第44話 :西の使者。――“帝国”が求めるもの、そしてこちらの値。
王国の西、貿易港。
沖合に浮かぶ光景は、悪夢めいていた。
「……でけぇな」
港の丘から海を見下ろし、ルーカスが低く唸る。
海面を埋め尽くすのは、黒塗りの巨艦。
帆ではなく、艦の背に立つ筒から黒い煙を吐き、舷側には巨大な魔導砲がずらりと並ぶ。
西の軍事大国――帝国の艦隊だ。
「あれが一斉に火を吹けば、この港は燃え尽きる」
「だろうな。……だが、撃たせない」
私はそう言って、応接館へ向かった。
◇
応接館の広間。
上座にふんぞり返るのは、勲章をぶら下げた男――帝国海軍提督ドレイク。
「遅いぞ、王国の宰相殿」
ドレイクは私を一瞥し、鼻で笑う。
「我が艦隊を見て、腰でも抜かしていたか?」
「いいえ。煙が濃い。喉を傷めませんか、と案じていただけです」
空気が一瞬、固まった。
だがドレイクはすぐに笑い、卓上へ羊皮紙を叩きつけた。
「単刀直入に言おう。我が国は貴国との通商を望む」
そして、読み上げる。
「一、港を開き、帝国の船から入港の銭を取らぬこと」
「二、貴国の産――とりわけ北の魔石を、帝国の定める安値で優先して渡すこと」
「三、帝国人が貴国で罪を犯しても、貴国の掟では裁かぬこと」
力を背景にした、片務の取り決めだ。
奪う気満々――それが分かる。
「……ふむ」
私は羊皮紙を流し読みし、顔を上げた。
「お断りします」
ドレイクの笑みが消えた。
「……何だと? 沖には魔導砲がある。断れば、この港を火の海にできるのだぞ」
「どうぞ。撃ちたければ撃てばいい」
私は平然と言い放った。
側近が筒銃に手をかける。
ルーカスが鉄塊剣を軽く持ち上げただけで、空気が張った。
「……宰相。本気か? 国を滅ぼす気か」
「滅びるのは、そちらの“取り分”ですよ、提督」
私は指を一本立てる。
「港を焼けば、荷は積めない。倉が燃えれば、品は消える。働き手が死ねば、運ぶ者もいなくなる」
淡々と告げた。
「瓦礫の港から、あなた方は何を得るつもりです?」
「上陸して――直接奪えばよい」
「無理です」
二本目の指。
「北の魔石の山は、いま太守府が治めている」
私は言葉を切り、相手の目を見た。
「帝国が攻め込むなら、坑道は崩されます。掘り口を埋め、道を断つ。山を殺す手立ては、いくらでもある」
ドレイクの顔色が、わずかに変わった。
「……脅しか」
「事実です」
私は続ける。
「坑道が潰れれば、掘り直すのに年がかかる。その間、帝国は魔石を欠く」
指先で卓を叩く。
「魔導砲も、艦の炉も、魔石なしでは力が落ちる――違いますか?」
沈黙。
提督の側近が、視線を逸らした。図星だ。
「港を焼けば、手に入らない」
「攻め込めば、山が死ぬ」
私は三本目の指を立てた。
「どちらに転んでも、帝国が損をする。――その損、提督が背負えますか?」
暴力という札は、損得の札に弱い。
ドレイクは歯噛みし、やがて低く吐いた。
「……では、どうしろと言う」
「簡単です。対等に商いをしましょう」
私はこちらで用意した羊皮紙を差し出した。
“通商の覚書”だ。
『一、港は開く。ただし入港の銭と荷の銭は、定めに従い納めること』
『二、魔石は売る。ただし値は“公のあたい”で決める。買い叩きは許さぬ』
『三、罪を犯した者は、その地の掟で裁く。帝国は立会人を置いてよい』
「これなら、あなた方は安定して魔石を得られる。こちらは帝国の工匠の品を買える」
私は言い切った。
「互いに得をする」
ドレイクは覚書を睨み、長い沈黙の後、唸るように言った。
「……よかろう。ひとまず、これを“持ち帰る”」
「賢明です」
私は付け足す。
「写しは三通。港の役所、帝国艦隊、宰相府の記録庫に残します」
逃げ道を減らすのは、いつも同じだ。
「ここで口約束にして、明日ひっくり返されるほど、こちらも暇ではない」
ドレイクの口角がひきつった。
だが、否とは言えない。
◇
数日後。
港は、目に見えて息を吹き返していた。
異国の品が並び、荷車が行き交い、船員と商人が声を張る。
荷下ろしの働き手は、汗を流して銭を受け取り、食堂の湯気に吸い寄せられていく。
「へへっ、今日は腹いっぱい食えるぞ!」
「働いた分が、そのまま飯になる。ありがてぇな」
卓の上には山盛りの魚と、温い汁。
誰かが笑い、誰かが皿を回す。
港は、剣ではなく勘定で生き返った。
私は応接館の窓からそれを眺め、セバスチャンの入れた茶をひと口含む。
「旦那様。港の者たちも、顔が明るうございます」
「ああ。腹が満ちれば、刃は鈍る」
そこへ、役人が息を切らして駆け込んできた。
「宰相閣下! 帝国の商人らが申しております! “常に品を並べる場を”と……それと、港の取り決めを書付にしてくれ、と!」
「……もうかる匂いを嗅ぎつけたか」
私は苦笑し、袖を直した。
「よし。港に“通商の役所”を置く。帳面と秤を揃えろ。抜き取りは許さん」
セバスチャンへ視線を投げる。
「書付が増えるぞ。だが――いい増え方だ」
「御意。旦那様」
窓の外で、子どもが魚の串を抱え、嬉しそうに跳ねた。
戦わずに、腹を満たす。
そのための“値”は、ここから先も、私が決める。




