第41話 :魔族の強硬派。――“誇り”は、誰のためにあるのか。
魔王城の中庭。
そこは今、活気と湯気に包まれていた。
「並んでください! 押さないで。ちゃんと、皆さんの分がありますから!」
エリスの声が響く。
広場には配給を待つ列が長く伸び、枡で量るようになってから、民の顔には安堵の色が戻っていた。
だが――その平穏を破る者たちがいる。
「ええい、どけ! 貴様ら、恥を知らんのか!」
怒号とともに列が崩れた。
現れたのは黒鉄の鎧で身を固めた一団。
魔王軍の中でも、人間への敵対心が強い強硬派――将軍ザガンだ。
「将軍……! ですが、子らが腹を空かせて……」
「黙れ! 人間の差し出す糧など、毒が入っているに決まっている!」
ザガンが大鍋の前に立ちはだかり、配給係を押しのけた。
そして、煮えたぎる鍋を蹴り倒そうと足を上げる。
「やめろぉぉぉッ!」
悲鳴が上がった瞬間。
ガシッ。
ザガンの足が、空中で止まった。
「……おっと。行儀が悪いな、おっさん」
ルーカスだ。
片手でザガンの足首を掴み、涼しい顔で立っている。
「き、貴様……! 人間の犬め、放せ!」
「放してほしけりゃ、その足を引け」
ルーカスの目が細くなる。
「……この鍋は、子どもの命だぞ」
ルーカスが手を離すと、ザガンはよろめき、剣を抜いた。
背後の兵も武器を構える。
広場の空気が凍りつく。
「人間どもめ……! 我ら誇り高き魔族は、奴らの餌になど釣られん! 即刻立ち去れ!」
私は静かに歩み出た。
手には、取り決めを書いた誓紙の写し。
「将軍。……“餌”とおっしゃいましたか?」
「そうだ! 誇りを捨ててまで生き延びて、何になる!」
「勘違いしないでいただきたい」
私は淡々と告げた。
「これは施しではありません。働きの代です」
「代、だと?」
「ええ。街道の普請、倉の片付け――働いた者が糧を受け取る。正当なやり取りです」
私は列に並ぶ民を見渡す。
「彼らは誇りを捨てていない。家族を食わせるために、汗を流した」
声を落とし、言葉を研ぐ。
「その代を受け取ることが、なぜ恥なのですか?」
民の中に、小さく頷く者が増える。
そうだ。彼らは乞う者ではない。働き手だ。
「詭弁だ! 人間と馴れ合うこと自体が恥なのだ!」
ザガンが唾を飛ばす。
聞く耳を持たないなら――こちらも、現実を突きつける。
「将軍。昨夜、何を召し上がりましたか」
「な……何の話だ?」
「将軍の私室には、干し肉と酒がまだあると聞きました」
ザガンの顔が強張る。
「腹が満ちているから、誇りと叫べるのです」
私は列の先頭にいた痩せた母子を指差した。
「この者たちは、昨日まで雪を啜って生きていた。民を飢えさせ、自分だけ暖かい場所で誇りを説く――それが将軍の務めですか?」
「ぐっ……!」
「民を守れぬ誇りに、価値はありません」
氷のような言葉が落ち、広場の視線がザガンに集まった。
恐れではない。軽蔑と失望だ。
「……引け、ザガン」
低い声。
人垣が割れ、魔王が現れた。
その手には泥がついている。自らも普請を手伝ったのだろう。
「へ、陛下……! しかし、こやつらは……!」
「宰相の言う通りだ」
魔王は言い切った。
「民を食わせられぬ者に、上に立つ資格はない」
そして、ザガンを見据える。
「誇りを取り戻したければ、働け。剣ではなく、その手で民を救ってみせよ」
ザガンの肩が落ち、剣先が下がる。
支持していた兵も、武器を収めて俯いた。
勝負はついた。
◇
その日のうちに、ザガンの私室の備蓄は改められ、蔵へ戻された。
代わりに将軍ザガンは、城壁の修繕の監督へ回された。
罰ではない。“責を果たす場”だ。
中庭では、鎧を脱いだザガンが石材を運び、声を張っていた。
「そこ、手を挟むな! 子どもが通る場所だ、段差を残すな!」
先ほどまで鍋を蹴ろうとした男が、今は“守るための手”を動かしている。
「はい、休憩です。……ザガンさんも、どうぞ」
エリスが器を差し出した。
湯気の立つ粥。
「……かたじけない」
ザガンは震える手で受け取り、一口すすった。
そして、目を伏せる。涙が一筋、泥の頬を伝った。
「……うまい。……腹が満ちるというのは……こういうことか」
周りの兵も、黙って頷いた。
働いて、腹を満たす。
その当たり前が戻っただけで、刃は収まる。
ルーカスが肩で笑う。
「な? 鍋は強ぇだろ」
「……言うな」
ザガンがぶっきらぼうに返す。
だが、その声にはもう、さっきの毒はない。
中庭の端で、子どもが粥をこぼし、母親が慌てる。
ザガンが無言で布を差し出した。
母親が驚き、頭を下げる。
ザガンは顔を背け、耳だけ赤くした。
広場の湯気が、今日も上がる。
誇りは、腹を満たした者が振り回す飾りではない。
腹を満たすために、手を汚せる者の中に戻ってくる。
そのとき、セバスチャンが早足で現れた。
「旦那様。南より、火急の便が」
「内容は」
「熱に倒れる者が出ております。村が荒れている、と」
私は頷いた。
「分かった。まずは隔てる。人の出入りを絞り、湯と酢と火を用意しろ」
エリスへ視線を向ける。
「医の手が要る。準備を」
「はい!」
だが今夜は、鍋を止めない。
明日の不安があっても、今日の一杯は奪わせない。




