第14話 聖女エリスの憂鬱。教会は「奉仕」の名で搾り取る。
王都の中心にそびえ立つ、白亜の巨大建造物。
聖光教会・中央大聖堂。
そこは、神の愛と慈悲を説く、王国の精神的支柱――のはずだった。
◇
「……次の方、どうぞ」
大聖堂の地下にある「施療室」。
窓もなく、黴臭い空気が漂うその部屋で、私は掠れた声を上げた。
私の名前はエリス。
この国に三人しかいない「聖女」の一人で、最高位の治癒魔法を扱える――らしい。
けれど、今の私は、薄汚れた修道服に身を包み、目の下に隈を作った、ただの疲れ切った小娘だ。
「聖女様、頼みます……! 息子の熱が下がらないんです!」
「腕が! 仕事中に腕を怪我して……!」
部屋の前には、長蛇の列ができている。
貧しい服を着た平民たちだ。彼らは藁にもすがる思いで、ここを訪れる。
「大丈夫ですよ。……『癒やしあれ』」
私は魔力を練り上げ、白い光を手から放つ。
少年の熱が下がり、石工の腕の傷が塞がっていく。
魔力がごっそりと持っていかれる感覚。軽いめまいがする。
「あ、ありがとうございます……!」
「なんてありがたい……聖女様は女神様の生まれ変わりだ!」
涙を流して感謝する彼らを見ると、胸が温かくなる。
……そう、この一瞬だけが、私がここにいる唯一の理由だ。
けれど。
「はい、治療は終わったな。では『寄進』を願い出ようか」
私の背後から、肥え太った司教がぬっと顔を出した。
彼はジャラジャラと音を立てる集金箱を、治療を終えたばかりの親子に突きつける。
「か、金貨一枚……ですか? そ、そんな大金、とても……」
「神の奇跡を受けたのだぞ? 対価を払うのは当然だろう。……払えぬというなら、神への感謝もその程度ということになるな」
司教の冷たい言葉に、石工の男が青ざめる。
彼は震える手で、生活費であろうなけなしの銀貨を数枚、箱に入れた。
「……チッ。まあいい、次はもっと持ってこい」
司教は舌打ちをし、私に向き直った。
「おいエリス! ペースが遅いぞ! 外にはまだ百人並んでいるんだ。魔力回復薬を飲んでさっさと次を治せ!」
「は、はい……申し訳ありません、司教様……」
私は頭を下げ、苦い薬を流し込んだ。
胃がキリキリと痛む。
朝の六時から働いて、もう日は暮れている。休憩はなし。食事は固いパン一つだけ。
「あの……司教様。魔力枯渇の症状が出ています。少しだけ休憩を……」
「甘えるな!」
司教の怒号が飛ぶ。
「お前は誰のおかげで聖女になれたと思っている? 教会が拾ってやった恩を忘れたか! 神への奉仕に休みなどない!」
――恩。奉仕。神のため。
その言葉が、鎖のように私を縛り付ける。
私は孤児だった。教会に拾われ、魔力の才能を見出されて「聖女」となった。
だから、恩を返さなければならない。
人々を救うことは素晴らしいことだ。辛くても、これは「尊い使命」なのだから。
(……でも)
ふと、視界が揺れる。
私の給金は、平民の平均以下。
一方で、集められた莫大な「寄進」は、上層部の贅沢な食事や、豪華な装飾品に消えていることを、私は知っている。
これは本当に「奉仕」なのだろうか?
私はただ、都合の良い「集金道具」として使われているだけではないのか?
「……おい、聞いたか? 隣のアインホルン領の話」
順番待ちの列から、ひそひそ話が聞こえてきた。
行商人風の男たちが話している。
「ああ。あそこの領主様、すごいらしいな。働き手には肉と酒を振る舞って、休みもきっちりくれるんだと」
「怪我をしても、領主様が雇った治療師がタダで治してくれるってよ」
「へえ……まるで天国だな」
アインホルン領。
最近、王都でもよく聞く名前だ。
ずる賢い貴族が支配する恐ろしい土地だとか、逆に理想郷だとか、噂は絶えない。
(働き手に肉と酒……休みもきっちり……?)
私には、それがお伽噺のように思えた。
同じ人間が住む世界の話とは信じられない。
私の世界は、この黴臭い地下室と、終わらない労働だけなのだから。
「エリス! 手を止めるな!」
「っ、はい!」
司教の罵声に、私は現実に引き戻される。
思考停止。それが一番楽だ。
私は心を殺し、ただ機械のように魔法を使い続けた。
◇
深夜。
全ての治療を終え、ふらふらと屋根裏の自室に戻ろうとした時だった。
階段の上から、香油と甘い菓子の匂いが漂ってくる。上層部たちは今夜も宴を開いているのだろう。
「ご苦労だったね、エリス」
廊下の闇から、低い声がかかった。
心臓が跳ね上がる。
そこに立っていたのは、赤い法衣を纏った長身の男。
鋭い眼光と、冷徹な知性を感じさせる顔立ち。
教会の二番手たる実力者、メディチ枢機卿だ。
「す、枢機卿猊下……! お、お疲れ様です!」
「うむ。……今日の実入りは悪くなかった。だが、まだ足りないな」
メディチは私の肩に手を置いた。
その手は氷のように冷たい。
「来月からは『貴族専用』の治療枠を増やす。平民の相手はその次だ」
「え……? で、ですが、平民の方々は待てません。病状が重い方も……」
「優先順位を間違えるな。教会を維持するには金がかかる。……お前の代わりなど、探せばいくらでもいることを忘れるなよ?」
――代わりなど、いくらでもいる。
その言葉が、私の心にトドメを刺した。
私は特別な存在などではない。
使い潰され、壊れれば捨てられる消耗品だ。
「……はい、承知いたしました」
私は震える声で答えるしかなかった。
メディチは満足げに頷き、去っていく。
一人残された廊下で、私は膝から崩れ落ちた。
目から涙が溢れて止まらない。
「……助けて」
誰に向けた言葉でもなかった。
神様なんていない。もしいるなら、こんな地獄を許すはずがない。
「誰か……私を、ここから連れ出して……」
私の祈りは、冷たい石床に吸い込まれて消えた。
◇
――その翌日。
大聖堂の門に、領主館の印章を付けた使いの者が現れた。
私の名を呼び、封を切ってよいとだけ告げて去っていく。
震える指で封蝋を割る。
中の羊皮紙には、整った筆致でこうあった。
『聖女エリス殿。アインホルン領にて、治療の手をお借りしたい。
住まいと食を用意し、働きに見合う給金を支払う。返事を待つ』
たったそれだけの文なのに、胸の奥が熱くなった。
(……神様って本当にいるんだ)
私は羊皮紙を抱きしめ、初めて少しだけ、前を向けた。




