第40話 :魔王城の倉を開く。――配り方を改め、冬を越す。
翌朝。
魔王城の地下にある巨大な食糧庫――蔵前に、私は魔王と並んで立っていた。
「ここが我らの倉だ」
魔王が重い扉を押し開ける。
冷えた空気が流れ出す。だが問題は寒さではない。
――空だ。
広い蔵の大半が空っぽで、奥に申し訳程度の穀物袋と干し肉が積まれているだけだった。
「……これだけか?」
「ああ。昨年の凶作で蓄えは尽きた。残りはこれだけで、民と兵を食わせねばならぬ」
魔王の声には諦めが滲む。
だが、私の目は誤魔化せない。
「セバスチャン。蔵の覚え書きを」
「こちらにございます」
私は、昨日提出させた蔵の記録と、目の前の現物を見比べた。
「……合いませんね」
「何がだ?」
「記録では、まだ二月分はある。だが、ここにあるのは半月もない」
魔王の眉が吊り上がる。
「な……計算違いではないのか?」
「私の勘定が狂うことはありません」
私は視線を上げる。
「誰かが“抜いている”」
魔王が背後の側近たちへ、鋭い眼を向けた。
その中の一人――小太りの男が、びくりと肩を跳ねる。
「……ガレス。貴様、まさか」
「め、滅相もございません、陛下! わ、私はただ、兵の気を繋ぐために配り方を調整して……!」
「調整、ですか」
私は一歩、近づいた。
「昨日、城下を見て回りました。民は飢えているのに、一部の兵舎からは酒と肉の匂いがした」
淡々と告げる。
「……あなたの一族が預かる兵舎です」
「ぐっ……!」
「兵を手厚くするのは構わない。だが、民を餓えさせてまで肥えた兵に、何が守れる?」
私は魔王へ視線を戻す。
「魔王殿。この倉の取り仕切り、私に預けていただけますか」
魔王は歯を食いしばり、短く頷いた。
「……頼む。膿を出し切ってくれ」
「御意」
私はセバスチャンへ指示を飛ばす。
「これより蔵の改めを行う。蔵の鍵は三つに分ける。魔王側の者、宰相府の者、そして民の代表だ」
指を折る。
「記録も三通。倉、宰相府、そして重臣の席で保管する。抜け道を作らせない」
◇
数刻後。
城の一角に、隠されていた食糧の山が積み上がった。
ガレスの私室、そして手下が預かる小倉から出てきたものだ。
「これほどを……!」
魔王の拳が震える。
ガレスは縄を掛けられ、顔面蒼白で膝をついていた。
「処断を――」
側近の声が上がる。だが魔王は首を振った。
「殺しても腹は満ちぬ」
私は一歩前へ出る。
「ガレス。役目を解き、財を差し出せ。抜いた分は返してもらう」
逃げ道を塞ぐ声で続けた。
「払えぬなら、働け。街道の普請と蔵の改めに身を置き、償いとして日々の糧で返す。――拒めば、あなたの一族は公の取引から外す」
ガレスの口が開き、閉じる。
“死”ではない。だが、“生きた恥”だ。
周囲の視線が、その場で彼の居場所を奪っていく。
「……わ、分かりました……」
その瞬間だった。
ざまぁは、剣ではなく、勘定で落ちた。
◇
私は広場へ出た。
集まった民と兵を前に、声を張る。
「新しい配り方を伝える」
掲げたのは三枚の羊皮紙。
『一、配る量は“頭数”で決める。家の強さで増やさせない』
『二、子ども・老いた者・病の者を先にする。次に働き手だ』
『三、量はこの枡で量り、名を記して残す。配った者の名も残す』
私はアインホルン領から持ってきた枡を示した。
誰が量っても同じ。贔屓も抜き取りも、しにくくなる。
ざわめきが起きる。
「……本当に、私たちにも?」
痩せた老婆が、おずおずと前へ出た。
エリスが微笑み、枡いっぱいの麦を袋へ入れる。
「はい。お婆ちゃんは二人分ですね。ゆっくりでいいから、ちゃんと食べてくださいね」
「あ、ありがてぇ……ありがてぇ……!」
老婆が泣きながら袋を抱く。
その背に、周りの者がそっと手を添えた。
「すげぇ……ちゃんと量ってる」
「兵が威張って取ることもない……!」
人々の顔が、少しずつ緩む。
胃袋が満ちる見込みが立てば、人は争わない。
魔王がその様子を見つめ、低い声で言った。
「……倉は開けよ。まず子からだ。異論は許さぬ」
兵が一斉に頭を下げた。
その一言が、城の空気を変えた。
私は魔王へ視線を戻す。
「商いは、信で回ります。信は、腹から始まる」
「……損得の話か」
「損得です。民が生きれば、鉱も掘れる。道も通る。あなた方も、こちらも得をする」
魔王は苦笑し、それから静かに頷いた。
信頼が、紙ではなく手順で積み上がる音がした。
こうして魔王城の倉は改まり、糧は等しく回り始めた。
飢えという最大の敵は、勘定と仕組みで押し返されたのだ。
私は広場の鍋を一瞥し、言う。
「……さて。腹が満ちたら、次は“冬を越す段取り”です」
魔王を見た。
「明日、鉱と魔石の蔵を見せてください。取引の中身を詰めましょう」
湯気の向こうで、子どもが笑った。
その笑いが、城の冷えた石に、ほんの少しだけ熱を残した。




