第8話 戦争? 野蛮ですね。私は「物流封鎖」で兵糧攻めにします。
ボークス男爵からの脅迫状が届いてから、数時間後。
領主館の応接室には、このアインホルン領を拠点とする主要な商会の代表たちが集められていた。
「……領主様。ボークス領への『荷止め』というのは、本気でございますか?」
商人組合の長、ギャリックが脂汗を拭いながら尋ねる。
彼は丸々と太った狸のような男だが、損得勘定には誰よりも敏い。
「彼らは我々にとって大口の得意先です。特に麦や塩の輸出を止めれば、我々の売り上げも激減します。それに、向こうの軍隊が黙っていないでしょう」
他の商人たちも不安げに頷く。
当然の反応だ。商人にとって、戦争や揉め事は商売の邪魔でしかない。
だが、私は彼らの不安を想定済みだった。
「ギャリック。君たちの懸念は二つだ。『利益の損失』と『報復の恐怖』。違うか?」
「は、はい。その通りで……」
「ならば、その両方を私が解決しよう」
私は新しい羊皮紙をテーブルに広げた。
『専属取引および全量買取契約書』。
「まず利益についてだ。今日から、君たちがボークス領へ売る予定だった食料、資材、その他一切の物資は、すべて私が買い取る」
「は……? 全量、ですか?」
「そうだ。それも、ボークス領への卸値に『二割』上乗せした金額でだ」
商人たちの目の色が変わった。
二割増し。薄利多売の食料品取引において、これは破格の利益率だ。
「さらに、買い取った物資の運賃と護衛は当家が持つ。
すでにボークス領へ向けて動いている荷は、そのまま関所で止めろ。
まだ倉庫にある荷は、鍵を預けてくれれば私が引き取る。
……どうだ? これでも『損失』が出るかね?」
「い、いえ! とんでもない! 願ってもない話です!」
ギャリックが身を乗り出した。
ここまでは飴だ。次は鞭を見せる番だ。
「ただし、条件がある。今後、ボークス領およびその関係者への販売は一切禁ずる。一粒の麦、一滴の水たりとも流してはならない」
私は契約書の罰則条項を指差した。
「もし違反した場合、私は即座に契約庁へ申立てを行う。違約金は取引額の十倍。さらに、契約庁の執行で、今後アインホルン領での取引資格は剥奪される」
商人たちが息を呑む。
この領地は今、ダンジョン景気で沸いている。ここでの商権を失うことは、商会にとって死を意味する。
「次に『報復の恐怖』だが……心配いらん。契約条項どおり、署名と同時に所有権は当家へ移る。だから――商品はすでに『アインホルン家の財産』だ」
私はニヤリと笑った。
「他人の物を勝手に売れば、それは盗みだ。君たちはただ、こう言えばいい。『契約済みなので売れません』とな。……それでも奪おうとするなら、それは商取引ではない。『強盗』だ」
「強盗、ですか」
「ああ。強盗から領民の財産を守るのは、領主の義務だ。……私の可愛い警備隊長が、張り切って守ってくれるさ」
私は控えていたルーカスに視線を向けた。
彼は真新しい制服を身に包み、力強く頷いた。
「お任せください。契約がある以上、商品はアインホルン家の財産です。指一本触れさせません」
利益は保証され、安全も担保される。
商人たちに、断る理由はなかった。
「……分かりました。この契約、お受けいたします」
ギャリックが震える手で――しかし、確かな欲を浮かべて署名し、拇印を押した。
他の商人たちも次々と続く。
――契約は成立した。
この瞬間、ボークス領への「荷の流れ」は完全に凍結された。
◇
翌日。
アインホルン領とボークス領の境にある関所。
そこには、殺気立ったボークス家の兵士たちと、荷馬車を止めた商人たちの姿があった。
「どういうことだ! なぜ麦を売らん!」
ボークス家の兵士が怒鳴り散らしている。
対するギャリックは、昨日の契約書の写しを盾に、困ったような顔で――しかし腹の底では笑いながら対応していた。
「申し訳ございません。これらのお荷物は、すべてアインホルン領主様との『専属契約』済みでして……。勝手に売ると、私が破産してしまうのです」
「知ったことか! 金は払うと言っているだろうが!」
「いえいえ、契約は絶対ですので。……ああ、もし欲しいのでしたら、領主様と交渉してはいかがで? 『転売』なら話が通るかもしれませんよ?」
「ふざけるな! 我々を飢えさせる気か!」
兵士が剣に手をかけた、その時だ。
「そこまでだ」
凛とした声と共に、ルーカス率いる警備隊が現れた。
人数は二十名ほどだが、全員がダンジョンで鍛え上げられ、装備も充実している。
「この荷はアインホルン家の資産だ。手出しは無用願おう」
「貴様……! たかが警備隊風情が、正規軍に逆らう気か!」
「正規軍だろうが関係ない。他人の財産を武力で奪うなら、それは『賊』だ。……賊なら、通さねぇ」
ルーカスが一歩前に出る。
その体から放たれる圧力に、兵士たちがたじろいだ。
彼らは知っているのだ。目の前の少年が、かつて「勇者」と呼ばれ、単身で魔物の群れを壊滅させた怪物であることを。
「……くそっ! 覚えていろよ!」
兵士たちは捨て台詞を吐き、すごすごと引き上げていった。
ギャリックが安堵の息を吐き、ルーカスに頭を下げる。
「助かりました、隊長さん」
「仕事ですから。……それに、あんたたちの荷物を守れば、手当が弾むと言われていますので」
ルーカスは少し照れくさそうに笑った。
◇
その様子を、私は遠く離れた丘の上から、遠見の魔道具で眺めていた。
「……うまくいったようだな」
隣にはセバスチャンが控えている。
「しかし旦那様。買い取った大量の食料、どうなされますか? 倉庫も一杯になってしまいますが」
「何、使い道ならある。領内の市場に安く流せ。それから、孤児院や貧民街への炊き出しにも使え」
私は魔道具を畳んだ。
「明日からだ。湯気の立つ粥を絶やすな」
「……はいっ!」
余った食料で領民を肥えさせ、感謝までされる。一方で、隣の領地では食料価格が高騰し、兵士すら腹を空かせる。……実に効率的だ。
ボークス領の備蓄は、私の調査ではあと数日も持たない。
彼らの主力である騎士団は、大食らいの馬も含めて、莫大な維持費がかかる。
補給を断たれた軍隊など、ただの金食い虫だ。
「さて、三日後の期限まで、あと二日。……向こうの騎士団長殿、どんな顔をしてくるか楽しみだな」
私は悪役貴族の顔で、底意地悪く笑った。
剣を交えるまでもない。
勝負は、戦う前に決まっているのだ。




