第15話 教会の刺客。枢機卿メディチは『聖典』で殴ってくる。
聖女エリスに「招き」の手紙を送った数日後。
アインホルン領に、予期せぬ「矢」が飛んできた。
物理的な矢ではない。
もっと厄介で、致命的な威力を持つ「法」という名の矢だ。
「……旦那様。大変です」
セバスチャンが、いつになく焦った様子で執務室に飛び込んできた。
彼の手には、赤い封蝋が押された一通の羊皮紙。
その封蝋の紋章は、天秤と剣――『契約庁』からの公式通達だった。
「契約庁から『警告状』が届きました。当領地における『治療院』の運営停止の通達です」
「……何だと?」
私は眉をひそめ、羊皮紙を受け取った。
そこには、契約庁の冷徹な筆致でこう記されていた。
『申立人:聖光教会・枢機卿メディチ』
『申立て内容:アインホルン領における無許可の治癒行為』
『根拠条文:聖典法 第三条「奇跡の専有」』
『処分:同領内における、教会認可外の治癒魔法の使用を即時禁ずる』
「なるほど……。やってくれる」
私は口元を歪めた。
メディチ枢機卿。
噂には聞いていたが、想像以上に「話の分かる」男のようだ。
私がエリスを招こうとした矢先に、これだ。彼は私の動きを察知し、暴力ではなく「法での争い」で殴り返してきたのだ。
「旦那様、これはマズイですぜ」
ルーカスが深刻な顔で言う。
「『聖典法』ってのは、建国時に国と教会が結んだ古い契約だ。『治癒魔法は教会の専有権とする』って決まりで、これを破ると契約庁から物理的な罰則が降る」
「ああ。申立ては受理済みで、聖典法の原文と照合も終わった。――だから執行が動き、街の治療院は機能停止だ。教会の認可を持たぬ者が魔法を使おうとすると、契約の鎖が発動して魔力を封じられる」
セバスチャンが頷いた。
これは、ただの脅しではない。
世界の理を使った、完璧な「治療の差し止め」だ。
治療院が止まれば、ダンジョンで怪我をした冒険者も、病気の領民も救えない。
領地経営の根幹を揺るがす、致命的な一手。
しかも、相手は「聖女エリスの引き抜き」を直接咎めるのではなく、外堀から埋めてきた。
「……野蛮ですね」
私は黒茶を一口啜り、羊皮紙を机に放った。
「気に入った。腕っぷし頼みの連中相手には飽きていたところだ」
「旦那様? 目が笑っておりませんが」
「準備だ、セバスチャン。ルーカス。……王都へ行くぞ」
私は立ち上がった。
「喧嘩を売られたのだ。買いに行かねば失礼だろう?」
◇
数日後。王都、聖光教会本部。
その最奥にある枢機卿の執務室は、静謐な空気に包まれていた。
磨き上げられた大理石の床、壁一面の書架。
その中央にある執務机に、一人の男が座っていた。
メディチ枢機卿。
赤い法衣を纏い、細い銀縁眼鏡をかけた男。
その瞳は、信仰心よりも冷徹な理性を宿している。
「……ようこそ、アインホルン男爵。お待ちしておりましたよ」
メディチは書類から目を離さず、静かに言った。
私はセバスチャンとルーカスを入り口に待たせ、単身で彼の前へ進み出る。
「ご挨拶が遅れました、枢機卿猊下。……素晴らしい『贈り物』をいただき、感謝に堪えません」
「お気に召しましたか? 貴殿が最近、いささか『行儀の悪い』ことをなさっていると聞きましてね。……我が教会の聖女に手を出すなど」
メディチがようやく顔を上げ、私を見た。
その瞬間、視線が交錯する。
蛇と蛇が出会ったような、冷たい火花が散った。
「誤解ですね。私はただ、労働環境の改善を提案しただけです」
「詭弁は結構。……貴殿のやり方は分かっている。法の隙間を突き、金で契約を書き換える。実に理に適っている」
メディチは立ち上がり、背後の書架から一冊の分厚い本を取り出した。
『聖光教・正典』。
この国の宗教法を記した、絶対の聖典だ。
「だが、ここでは我が聖典に従っていただく。……アインホルン卿。貴殿の領地での治癒行為は『違法』だ。即刻、独自運営を停止し、教会の管轄下に入りなさい」
彼は本を机に叩きつけた。
「さもなくば、契約庁への申立てを継続し、貴殿を『異端』として告発する。……そうなれば、領地は没収。貴殿は破滅だ」
完璧な論理だ。
彼は「信仰」などという曖昧なものではなく、「契約庁」という強制執行機関を背景に、私を脅している。
教会の権威と、古代の契約。この二つを握っている限り、彼は無敵だ。
――普通の相手なら、ここで膝を屈するだろう。
だが。
「……ふっ」
私は思わず笑声を漏らした。
「何がおかしい?」
「いえ。……貴方が、私と同じ『穴の狢』だと分かって安心しまして」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
それは、彼が送ってきた警告状の写しだ。
「聖典法、第三条。『奇跡の専有』。……確かに、治癒魔法は教会の独占権だ。これに正面から挑めば、私は負けるでしょう」
「理解しているなら、契約書に署名を……」
「ですが、条文にはこうもある。『ただし、魔力を用いざる医術はこの限りではない』、と」
メディチの眉がピクリと動いた。
「……何が言いたい」
「簡単なことですよ。魔法が駄目なら、魔法を使わなければいい」
私は不敵に笑い、メディチの机に身を乗り出した。
「貴方は『聖典』で殴ってきた。ならば私は、その決まりの『例外規定』で殴り返しましょう」
「……薬草学か? 馬鹿な。あんな原始的なもので、治癒魔法の代わりになるものか」
メディチが鼻で笑う。
この世界では、怪我や病気は「魔法」で治すのが常識だ。薬草など、気休め程度にしか思われていない。
だからこそ、勝機がある。
「原始的? いいえ。……最先端ですよ」
私は彼に背を向けた。
「奇跡を縛る鎖は、奇跡にしか掛からない。――ならば私は、人の技で救う」
「……後悔しますよ、若造が」
背後から、凍えるような殺気が放たれる。
だが、私は振り返らなかった。
宣戦布告は済んだ。
敵は、法と権威を操る最強の枢機卿。
ならばこちらは、知恵と医術で、その岩盤を砕くまでだ。
執務室を出ると、ルーカスが心配そうに寄ってきた。
「おい、大丈夫か? あいつ、とんでもない化け物だぞ」
「ああ。だが、弱点も見えた」
私はニヤリと笑った。
「彼は『決まり』を過信している。……決まりが変わる可能性を、考慮していない」
「へ?」
「帰るぞ、セバスチャン。……代替の錬金薬の開発を急がせる。アインホルンの技術力を見せつけてやろう」
こうして、教会との全面戦争――「奇跡」対「医術」の戦いが幕を開けた。




