第24話 :聖女の笑顔。「私、今の働き口が大好きです」
王都の商会連合を傘下に収めた翌日。
アインホルン領の中央広場は、かつてない熱気に包まれていた。
「飲め飲めぇ! 今日は旦那様の奢りだぞ!」
「王都の酒だ! 肉もあるぞ!」
「アインホルン様、万歳!」
広場の中央には巨大な焚き火が焚かれ、商会連合から「祝い」として届けられた大量の食料や酒が、惜しげもなく振る舞われている。
領民たちは歌い、踊り、杯を交わしている。
これは単なる宴ではない。
借金まみれだったこの領地が、商い合戦に勝利し、豊かさを手に入れたことを祝う祝勝会だ。
「……野蛮な騒ぎだ」
領主館の露台からその光景を見下ろし、私は肩をすくめた。
だが、手にした杯の葡萄酒は悪くない味だ。
教会の隠し財から出てきた、年代物の古酒である。
「皆様、楽しそうでございますな」
背後でセバスチャンが、追加の瓶を開けながら目を細める。
「ああ。……だが、働いている者もいるようだが」
私が視線を向けた先では、昨日私に土下座した商会長たちが、慣れない手つきで酒樽を運んでいた。
彼らは「直轄商会」としての初仕事として、この宴の給仕を命じられているのだ。
「ひぃ、重い……!」
「ボルドー会頭、もっと早く! 客が待っておるぞ!」
かつてふんぞり返っていた大商人たちが、領民のために汗を流している。
その姿を見て、領民たちが「ありがてぇなぁ」と笑いかける。
商人たちの顔にも、少しずつ強張りが消え、苦笑いが浮かび始めていた。
汗を流して働き、感謝される。
商いの原点を、彼らも少しは思い出したかもしれない。
「旦那ー! こっち来て一緒に飲もうぜ!」
広場の中心で、顔を真っ赤にしたルーカスが手を振っている。
その隣には、動きやすい仕立ての服を身に纏ったエリスの姿があった。生地は上質で、よく似合っている。
「……仕方ない。少しだけ顔を出すか」
私は杯を置き、広場へと降りていった。
◇
「あ、雇い主様!」
私を見つけるなり、エリスが駆け寄ってきた。
その手には、串焼きと果実水の木杯が握られている。
口元には少しだけタレがついていた。
「行儀が悪いぞ、エリス」
「あ……ご、ごめんなさい!」
彼女は慌てて口元を拭ったが、その表情は今まで見たことがないほど明るい。
教会にいた頃の、死人のような青白さは微塵もない。
頬は薔薇色に染まり、瞳は星のように輝いている。
「楽しんでいるか?」
「はい! こんなに楽しいの、生まれて初めてです!」
エリスは広場を見渡した。
「みんなが笑っていて、美味しいご飯があって……誰も、誰かを責めたりしない。……ここは、本当に温かいですね」
「温かい?」
「はい。……教会にいた頃は、毎日が寒くて、暗くて……『奇跡』を起こさなきゃ価値がないって、ずっと言われてました」
彼女は私の顔を見上げ、はにかむように笑った。
「でも、ここでは私が私でいられます。……お休みがあって、ご飯が美味しくて、働いたら『ありがとう』って言ってもらえる」
彼女は胸に手を当てた。
「私……今のこの働き口が、大好きです」
その言葉は、どんな契約書の署名よりも重く、そして美しい響きを持っていた。
私は思わず口元を緩めた。
「そうか。……なら、もっと働いてもらわないとな。君への『先立ちの金』は、まだ回収しきれていない」
「ふふっ。はい! 骨の髄まで働きます!」
「おいおい、骨まで削るなよ。うちは『休み』も契約のうちだ」
ルーカスが割り込み、エリスの背中をバンと叩く。
三人の間に、笑い声が弾けた。
民が笑い、部下が笑い、そして聖女が笑う。
完璧だ。
私が目指した「利益の最大化」の答えが、ここにある。
「……旦那様」
不意に、セバスチャンが私の耳元で囁いた。
その声のトーンが、祝祭の空気とは異質なものを含んでいることに、私はすぐに気づいた。
「何だ?」
「先ほど、王都からの早馬が到着しました。……国王陛下より、旦那様への『召喚状』です」
セバスチャンが、懐から一通の封書を差し出す。
封蝋には、王家の紋章。
いずれにせよ、国の中枢が私を危険視し、牙を剥こうとしている証拠だ。
(……やれやれ。息つく暇もないな)
私は封書を受け取り、中身を見ずに懐へしまった。
「旦那様? 読まれないので?」
「後だ。……今夜は、無粋な仕事は持ち込まない」
私は広場に向き直った。
焚き火の粉が夜空に舞い上がり、星と混じり合っている。
エリスが、ルーカスに串焼きを勧められて、大きな口を開けている。
領民たちの歓声が、心地よい音楽のように響く。
「……今は、この報いを味わうとしよう」
私はセバスチャンから新しい杯を受け取り、高々と掲げた。
「アインホルン領に、栄光あれ!」
「「「栄光あれーー!!」」」
数千の声が唱和する。
夜空に響くその声は、来るべき国との決戦に向けた、力強い勝鬨のようでもあった。




