第16話 :治癒魔法の「奇跡の専有」違反? 契約庁が治療院を差し止めました。
王都から戻った翌日。
恐れていた事態は、予想よりも遥かに早く、そして無慈悲に訪れた。
「……なんだこれは! 俺たちに死ねと言うのか!」
「お願いです、中に入れてください! 娘が高熱なんです!」
アインホルン領の中央広場に建つ「領立治療院」。
その入り口には、朝から怒号と悲鳴が渦巻いていた。
扉は固く閉ざされ、その前には見慣れない制服を着た男たちが立ちはだかっている。
胸元に「天秤と剣」の紋章――契約庁の執行官たちだ。
「静まれ! これは契約庁による『仮封鎖』の執行である!」
執行官の一人が、拡声の魔道具を使って宣言する。
「当治療院における治癒魔法の使用は、『聖典法第三条・奇跡の専有』に対する重大な違反と認定された! よって、適正な認可が下りるまでの間、本施設の運営を凍結する!」
彼が羊皮紙を扉に貼り付けると、紙が赤く発光し、魔法的な障壁となって入り口を覆った。
完璧な「差し止め」の強制執行だ。
「そんな……! じゃあ、怪我人はどうすればいいんだ!」
「教会の治療院に行けと言うのか? あそこは高くて払えないぞ!」
領民たちの悲痛な叫び。
その時、治療院の中から一人の若い治癒師が飛び出してきた。私が雇った平民出身の青年だ。
「ふざけるな! 目の前に苦しんでいる子供がいるんだぞ!」
彼は執行官の制止を振り切り、高熱でぐったりしている少女に駆け寄った。
「私が治す! ……『癒やしあれ』!」
彼が掌をかざし、魔力を練り上げる。
だが、その瞬間だった。
――ジャララッ!!
虚空から、鉄臭い音と共に赤黒い「鎖」が出現した。
それは蛇のように青年の腕に巻き付き、きつく締め上げる。
「ぐあああっ!?」
「警告したはずだ。契約に背く者には、罰則が与えられる」
執行官が冷ややかに告げる。
青年の手から光が消える。魔力が霧散し、練り上げることすらできなくなっているのだ。
「ひ、ひぃ……!」
「魔法が……消された……」
目の前で起きた超常的な現象に、領民たちは恐怖し、後ずさる。
これが「契約の鎖」。
メディチからの申立てが受理され、条文と照合された上で、すでに“差し止めの執行”が出ている。
その禁令に触れた瞬間、鎖が現れて魔力を封じる。――それが、契約庁の執行だ。
「ほっほっほ。愚かなことですねぇ」
その絶望的な沈黙を破るように、下卑た笑い声が響いた。
人垣を割って現れたのは、肥え太った男。
先日、王都の大聖堂でエリスを酷使していた、あの司教だ。
彼は勝ち誇った顔で、私の方を振り返った。
「ごきげんよう、アインホルン男爵。いやはや、無法な治療院が閉鎖されて何よりです。神聖な奇跡を、認可もなく安売りするなど言語道断ですからな」
「……王都からわざわざご足労いただき、恐縮です」
私は群衆の後ろから歩み出た。
セバスチャンとルーカスを従え、あくまで冷静に。
「ですが、いささか強引すぎませんか? 領民の生命に関わる問題だ。猶予期間くらいあってしかるべきでしょう」
「強引? いえいえ、これは『契約』ですよ」
司教はニヤニヤと笑いながら、分厚い聖典をポンと叩いた。
「『治癒魔法は教会の専有物』。これは建国以来の決まりです。貴方がたが勝手に魔法を使うこと自体が、盗人と同じなのですよ」
彼は苦しむ少女を見下ろし、わざとらしく溜息をついた。
「おやおや、可哀想に。……ですがご安心を。我々教会は慈悲深い。正規の『寄進』さえ払えば、私が特別に治して差し上げましょう」
「き、金貨二枚……!?」
少女の親が絶句する。
私の治療院の十倍近い価格だ。
