第34話 :国王との会談。剣を抜く王、包帯姿の私。
王城の正門が、民衆の熱気によってこじ開けられた。
雪崩れ込む人々。だが、そこに略奪も破壊もない。
彼らはただ、答えを求めていた。
自分たちを飢えさせ、仕組みを壊した王への答えを。
「……静かだな」
玉座の間へと続く長い廊下。
ルーカスが鉄塊剣を担ぎ直し、周囲を警戒する。
彼の左腕は分厚い包帯で吊られていた。先の戦いの、名誉ある傷だ。
そして私も額に包帯を巻いている。城門が開いたとき、瓦礫がかすめた。
「近衛の者たちは、皆、剣を捨てましたから」
セバスチャンが淡々と答える。
抵抗はない。
王を守るべき騎士も、魔術師も、もう誰もいない。
いるのは――たった一人。
ギィィ……。
重厚な扉を、ルーカスが片手で押し開けた。
広大な空間。その最奥。
玉座に座る影が一つ。
「……来たか。アインホルン」
国王レグルス三世。
かつて賢王と呼ばれた男は、今は乱れた髪と充血した瞳で、亡霊のように座っていた。
足元には砕けたワインの瓶と、宛先のない命令書が散らばっている。
「拝謁いたします、陛下」
私は一礼した。
形式だけの礼ではない。これが最後の「王への敬意」だ。
「……貴様。なぜ生きている?」
王が、うわごとのように呟く。
「契約庁は消した。保管庫も焼いた。……照会できぬ以上、貴様の小細工も、鎖も、もう動かぬはずだ。なのに、なぜ民は貴様に従う? なぜ騎士は余を捨てた?」
「簡単なことです」
私は顔を上げ、王を真っ直ぐに見据えた。
「陛下。貴方は勘違いをされている」
「何だと?」
「王とは、力で民を縛る者ではありません。……民から“預けられた座”に座る者です」
王の眉がぴくりと動く。
「預けた……だと? 余が、民から……?」
「はい。民が税を納めるのは、国が守るからです。道を整え、秤を正し、飢えに手を差し伸べるからです」
私は一歩踏み出す。
「その釣り合いが崩れたとき、座は返される。ただ、それだけのこと」
「黙れ……」
「契約庁を消せば、咎められないと思ったのでしょう」
私は声を低くした。
「ですが証が消えた世界では、残るのは“信”だけです。貴方は民を裏切り、その信を踏みにじった。だから誰も、貴方を守らない」
言葉が刃になって、王の虚飾を裂く。
蒼白だった顔が、みるみる朱に染まる。
理解への恐怖と、認めたくない怒り。
「黙れ……黙れ、黙れぇッ!!」
王が立ち上がり、腰の剣を抜き放った。
黄金の飾り。王権の象徴たる剣。
「余は王だ! この国のすべては余のものだ! 口先だけの成り上がりが、王に説教を垂れるなッ!」
王が玉座を蹴り、私へ突進した。
魔力で強化された脚。殺意に満ちた刃が、喉元へ迫る。
私は動かない。
避ける必要がない。
ガギィィィン!!
乾いた金属音。
王の剣が弾かれた。
私の前に立つのは、傷だらけの背中。
「……あんたの相手は、俺だろ」
ルーカスが鉄塊剣を片手で構え、王を見下ろしている。
「ゆ、勇者……! 貴様、なぜ従う! 金か!? 余ならもっと――」
「あぁ? まだ言うかよ」
ルーカスが鼻を鳴らした。
「俺が従ってんのは、金じゃねぇ。……この旦那が、俺を人として扱ったからだ」
剣先が、王へ向く。
「約束を守ったからだ。守れもしねぇ約束を振り回す奴に、誰がついてく」
「ひっ……」
王が後ずさった。
剣を弾かれた衝撃で手が震える。
武力でも、心でも――彼はもう立てない。
そのとき、背後の扉が大きく開き、民衆が雪崩れ込んできた。
数千の視線が、王に突き刺さる。
憎しみではない。
哀れみと、決別を見る目だった。
「……終わりです、レグルス陛下」
私は静かに告げた。
「法を焼き、剣を抜き、それでも勝てなかった。……今の貴方は、ただの老人です」
「あ、あぁ……」
王が、その場に崩れ落ちた。
冠がカランと音を立てて床に転がる。
誰も拾おうとしない。
「セバスチャン。身柄を確かに」
「御意」
セバスチャンが縄を取り出し、王の手を縛る。
抵抗はなかった。
私は転がった冠を拾い上げ、埃を払った。
かつて絶対の重みを誇った黄金の輪。
だが今は、ただの重たい金属の塊にしか見えない。
「……重いだけですね」
私はそれを近くの机へ置いた。
そして、民衆へ向き直る。
「皆さん。ここから先は“奪い返す”のではありません」
私はゆっくりと言葉を選んだ。
「飢えた者をまず温め、倒れた者をまず起こす。明日を作るために、今日を整えます」
ざわり、と広間の空気が変わる。
怒りの熱が、少しずつ現実の息へ戻っていく。
「まず王城の厨房を開けます。鍋を動かし、粥を炊く」
私はセバスチャンへ視線を投げた。
「配る器と水を。医者を呼び、負傷者を優先して通せ」
「承知いたしました」
ルーカスが肩で息をしながら、包帯の吊りを直す。
「……旦那。ほんとに、粥からか?」
「腹が満ちれば、刃は下がります」
それだけは、戦場より確かな真理だ。
広間の隅で、幼い子が母親の袖を引いた。
母親は泣きながら、深く頭を下げる。
その背に、誰かがそっと手を添えた。
私の額の包帯が、少しずれているのに気づく。
痛みはある。だが――この痛みは、前へ進むためのものだ。
「……次は、壊れた金庫と街の流れを立て直します」
私は玉座を見上げない。
見るべきは、これから生きる人々の顔だ。
王は縛られ、冠は机の上に置かれたまま。
剣は信に敗れ、力は理に折れた。
今夜はまず、温い粥だ。
その一杯から、この国を立て直す。




