第456話 ファニーの挑戦
いつもは口数の多くないベアトが、目の前に座らせたファニーに、長い長い説明をしている。表情は安定の陶器人形顔のままだけど、よく見るとその額には、汗の粒が浮いている。
「……ということを、父と母は考えている。母はお前に、将来のベルゼンブリュックを背負ってもらいたいと思っているが……国民に認められるためには、知恵と人徳だけではダメなのだ」
活発で、いつも動き回っているファニーも、常にない母親の真剣な面持ちに、幼いなりに感じるものがあるのだろう。きゅっと背筋を伸ばして、一言も半畳をはさまずおとなしく聞いている。いかにもファンタジーな空色の瞳が不思議そうにくりっと動くのが、可愛らしくて仕方ない。少し首を傾げれば、肩まで伸びた碧色の髪が、美しく広がる。まるでサラサラという音が聞こえてきそうな、そんな心奪われる光景だ。そして不意に、その小さく愛らしいピンク色の唇が、跳ねるように開く。
「ふうん、ふぁにーが、もえてるおじさまと『けいやく』すれば、ははうえはよろこぶの?」
「うむ。そうなったら、とても嬉しい。だが精霊王の力は偉大で、恐ろしいものだ。契約に失敗すれば、ファニー自身が危うくなる」
「いいよ。がびーに『おうえん』してもらって、おじさまとけいやくする」
あっさり承諾するファニーに、ベアトの眉がびくりと震える。この子は、街外れにある鎮守の森に、ランチを携えて遠足に行くようなつもりで、この話を受け止めているのではないかと、俺も心配になってしまう。ちなみにガビーというのは、ガブリエラという発音がうまくできないファニーが、「わたしの、だいじないもうと」につけた愛称だ。
「いや、そんなに簡単に決めていいことではない。痛い思いをするかも……いや、死んでしまうかもしれないのだぞ」
「だいじょうぶだよ。おじさまは、わるいせいれいさんじゃないもの」
「し、しかしだな……」
「だってそれが、こくみんのためになるのでしょう? かあさまも、ぐれーてるははうえも、いつもいってたよ。あいするたみのためにいのちをはるのが、きぞくの『のぶれす・おぶりーじゅ』なんだって。わたしも、おうぞくだよ?」
そう口にして、にぱっと笑うファニーがマジ天使に見えるのは、親バカのせいだけではないはずだ。グレーテルたちの教育がやや行き過ぎていた気も、しなくはないが。
「むう。我が娘は、私が知らぬうち、勝手に成長していたようだ。ファニーの言うことは正しい。そして、この賭けに勝てば、ファニーが得るものは大きい……私は、愛する子の気持ちを応援したいと思う。我が夫も全力で、支えてくれるであろうな?」
驚きとともに、もはや賞賛の意思をその表情に浮かべている妻の姿を見て、どうして否が言えようか。こくこくとうなずくだけの俺なのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
一面、ミモザに似たシルバーリーフで埋め尽くされた平原の中に、半径二十メートルばかりの広場が造られている。この植物群は、魔物の死骸や瘴気で荒れた大地を癒やすため、ベアトが魔法で生やしたやつだが……彼女がほんの一分ばかり何かモゴモゴとつぶやいただけで、まるで円形脱毛症みたいにここだけぐるりとミモザもどきが消えたのだ。我が妻の魔法だと知っていなければ、気味の悪さで逃げ出したかもしれない。
広場の中央に祭壇が設けられ、その前にちょこんと可愛らしくファニーが座っている。
そしてそのすぐ後ろには、彼女の師であるフィオが、真剣そのものの顔でひざまずいている。頭上には、フィオが契約している水の上位精霊ウンディーネが、その透明な身体をさらして舞い、周辺には無数の下位水精霊、ヴァッサーエレメントがふよふよと浮遊している。精霊王がその怒りをファニーに向けた時には、水精霊たちが総動員でファニーの盾になり、守ろうという態勢なのだ。フィオは火の上位精霊サラマンダーとも契約しているが、相手が火の精霊王とあっては役に立たず、今回は呼ばれていない。
「大丈夫かな……」
「ぜんぜん大丈夫ではない。もし精霊王が本気で攻撃すれば、ウンディーネとて一瞬で蒸発させられてしまう」
ヘタレた台詞を吐いた俺に、表情も変えず怖いことを告げるベアト。
「え、契約精霊が滅んだら、フィオは……」
「生涯、水の精霊から力を借りることはできなくなるだろうな。フィオはそんな重いリスクを冒してくれているのだ、ファニーのために……いや、ルッツのために、だろうな」
そ、そうなのか。精霊使いとして、ひいては森人の次期族長として致命的な傷を負う可能性があるというのに、フィオは敢然とファニーを守ろうとしている。俺なんかのために……ごめん。見つめる俺の視線に気づいたのか、フィオが少し口角を上げる。どこまでも寛大で優しい彼女に、頭が下がるばかりだ。
ファニーを守ろうとしているのは、彼女だけではない。アントニアが土壁の魔法をスタンバイして控え、コルネリアさんとアデルはファニーの背後から、いつでも強風を送って炎を押し返せるよう備えている。もちろんグレーテルを中心とした光魔法三人娘が防御魔法で、カオリを連れたアヤカさんが闇魔法のデバフで、精霊王に対抗すべく構えている……これっておそらく、大陸最強の布陣なのではないだろうか。それでも、人知を超えた存在である「精霊王」に対抗できるかどうかは、誰にもわからない。
「よし、ファニー。精霊王とのコンタクトを、始めるのだ」
愛娘にかけたベアトの語尾が、わずかに震えていた。




