育て、戦える子にせねばなりませんので」
しれっとそう言われると、反論もできない。アゲハはもはや自分だけでなくその子にも、いざとなったら俺やハルトのために生命を張らせると決めてしまっているのだ。相変わらずアゲハの覚悟は重いものがあるのだが……それがルリの可能性を狭めないよう、願うばかりだ。
「ルッツ様のご配慮は嬉しく存じますけれど、ルリとて年頃になったらその魂が叫び出すはずです。この世の何よりも大切な尊き父子様に、すべてを捧げよと……」
いやいや、すべてを捧げられると、むしろ困るんだけど。背中に冷たい汗をかく俺に、アゲハは妖艶そのものなのに幼さを残した、昭和男子にどストライクの微笑みを浮かべた。
「そうですね。私も娘にルッツ様を渡すのは口惜しゅうございますから、ルリはハルト様の護衛としてお仕えさせることにいたしましょう」
ま、それならありかと胸を撫で下ろす俺だ。ハルトの種馬能力はまだ未知数だけれど、モバイルバッテリー能力だけでもあっちこっちから狙われるであろう存在だ。なのに本人は身体を動かすよりのんびりする方が好きなインドア派で、どう見ても武術は苦手、自分の身を守るのもおぼつかないだろう。今のうちから護衛役の一人や二人予約しておくのも、いいかもしれないな。もっともアゲハの言う「お仕え」は、護衛以外の意味も多分に含んでいそうな気がするけれど。
そんな会話を交わしつつ、街を横切って闇一族の里に向かう。気の利くアゲハは、道々子供たちへの手土産になるお菓子詰め合わせなどを、さり気なく買ってきてくれる。まあ、里の子供たちが俺を歓迎しているように見えるのは、実のところお土産の甘物を歓迎しているのだから……俺の頼りない人気をつなぎとめるためには、準備が必須なのだ。
そして、街外れにある鎮守の森を抜けると、そこは闇一族の里だ。すでに移住五年目にも入ると街並みもすっかり闇一族好みに完成して……元世界の妻と訪れた京都太秦の映画村みたいだ。ちなみに、里の向こうにはSA◯UKEを彷彿とさせる超ムズ難度のアスレチック設備があって……主に男どもが苛烈な筋肉ゲームに毎日勤しんでいる。試しに俺も一回だけ挑んでみたが、あえなく第一ステージで敗退。まあ、こういうのは専門家に任せるのが一番だ、うん。
「わあっ、御屋形様だ!」「ほんとだ!」
育成所に入ると、年かさの子どもたちにわあっと囲まれる。菓子目当てとはいえ、子供たちにちやほやされるのは、悪い気がしない。
「お前は、ヨダカだったな。壁跳びはうまくなったか?」
たまたま覚えていた華奢な男の子の名を呼べば、その顔がパッと輝く。
「はいっ、御屋形様! やっと三メートルを越えられるようになりました!」
「それはすごいな、まだまだ伸びるだろうね」
これはもちろん、元世界の陸上競技でいう走り高跳びなんかとは違うやつだ。闇一族の壁跳びは、スポーツマンシップとは無縁の、後ろ暗い忍び仕事のためのもの。高い壁で守られた邸宅に忍び込むため、ジャンプ一番壁のてっぺんに手をかけて、一気に自分の身体をその腕力で引き上げる、どこかのブートキャンプみたいにハードな訓練なのだ。
一族の男は成人になると四メートルくらいの壁を軽々と乗り越えることができ……二人組なら一人がもう一人を投げ上げることで、六メートルくらいの壁に跳び上がれるという。目の前の少年はまだ十歳を少し超えたくらいだが、かなり優秀な成績を残しているようで、将来が楽しみだ。その肩に右手を置いて軽く励ませば、少年の頬が紅潮する。
「は、はいっ! もっと修行して、お屋形様のお役に立ちます!」
う~む、スイッチが入るのはいいことなんだが、菓子目当てにしては、気合が入りすぎているようだ。張り切りすぎてケガをしないように、適当にやってもらいたいなあ。
「俺、男子の中では、一番壁跳びが得意なんです、でも……姫様のアレには、とても敵いません」
高揚していた男の子が、そう口にして羨望の視線を向けた先には、肩より少し伸ばした黒髪を色鮮やかな組紐でまとめた五歳くらいの少女が、はるか見上げる高さ……十歳超えの少年が自慢した、三メートル高さの壁に挑んでいた。




