第7話 隣領のボークス男爵が「因縁」をつけてきた。どうやら戦争をご所望らしい。
ダンジョン改革から一週間。
アインホルン領には、かつてない活気が戻っていた。
「おい、また魔石が届いたぞ! 仕分けが追いつかねぇ!」
「隣町から商人が来てる。ポーションの在庫はあるか?」
「領主様が、道路の整備に予算を出してくれたらしいぞ!」
スライム処理場による安定した魔石供給と、冒険者の死亡率低下により、領内の経済は劇的に改善していた。
街には金が回り、人々の顔には笑顔が増えた。
私は執務室の窓から、活気づく城下町を見下ろして濃い黒茶を啜る。
「悪くない」
私が目指すのは、搾取ではなく循環だ。
領民が豊かになれば、税収が増える。税収が増えれば、さらにインフラに投資できる。この当たり前のサイクルを回すだけで、領地は勝手に発展していく。
これまでの歴代領主が、いかに無能だったかということだ。
「旦那様。……お客様です」
セバスチャンが扉をノックした。
その声色が、いつもより硬い。
「誰だ?」
「隣領、ボークス男爵家の使いです。……書状をお持ちです」
来たか。
私はカップを置き、口元を拭った。
「通せ」
部屋に入ってきたのは、豪奢な軍服を着た男だった。
ボークス男爵家の騎士団長、グラハム。
彼は慇懃無礼な態度で一礼すると、一枚の羊皮紙を私の机に放り投げた。
「我が主、ボークス男爵からの書状だ。心して読め」
「……随分とマナーの良い使い走りだな」
私は皮肉を言いつつ、書状を開いた。
そこに書かれていたのは、予想通りの、そして予想以上に厚顔無恥な要求だった。
『貴殿の領地におけるダンジョン運営は、我が領の利益を著しく害している。
よって、直ちに以下の条件を飲まれたし。
一、ダンジョン収益の5割を「迷惑料」として上納すること。
一、魔石の販売ルートを、我がボークス家指定の商会に限定すること。
拒否する場合、我が領は貴殿に対し、武力による制裁も辞さない構えである』
「……ははっ」
乾いた笑いが出た。
言いがかりにも程がある。
こちらのダンジョンが儲かっているから、金寄越せと言っているだけだ。「迷惑料」などという名目は、ヤクザのみかじめ料と変わらない。
「笑い事ではないぞ、若造」
グラハムが剣の柄に手をかけた。
「我がボークス家は、精鋭騎士団三百を抱える武闘派だ。対して、貴様の領にはまともな兵力がないことは分かっている。……賢明な判断を期待するぞ」
脅しだ。
彼らは知っているのだ。アインホルン家が財政難で兵士を解雇し、防衛力が皆無に等しいことを。
だからこそ、こうして舐めた口を聞ける。
「返答期限は?」
「三日だ。三日後の正午までに良い返事がなければ……軍が動く」
グラハムはニヤリと笑い、踵を返して出ていった。
部屋に残されたのは、静寂と、屈辱的な書状だけ。
「……旦那様。いかがなさいますか」
セバスチャンが不安げに尋ねる。
「我が領の警備隊は、ルーカス様を含めても数十名。三百の騎士団相手では、ひとたまりもありません」
「ああ、そうだな。まともに戦えば、半日で蹂躙されるだろう」
私は書状を暖炉の火にくべた。
紙が燃え上がり、灰になっていく。
――ただの脅迫状だ。契約書ではない。燃やして困るものじゃない。
「だが、誰が『まともに戦う』と言った?」
「え?」
私は机の引き出しから、分厚い報告書綴りを取り出した。
表紙には『ボークス領・交易路調査書』と書かれている。
この一週間、私はダンジョン改革と並行して、隣の領地の「弱点」を徹底的に調べ上げていたのだ。
「ボークス男爵は、軍事力には金をかけているが、内政はお粗末だ。特に、食料自給率が極端に低い」
「食料、ですか?」
「ああ。彼の領地は山岳地帯で、農地が少ない。交易の記録を見る限り、食料の大半を、我がアインホルン領や、その先の平野部からの輸入に頼っている」
私は地図を広げた。
ボークス領へと続く街道は、我が領地を通過する一本道しかない。
「つまり、彼らの胃袋を握っているのは、我々なのだよ」
私は地図の上、街道の分岐点に赤いピンを刺した。
「セバスチャン。商人組合の長を呼べ。それと、周辺の穀倉地帯を束ねる大地主たちにも連絡だ」
「は、はい。何をなさるおつもりで?」
「契約だ」
私は悪役の顔で笑った。
「ボークス領への輸出を、全面的に停止させる。『専属取引契約』を結び、すべての食料を我が領で買い占める」
「そ、そんなことをすれば、向こうの兵士たちは……。し、しかし商人たちが納得するでしょうか?」
「損はさせん。ボークス領への売値より高く、私が全量買い取る。その代わり、一粒でも向こうへ流した者は契約違反として莫大な違約金を課す」
「なるほど……それならば、商人たちも喜んで従うでしょう」
「腹が減っては戦はできん。……三日後の正午か。十分だ」
向こうが武力(暴力)で来るなら、こちらは経済(兵糧攻め)で対抗する。
剣を抜く必要すらない。
敵の補給線を断ち、干上がらせる。それが兵法の基本であり、最も確実な勝ち筋だ。
「ルーカスを呼べ。彼にも仕事をしてもらう」
「は、はい!」
セバスチャンが走っていく。
私は窓の外、隣領の方角を見つめた。
「戦争をご所望か、ボークス男爵。……いいだろう。だが、その代償は高くつくぞ」
私は懐から、新たな羊皮紙――『ボークス領向け取引停止と専属納入の契約書』――を取り出した。
これ一枚で、三百の精鋭騎士団を無力化してみせる。
野蛮な剣の時代は終わりだ。
これからは、剣ではなく「手続き」が勝負を決める時代なのだから。




