第424話 今度のボスは熊さん
結局十一階層では、アーティファクトの気配をつかむことができなかった。他の階より段違いに広いフロアを探索し切った俺たちの前に、またお馴染みの重厚な扉が。
「今度のボスは、何かしらね」
「この階は獣タイプの魔物ばかりでしたので、やはりその類かと」
アヤカさんの回答にうなずくグレーテルだけど、彼女自身は実のところ、対手がどんな魔物だろうと気にしていない。
我が幼馴染が苦手とするのは、近接武器が届かない飛行系の魔物。こんな地下迷宮で大型の飛行系がポンポン出てくるはずもなく……どんな強力な奴がいようが、自らが斧を振るう限り決して負けることはない。こうして敵の種類を測っているのは、イレーネを始めとするパーティーメンバーに、経験を積ませることが可能かどうかを考えてのことなのだ。
本当に我が愛しき幼馴染は、周囲の者たちのことまで考えて動く、大人の女性になった……そうだよな、彼女が俺に雷撃や全力打撃をぶちかましていた頃から、もう五年もたってるんだもんな。
「やっぱり獣よね……なら、今回はイレーネが前衛に立ちなさい。貴女が魔物の攻撃を受け止めるのよ。そしてメインの攻撃役はミカエラ、貴女ね。あと、ギーゼラさん、魔物がミカエラに狙いを絞らないように、火魔法を撃ってちょっかい出しておいて欲しいわ、ダメージを与える必要はないわよ」
まだどんな魔物が出てくるかわからないのに、グレーテルはちゃっちゃと役割を決めていく。もちろん、イレーネさんたちの力を信頼しているのだろうけど……。
「大丈夫。手に負えなければアヤカと私が出るわ、安心して戦いなさい」
「はっ、全力を尽くします!」
「頑張りますっつ!」
「殿下の名誉のため、最大の努力を……」
三人三様の決意表明を聞き終えた我が幼馴染が、口許に微笑を刷いて、扉を蹴り開けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そこにうずくまっていたのは、バカでかい熊。おそらく立ち上がれば、五メートルくらいの身長になるのだろう。
「イレーネ、行きなさい!」
「参ります!」
グレーテルの命令に、はじかれたように飛び出していくイレーネさん。大熊の前で宝剣を構え、一つ魔力を込めると、剣はまた炎をまとう。
もちろん熊のほうも臨戦態勢だ。二本足で立ちあがり、威嚇してくる。イレーネさんの三倍はあろうかという巨体で咆哮するその姿には思わず身がすくむのだが……彼女は一歩も引かずににらみ合う。
横殴りに襲う熊の爪をイレーネさんが右に飛んでかわせば、それを追わんとして敵が横を向く。
「今ですねっ、はあっ!」
短い気合とともに、石礫が目にも止まらぬ速度で放たれ、熊の頸部に命中する。さすがは魔物というべきか、ミカエラ渾身の一撃もその太い頸で受け止めた。だが太い血管を傷つけることには成功したらしく、傷口から紅い血がかなりの勢いで流れ出している。
怒り狂ってミカエラに狙いを変える熊の顔面を、子供の頭くらいの火球が襲う。もちろんそれはメルセデスの戦闘侍女、ギーゼラさんの魔法だ。Bクラス程度の魔力で飛ばす炎では高位の魔物を倒すことなどできないが、彼女の役目は、熊のヘイトを散らすことにあるのだ。片手で火球を叩き消し、注文通りにギーゼラさんを先に片付けようと振り返った大熊の足首を、後方から素早く走り寄ったイレーネさんの宝剣が切り裂く。
「グォアォ※#%%#!」
意味不明の叫びと共に振り向く魔物の頸に、またミカエラの礫が正確に突き刺さる。最大の脅威が彼女であることをようやく悟っても、そちらを向こうとするたびにイレーネさんとギーゼラさんが細かくダメージを与えては引き戻しにかかるのだ。
そして数分。怒りの咆哮は続いているけれど、何だか少しその声から力が失われてきているような気がする。その頸部からは相変わらず激しく血が噴き出し、半身はもうぐっしょりと濡れている。よし、このまま持久戦をやっていけば、勝てる。俺がそんな楽観的なことを考えた、その時。
大熊が突然、四足歩行の姿勢に戻った。いきなりの変化に戸惑ったイレーネさんが攻撃の手を思わず止めると、奴は四足ダッシュでミカエラに向かって突進してくる。もちろんミカエラの敏捷性なら巨体をかわすことは簡単なのだが……その後方には間の悪いことに、あの悪役皇女がいた。
メルセデスは「きゃあ」とも「ひいぃ」とも言わず、ただその吊り目を大きく見開いていた。極度の恐怖に動けず、完全フリーズしている。
その次の瞬間、俺の身体が勝手に動き出していた。大熊の進路そのものにボーッとすくんでいる皇女にぶつかって押し倒し、その身体に覆いかぶさる。
いや、ちょっと突き飛ばし方が、優しすぎたか。この程度じゃあ魔物の突進から、完全に逃れたとはいい難い。これじゃ結構大怪我するなあ、死なないといいけど。死なない限り俺の愛しき光の勇者が、治してくれるはず……。
ほんのコンマ数秒の間に、そんなしょうもない思考が、頭の中を駆け巡る。あとは意外に柔らかい皇女の細い身体をぐっと引き寄せ、何も見るまいと固く目をつぶる。
「はぁっ!」
聞き慣れた気合に思わず目を開ければ、そこには武器すら持たずに大熊の全力特攻を受け止めている、我が「奥様」の姿があった。




