第39話 :魔王の条件。――“糧の道”を通すための、三つの譲れぬ掟。
魔王城、謁見の間。
温い汁の匂いがまだ残る中で、談判は続いていた。
「……人間よ。糧の道を通す話、興味深い」
魔王が玉座で身を乗り出した。
その瞳には、先ほどまでの疲れとは違う光が宿っている。
「だが、ただ受け取るだけでは誇りが立たぬ。対価としての“働き”――何を求める?」
「街道の手入れです」
私は即答した。
「王都からここへ至る道は、雪と岩で塞がっています。これでは糧を運べない」
指を一本立てる。
「岩をどけ、路を均し、荷車が通れる幅を作る。あなた方の剛力が必要です」
「ほう。我らに普請をせよと?」
そのとき――怒号が轟いた。
「陛下! なりませぬ!」
側近の列から、巨体の魔族が踏み出す。
黒鉄の鎧、巨大な斧。将軍ボルゲだ。
「誇り高き魔族の戦士に、人足の真似事をさせるなど断じて許せぬ! これは人間の罠! 道を拓かせた後、大軍を通す気だ!」
背後で強硬派らしき兵が殺気立つ。
「人間など信用できん! 糧があるなら奪えばよい!」
「南へ攻め込み、奪い尽くせば腹は満ちる!」
魔王が眉間を押さえ、深く息を吐いた。
――ああ、この顔だ。
背負う者ほど、声の大きい者に振り回される。
私はボルゲに向き直った。
「将軍。奪えば満ちると言ったな」
「そうだ! 我らの力なら、人間の砦など踏み潰せる!」
「では聞きます」
私は声を荒げない。
「その“踏み潰す”道中、兵に何を食わせる?」
ボルゲが一瞬、口を閉じる。
「雪の峠を越え、砦へ至る。寒さと行軍で腹は減る。戦えばさらに減る」
私は指を二本、三本と増やした。
「いまの蓄えで、何日もつ。将軍、自分の兵の胃袋を数えたことは?」
「……ぐ……」
「それに、奪えば終わりだ」
私は淡々と続ける。
「人は畑を焼き、井戸を埋めて逃げる。次の冬、あなた方は何を食う?」
勢いを失った強硬派が、俯く。
家族が飢えている現実は、誇りでは消せない。
「目先の意地で、来年の糧を捨てるのか」
私は一歩だけ前へ出た。
「それが将軍の仕事ですか?」
ボルゲの顔が赤くなり、やがて青ざめた。
「……下がれ、ボルゲ」
魔王が静かに告げる。
「この人間の言う通りだ。……我らは長く、誇りという虚勢で腹を誤魔化してきた。だが、もう限界だ」
魔王は私を見た。
「アインホルン宰相よ。そなたの提案、受け入れよう」
宣言が落ちる。
「街道の手入れに人を出す。その働きの対価として、糧を受け取る」
「感謝します。では、守るべき掟を三つに絞ります」
私は羊皮紙を取り出し、短く書いた。
『一、作業に出る者は志願を募り、足りぬ分は将軍の隊より補うこと』
『二、作業の場では武器を預けること(護りの剣は、別に置く)』
『三、働きに応じ、日毎に糧を渡すこと。配り残しは出さぬ』
魔王が頷き、側近へ視線を投げる。
側近は歯を食いしばりながらも首肯した。
私はボルゲを見た。
「将軍。力が余っているなら、岩を砕くのにちょうどいい」
淡々と、しかし逃げ道なく。
「その腕で、民の通る道を拓いてみせてください」
「ぐぬ……!」
ボルゲの喉が鳴った。
誇りと空腹の天秤――勝つのは、いつだって空腹だ。
◇
夕刻。
城門の外に、奇妙な光景が広がった。
「オラ! そこ、手を抜くな! 荷車が転ぶ段差は残すな!」
「くそっ……人間め……!」
ルーカスの怒号の下、強硬派の兵が汗だくで岩を運ぶ。
文句はある。だが手は止まらない。
作業場の横で、大鍋がぐつぐつと鳴っているからだ。
「はい、お疲れ様です。熱いので、気をつけてくださいね」
エリスが器を渡していく。
今夜は干し肉と根菜の汁。香りが、腹の底を揺らす。
ボルゲが器を受け取り、視線を逸らしながら小さく言った。
「……かたじけない」
一口すする。
肉の脂と野菜の甘みが広がり、鬼のような形相が、少しだけほどけた。
「……うまい」
その一言に、周囲の兵も頷いた。
働いて、腹を満たす。
単純だが、これ以上に強い理はない。
城壁の上からそれを見下ろし、魔王が隣に立つ。
「……宰相。あの者らの顔が、久々に人の顔をしている」
「腹が満ちれば、声も落ち着きます。剣より先に、鍋です」
魔王が、かすかに笑った。
「……お前は妙な人間だ」
「褒め言葉として受け取ります」
下では、さっき温熱石を抱いていた子が、汁を両手で持っている。
息を吹き、口をつけ――目を丸くして笑った。
その笑い声が、冷たい城門前の空気を少しだけ温めた。
糧の道は、まだ始まったばかりだ。
だが一歩目は、確かに踏めた。