「嫌なら結構。ですが、この領地で魔法を使えるのは、今は私だけですぞ? ……さあ、どうしますか?」
足元を見る、などという生易しいものではない。
これは命を人質にした脅迫だ。
ルーカスが激昂し、剣の柄に手をかける。
「てめぇ……! 神の使いが聞いて呆れるぜ! ぶった斬ってやる!」
「よせ、ルーカス」
私は片手で彼を制した。
「手を出せば、それこそ相手の思う壺だ。『公の執行を妨げた罪』で、私までしょっ引かれるぞ」
「でもよぉ! このままじゃ……!」
「……分かっている」
私は司教に向き直った。
彼は「どうだ、手も足も出まい」と言わんばかりの顔で笑っている。
完敗だ。
現時点において、法は彼らの側にある。
真正面から魔法で対抗しようとすれば、あの「鎖」に縛られ、私が犯罪者になるだけだ。
「……分かりました。今日のところは、教会の法に従いましょう」
「賢明なご判断です。……では、営業再開の認可が欲しければ、後ほどたっぷりと『誠意』を見せてくださいね?」
司教は高笑いを残し、執行官たちと共に去っていった。
残されたのは、赤い鎖で封鎖された治療院と、絶望に暮れる領民たちだけ。
私は少女の母親に目を向けた。
「……治療院は閉じられた。だが、見捨てはしない。湯と布、粥を出せ。薬師も呼べ」
セバスチャンが即座に動き、ルーカスが少女を抱き上げる。
魔法は使えない。だが、熱を冷まし、栄養を摂らせ、身体を休めることはできる。
ほどなくして、少女の荒い呼吸が少しだけ落ち着いた。母親が、泣きながら何度も頭を下げる。
「……ありがとうございます……」
その礼を、私は受け取らない。――これは領主の仕事だ。
◇
「……クソッ! 胸糞わりぃ!」
領主館の執務室に戻るなり、ルーカスが壁を殴った。
「なぁ旦那! あんた、あんな奴らにヘコヘコして終わりなのかよ!? みんな困ってるんだぞ!」
「落ち着け。誰が終わりだと言った?」
私は黒茶を一口飲み、静かに言った。
「メディチ枢機卿の狙いは完璧だ。『魔法』という土俵で戦う限り、教会には勝てない。彼らは千年の歴史の中で、その土俵の決まりを独占してきたからな」
「じゃあ、どうするんだよ!」
「簡単なことだ。……土俵を変えればいい」
私はセバスチャンに合図をした。
彼が恭しく一冊の書類を差し出す。
表紙には『錬金薬部門の計画書』と書かれていた。
「魔法が使えないなら、使わなければいい」
「は? 魔法を使わずに、どうやって怪我を治すんだよ」
ルーカスが怪訝な顔をする。
無理もない。この世界では「治療=魔法」が常識だ。薬草など、気休めの民間療法だと思われている。
だが、私の前世の知識があれば話は別だ。
「ルーカス。ダンジョンの二層で採れる『青カビ茸』と、スライムの粘液。あれを混ぜるとどうなるか知っているか?」
「え? いや……ただのゴミだろ?」
「いいや。あれは精製すれば、熱を下げ、化膿を止める強力な『薬』になる」
私はニヤリと笑った。
(前世で言う『抗生物質』だ。この世界にはまだ存在しない)
「教会が独占しているのは『奇跡』だけだ。『薬』や『医術』までは独占していない。……法の抜け穴などいくらでもあるのだよ」
私は立ち上がり、窓の外の治療院を見下ろした。
「見せてやろう。魔法に頼り切った彼らが知らない、人類の知恵というやつをな」
「セバスチャン、職人を集めろ。……明日から、アインホルン製薬所の稼働だ」
私の号令に、セバスチャンが深く一礼した。
「御意。……教会の皆様が、青ざめる顔が楽しみでございますな」
反撃の準備は整った。
魔法よりも安く、魔法よりも効く「代替薬」で、教会の市場を根こそぎ奪い取る番だ。




