第462話 社畜なチヒロ
「あれ? 何で君、ここにいるの?」
「それは私が、シュトゥットガルト家の家令なのですから、当たり前なのでは?」
「いや、そういう意味ではなくってさ……」
俺とチヒロの会話は、他人からは漫才みたいに見えるだろうなあ。だけどちょっとやりすぎだと思うんだ。今朝出産したばかりの彼女が、夕方にはもう屋敷に現れて、あれこれと指示を出しているのだから。
そう、チヒロとの「夜の採用面接」から、もう九ケ月がたったわけだ。もちろん例に漏れず一発命中した結果として、ちょっと小柄だけれど健康そのものって感じの黒髪女子が、本日この世に生を受けたばかりだ。一時間ちょっとの超安産だったのは、おそらく俺が手を握って、魔力を注ぎ込み続けていたからだろう。俺の魔力に安産効果があるってわかってからは、できる限りこうして立ち会い出産をするように心掛けている。
だけど、まだその時から半日もたっていないのだ。いくらグレーテルの最高級治癒魔法を施されて身体の傷は癒えているとはいえ、精神の疲れまで取れるわけじゃない。それに、初めての我が子とようやく対面できたのだ……今日くらいは母子だけで過ごさせてあげたかったのだけど。
「ふふっ。そういうところを気にして下さるルッツ様は、素敵だと思いますよ。ですが私は娘を愛する以上に、家令の仕事が好きなのです。明日は王都から視察団がおいでになります、ミフユ姉さんに任せておいても大丈夫だとは思うのですが……やはり最終確認を、私の目で行わないと。ああゲオルグさん、手土産のチェックをしますから、応接のテーブルに並べておいてくださいね!」
ううむ。この世界の高位魔法使い女性はみんな働き者だけど、闇一族の、いや特にチヒロのワーカホリックぶりは、飛び抜けている。最初は中世欧州風のくそ面倒くさい貴族マナーに戸惑っていた彼女だけど、闇一族らしい情報収集力と、時間も労力も惜しまぬ勉強と修練の成果で、いまやどこの大貴族家に出しても恥ずかしくない敏腕家令だ。
もはやチヒロのいないシュトゥットガルト家なんて考えられないよな。それだけに、心身ともに健康でいてもらわないと。工業視察団とかいう連中は確かにVIPなのかもしれないけど、彼らを喜ばせるために、無理して欲しくないんだよね。
「やっぱり御屋形様はお優しいですね。ですけどご心配なさらないでください。私はこのお仕事……御屋形様からいただいた家令という重職を、心の底から誇りに思っています。多少忙しくても、それはご褒美みたいなものです」
なんか昭和のモーレツ社員みたいな香りがする台詞を吐くチヒロの姿に、これでいいんだろうかと首をかしげる俺だ。まあ、この世界で生きていくことは、元世界のように優しくはない……軽々しく俺が口を突っ込むことではないのだろう。
「ですけど、御屋形様が作って下さった『託児所』は素晴らしいです。おかげで私も仕事の合間にマヒルの様子を見に行けますし、執事たちも子連れで働けますから」
そう、バーデンの領主館に、従業員向けの託児所を作ったんだ。
もともとそれは、ファニーやヴィー、ハルト、そしてマリー……といった「俺の子」をまとめて、グレーテルの実家であるハノーファー家から送られてきた過剰な乳母たちが面倒見る仕組みをつくったのが始まりだ。忙しい母親たちが目いっぱい働くためにも、子供たちに「幼馴染」をつくってあげるためにも、この仕組みはなかなか役に立った。なのでヴィーたちが乳離れした後も、アントニアの子ヴィルマ、フィオの子ナディア、ツェリの子ジークリット、ミカエラの子ガブリエラたちのために、「俺の子託児所」は存続している。
そっちがうまくいったことで、領主館やその周辺で働く従業員のためにも「託児所」を作れないかと何気に口走ったら、執事や庭師、料理人を含めて一気に食いつかれ、あれよあれよという間に従業員用託児所が開設されたってわけだ。
館やその周辺で働く人は二十代の子持ちさんが多い。もちろん男性が多いのだが……ここは女性の方が社会貢献度が高い世界だ、授乳を除く子育ては男性の仕事とみなされている。彼らは仕事を半日にしたり、老親に頼ったりいろいろと工夫して働きながらも幼子の世話をなんとかこなしていたのだが……職場に託児所があればフルタイムで働けるし、子供に何かあった時の対応もスムースだ。
そんなわけで従業員託児所は大人気、あっという間に預かる子供が二十人を超え、追加の保育士を雇う羽目になっている。もちろんその保育士は、男性なのだが。
「少なくない費用が掛かるというのに、従業員の生活をよくするためにこのようなすばらしい施設を……やはり御屋形様は、大きな器量をお持ちでいらっしゃいます」
いやいや、元世界では、普通にあった仕組みだからね。まあ、ブラック労働上等、福利厚生なんやそれ、というこの世界では、新しく見えるのだろうか。
「ありがとう。だけど……マヒルを預けるの、従業員託児所でいいの? 俺の子なんだから、ガブリエラやヴィルマたちと一緒に育てた方がよくないか? 世話も手厚いし、魔法の教育だって……」
「いいえ。マヒルには、私の後継となってもらわねばなりません。そのためには将来の執事や庭師と、心を通わせるほうがより大切です……ですから、あえて従業員と一緒に育て、強いきずなを育んでおくのです。私たち母子は、御屋形様を陰ながらお支えする役目を、生涯果たします」
俺に向けられた茶色の瞳には、強い意志が込められている。男としてはとてもうれしいのだけれど……こんなに尽くしてもらっても、ふさわしいものを返せる気がしないぞ。小心者の俺としては、ちょっと心配だなあ。




