第18話 :流言。「アインホルンの薬には毒が入っている」
アインホルン製の「膿止め薬(錬金薬)」が爆発的な普及を見せてから、一週間。
領内の薬屋からは喜びの悲鳴が上がり、領民たちの顔色も日増しに良くなっていた。
だが、好調な時ほど、魔物は潜んでいるものだ。
「……旦那様。緊急のご報告がございます」
早朝。セバスチャンが、いつになく険しい表情で執務室に入ってきた。
彼の手には、くしゃくしゃに丸められた一枚の紙片が握られている。
「薬の売れ行きが、今朝からピタリと止まりました。……それどころか、購入した領民たちが『突き返し』に押し寄せ、店先が騒ぎ寸前です」
「突き返しだと? 薬の効果に不備でもあったか?」
「いえ。薬効は完璧です。……原因は、これです」
セバスチャンが紙片を広げ、机の上に置いた。
それは、街のあちこちに貼り出されたという「告発文」だった。
『警告! アインホルン領の薬には、悪魔の毒が含まれている!』
『原料は不浄なるスライムとカビ! これを使用する者の魂は穢れ、死後は地獄の業火に焼かれるであろう』
『直ちに使用をやめ、教会で浄化の儀式(金貨五枚)を受けよ』
『――聖光教会・枢機卿メディチ』
紙の末尾には、教会の正式な紋章と、枢機卿の署名が鮮やかに記されている。
枢機卿の名が出れば、反論できる平民などいない。絶対的な権威による宣告だ。
「……なるほど。やってくれる」
私は黒茶を一口啜り、冷ややかに笑った。
(悪評流しか。品質と値で勝てないと悟るや、盤面をひっくり返しに来たな)
これは「商品」への攻撃ではない。「信用」への攻撃だ。
医術の理を知らないこの世界の人々にとって、「スライムやカビから作った薬」は確かに気味が悪いだろう。そこに「地獄に落ちる」という宗教的な恐怖を植え付けられれば、ひとたまりもない。
「ルーカス、街の様子は?」
「最悪だぜ、旦那」
窓際で腕を組んでいたルーカスが、苦々しげに吐き捨てた。
「広場じゃ、教会の回し者が声を張り上げてる。『あの薬を飲むと悪魔になるぞ』『子供が奇形になるぞ』ってな。……みんな怯えちまって、せっかく治りかけた怪我人も、薬を捨てて神に祈り始めてる」
ルーカスが拳を震わせる。
「許せねぇ……! さっき、広場の隅で泣いてる母親がいたんだ。子供に薬を飲ませようとしたら、教会の奴に『毒親』って罵られて……薬瓶を叩き割られてた」
「……それで?」
「俺が新しい瓶を渡してきた。『地獄になんか落ちねぇ、俺が保証する』ってな。……母親は震えてたけど、最後には飲ませてたよ。子供の顔色が少し戻るのを見て、やっと泣き止んだ」
「そうか。……よくやった」
私は短く労った。
教会のやり口は明白だ。彼らにとって、信仰とは集金のための道具に過ぎない。民の命など、集金箱の重さに比べれば軽いものなのだろう。
私は立ち上がり、窓の外を見下ろした。
広場の方角からは、不安げな喧騒と、何かを燃やす黒い煙が上がっている。
回収した薬を焼いている煙だ。
「旦那様、いかがなさいますか? 契約庁に『商い潰し』で申立てを行いますか?」
セバスチャンが問う。
だが、私は首を横に振った。
「無駄だ。これは『風評』だ。教会は『信徒への宗教的指導』と主張するだろう。教会の領分を盾に取られれば、契約庁も手出しができない」
メディチ枢機卿。
やはり、ただの狂信者ではない。
彼は私が「法と論理」で戦うタイプだと見抜き、あえて法が届かない「情動と信仰」の土俵に引きずり込んできたのだ。
「……悔しいが、このままでは先細りだ」
恐怖に支配された大衆は、論理では動かない。
私がいくら「理屈として安全だ」と説明しても、「でも教会様が……」と言われればそれまでだ。
この状況を覆すには、教会の権威を上回る「絶対的な証言」が必要になる。
「虚言には、証拠をぶつけるしかない。……それも、誰もがひれ伏すような、一撃で形勢を返すほどの証拠をな」
私は机の引き出しを開け、一通の手紙を取り出した。
それは先日、聖女エリスから届いた、涙の滲んだ返信だ。
『……私を、助けてください』
その文字を見た瞬間、私の中で全ての欠片がカチリと嵌まった。
「セバスチャン、ルーカス。……迎えに行く時間だ」
「は? 迎えって、誰を?」
私は手紙を指先で弾き、ニヤリと笑った。
「教会の看板であり、民がひれ伏す旗印――『聖女エリス』を、こちらへ招く」
二人が息を呑む。
「教会の象徴である聖女が、『教会の嘘』を告発し、『アインホルンの薬』を認めたらどうなる?」
「……教会の信用は地に落ち、こちらの正当性が証明される……!」
セバスチャンの目が輝いた。
そう。相手の看板で殴り返す。
メディチが信仰心を利用するなら、こちらはその信仰心の頂点にいる「聖女」を味方につければいい。
「だが、相手は教会の中枢に幽閉されている。連れ出すのは容易ではないぞ?」
「だからこそ、準備が必要だ。……ルーカス、お前の『走り』と『力』を貸せ。セバスチャンは最高級の『雇い入れ契約書』を用意しろ」
私はコートを羽織り、不敵に宣言した。
「これより、聖女救出を始める。……搾り取られるだけの場所から、彼女を連れ出す」
「御意。……アインホルン流の『待遇』を見せつけてやりましょう」
窓の外の黒い煙は、まだ止まない。
だが、私の目には既に、その向こうにある逆転の景色が見えていた。
待っていろ、エリス。
そして震えて眠れ、メディチ。
貴様が撒き散らした毒が、貴様自身の息の根を止める猛毒に変わる瞬間を、特等席で見せてやろう。




