第20話 :公開法廷(前編)。聖女エリス、証言台に立つ。
聖女エリスを「保護」し、アインホルン領へ連れ帰ってから三日後。
私の元に、予想通りの「招待状」が届いた。
『召喚状』
『申立人:聖光教会・枢機卿メディチ』
『事案:聖女誘拐、および聖典法違反』
『場所:王都・契約庁大審問会場』
真っ赤な封蝋が押されたその羊皮紙を見て、私は口元を歪めた。
「仕事が早いな、枢機卿。……誘拐とは人聞きの悪い」
「旦那様、準備は整っております」
セバスチャンが、分厚い書類の束――『証拠品』が入った鞄を掲げる。
私は頷き、部屋の隅で新しいドレスに身を包んだ少女を見た。
「エリス。気分はどうだ?」
「……はい。美味しいご飯を食べて、たくさん眠りましたから」
エリスは少し緊張した面持ちだが、その瞳には以前のような絶望的な濁りはない。
彼女が着ているのは、アインホルン領で作られた上質な絹のドレスだ。薄汚れた修道服は、もう捨てさせた。
「怖いか?」
「……少し。でも、もう逃げません」
彼女は小さな拳を握りしめた。
「私は、雇い主様と契約しましたから」
「よろしい。では行こうか。……最初の『清算』の時間だ」
◇
王都、契約庁・大審問会場。
国の重要案件を審議するその巨大なドームは、数千人の傍聴人で埋め尽くされていた。
貴族、商人、神官、そして噂を聞きつけた平民たち。
誰もが固唾を飲んで見守る中、私は被告人席に立った。
対面の原告席には、メディチ枢機卿が静かに座っている。
その背後には、数十人の高位神官がずらりと並び、威圧的な空気を放っていた。
「開廷!」
審問官の木槌が鳴り響く。
契約庁の長官が、厳めしい顔で宣言した。
「これより、聖光教会によるアインホルン男爵への告発を審議する。……原告、申立ての根拠を」
メディチが優雅に立ち上がった。
彼は会場全体を見渡すように、よく通る声で語り始めた。
「皆様。この男、アインホルン男爵は、我が教会の至宝である『聖女エリス』を、夜陰に乗じて不当に連れ去りました。これは明白な『誘拐』であり、神への冒涜です」
会場がざわめく。
メディチは悲劇のヒロインを語るように、大げさに嘆いてみせた。
「聖女は、神に仕える『聖なる器』。世俗の法で裁ける存在ではありません。彼女の帰属は、神と、その代理人である教会にのみ存在するのです」
完璧な演説だ。
「信仰」という不可侵の領域を盾に、こちらの行為を野蛮な犯罪として印象付ける。
傍聴席からは「なんてことだ」「やはり悪徳貴族か」という声が漏れ聞こえる。
「よって、直ちに聖女の返還と、男爵への厳罰を求めます。……以上」
メディチが座り、勝ち誇った視線を私に向けた。
審問官が私を見る。
「被告、反論は?」
「異議あり」
私は短く告げ、一歩前へ出た。
「原告の主張には、根本的な誤りがあります」
「誤りだと?」
「ええ。原告は聖女を『聖なる器』や『帰属』云々と呼びましたが……それは宗教上の定義に過ぎない。王国の法において、彼女は『物』ではありません」
私は会場を見渡した。
「彼女は『人』です。……そして人である以上、働き口は本人が選ぶことだ」
会場の空気が変わる。
メディチが眉をひそめた。
「詭弁だ。彼女は教会で育った。教会に尽くすのが彼女の『運命』だ」
「運命? 曖昧ですね。……ここに、より明確なものがあります」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出し、高々と掲げた。
「これは、エリス殿と私が結んだ『雇い入れ契約書』です。彼女は自身の意思で署名し、拇印を押した。……つまり、これは誘拐ではなく『移籍』です」
「なっ……!?」
神官たちが騒ぎ出す。
メディチの目が鋭く細められた。
「馬鹿な。洗脳でもしたか? 敬虔な彼女が、自分から教会を捨てるはずがない」
「洗脳かどうか、本人に聞けばいいでしょう」
私は背後の扉を指差した。
「証人の入廷を願います。……アインホルン家・治療部門長、エリス殿!」
重厚な扉が開く。
現れたのは、美しいドレスを纏い、凛と背筋を伸ばした少女だった。
かつての「薄汚れた聖女」の面影はない。
健康的な血色を取り戻し、意志の光を宿した瞳。
そのあまりの美しさに、会場のざわめきがピタリと止まった。
「エ、エリス……?」
「あんなに綺麗だったのか……?」
エリスは真っ直ぐに歩き、証言台に立った。
メディチが低い声で威圧する。
「エリス。……分かっているな? お前の家は教会だ。さあ、『騙された』と言いなさい。そうすれば許してやろう」
それは、長年彼女を縛り付けてきた「主人の声」だった。
エリスの肩が一瞬、ビクリと震える。
彼女は俯き、震える手で証言台を握りしめた。
(……頑張れ)
私は祈るように彼女を見つめた。
これは私が戦うのではない。彼女自身が、自分を縛る鎖を断ち切る戦いだ。
一秒、二秒。
長い沈黙の後、エリスが顔を上げた。
「……いいえ」
彼女の声は震えていた。だが、それは会場の隅々まで響いた。
「私は、騙されていません。……自分の意思で、アインホルン様と契約しました」
「なっ……エリス! 神への恩を忘れたか!」
メディチが立ち上がり、怒号を飛ばす。
だが、エリスはもう引かなかった。
「恩なら、もう十分にお返ししました! 休みもなく、食べるものもなく、来る日も来る日も魔力が枯れるまで働いて……!」
エリスの目から涙が溢れる。
だが、それは悲しみの涙ではない。決別の涙だ。
「私は『器』じゃありません! 『道具』でもありません! ……私は人間です! ご飯を食べて、笑って、幸せになりたい……ただの人間なんです!」
悲痛な叫びが、ドームに反響する。
傍聴席の平民たちが、涙を拭っている。
かつて彼女に治してもらった者たちだ。彼らは知っているのだ。彼女がいかに献身的に尽くし、そして教会がいかに彼女を粗末に扱っていたかを。
「……以上です」
エリスは涙を拭い、私を見て微笑んだ。
私は満足げに頷き、審問官に向き直った。
「お聞き及びでしょうか、審問官殿。……本人の意思は明白だ。原告の言う『誘拐』の事実は存在しない」
審問官が木槌を叩いた。
その音が、メディチへの敗北宣告のように響く。
「……うむ。証言を認める。本件における『誘拐』の事実は認められない。よって、アインホルン男爵への訴えは棄却する!」
「おおおおおおっ!!」
会場から割れんばかりの歓声が上がった。
エリスが、小さく息を吐いた。肩から力が抜けたのが見えた。
メディチが崩れ落ちそうになるのを、側近が慌てて支える。
「ば、馬鹿な……神の法が、俗世の契約ごときに……」
「終わりではありませんよ、枢機卿」
私はエリスを庇うように前に立ち、メディチを見下ろした。
「誘拐の件は片付きました。……次は、こちらの番です」
「……何?」
「セバスチャン」
合図と共に、セバスチャンが「第二の書類」を審問官の机に叩き置いた。
それは、エリスが教会から持ち出した『寄進の記録帳』の写しだ。
「これより、聖光教会による『不正蓄財』と『商会組合法違反』について、徹底的な監査を要求します」
メディチの顔から、完全に血の気が引いた。
「さあ、始めましょうか。……本当の『断罪』を」
悪役貴族の反撃は、ここからが本番だ。




