第27話 :通貨戦争。王立銀行で「引き換え殺到」を起こします。
翌朝。
王都の空気は、張り詰めていた。
剣や魔法の殺気ではない。暮らしの土台が揺らぐ、不安の匂いだ。
「おい、聞いたか? 王立銀行の金庫が空っぽらしいぞ」
「まさか。国が保証してるんだろ?」
「でもよ、昨日の夜、城へ向かう荷車を見たんだ。……重そうな木箱を積んでた」
市場、酒場、路地裏。
囁きは火種になって転がった。
『王家が、銀行の金を城へ移した』
昨夜、ルーカスの目と耳がそれを押さえている。
王は手元の金を確保するため、銀行の備えに手を付けた。
……禁じ手だ。
「旦那様。仕込みは十分かと」
馬車の中でセバスチャンが窓の外を見ながら言う。
大通りの先、石造りの立派な建物――王立銀行の正面には、すでに人の列ができ始めていた。
「ああ。火をつける」
私は懐から、一枚の王立銀行券を取り出した。
金貨十枚と引き換えると印が押された、薄い紙。
「……すみません! この札を金貨に換えてくれ!」
こちらが雇った仕込み役が、窓口で声を張り上げた。
わざと震える手で札束を掲げる。
「お、お客様、急にそのような……」
「噂を聞いたんだ! 金がないんだろ!? 今すぐ返してくれ! これが俺の全財産なんだ!」
叫びは通りに響き、立ち止まった者たちの顔色が変わった。
「おい、やっぱり本当なのか?」
「俺のも換えろ!」
「私も! 子どもの冬支度の金なんだ!」
一人、また一人。
不安は伝染し、恐怖になって膨らんでいく。
――引き換え殺到。
紙の価値が「信用」で支えられている限り、最も恐ろしい現象だ。
「静まれ! 静まれい!」
扉が開き、頭取が顔を真っ赤にして現れた。
「当行は国が保証している! 金貨は十分にある! このような騒ぎは――」
「なら見せろ!」
「金があるなら今すぐ換えろ!」
群衆は引かない。
頭取が言葉に詰まる。
金庫を見せられるはずがない。昨夜、持ち出されたのだから。
「……交換に応じろ」
頭取が小声で部下に命じるのが見えた。
ここをしのげば収まる、と踏んだのだろう。
窓口が開き、引き換えが始まる。
最初は滞りなかった。金貨を受け取った者が胸を撫で下ろし、帰っていく。
だが――列は減らない。
「引き換えられた」という安心より、「みんなが引き換えに来ている」という事実が、さらに人を呼んだ。
そして一刻ほどで、ついにその時が来た。
「……え?」
窓口の行員の手が止まった。
金庫室へ走った男が、顔面蒼白で戻ってくる。
「……も、申し訳ありません。本日の交換用の金貨が……尽きました」
その一言は、死刑宣告だった。
「ふざけるな!」
「俺の金はどうなる!」
「金返せ! 泥棒!!」
群衆が雪崩れ込み、衛兵が必死に押し返す。
悲鳴、怒号、割れる硝子の音。
通りは一瞬で地獄絵図になった。
「……ここまで狂うのか」
隣でルーカスが低く呟く。
「紙が、金に変わらねぇって分かっただけでよ」
「命の次に大切なものだからな」
私は手元の銀行券を、指先で弾いた。
「これで証明された。……この紙は、もう“金貨十枚”ではない」
引き換えが止まった瞬間、紙は紙に戻る。
王国の面目も、信用も、同時に崩れる。
「行くぞ」
私は短く命じた。
「今日から、アインホルン領は王立銀行券の受け取りを止める。受け取るのは金貨か、銀貨か、現物だけだ」
「現物って……食い物とか?」
「魔石、食糧、塩、布。……腹を満たすもの、身を守るものだ。紙ではパン一つ買えない時代が来る」
馬車が動き出す。
背後で、王立銀行の重い扉が、群衆の力で軋み始めた。
◇
その日の夕刻。王城、玉座の間。
「……なんだと?」
報告を聞いた国王の声が、低く震えていた。
「銀行が……落ちた、と?」
「は、はい! 民が殺到し、備えの金貨が尽きました! 現在、市中の店はどこも銀行券の受け取りを拒み――」
国庫卿が青ざめた顔で続ける。
「このままでは兵への給金も通じません。騎士団が動かなくなります!」
「……ええい、うるさい!」
王が立ち上がり、叫んだ。
「金がないなら刷ればいい! 新しい札を刷れ! 王命をもって流通させろ!」
「し、しかし……金との引き換えができぬ札など、誰も――」
「黙れ! 余が価値だと言えば、それは価値なのだ!」
王の目は、狂気に濡れていた。
理を力で踏み潰そうとしている。
王都の空に、黒い煙が上がった。
暴動の煙ではない。
紙になった札を、寒さ避けに燃やす煙だ。
紙が燃え、湯気が上がり、子どもが咳き込む。
その熱で、明日のパンは買えない。
私は窓の外の煙を見つめ、静かに笑った。
「……野蛮ですね」
紙が紙に戻った街で、物の値が跳ね上がり始める。




