第11話 国からの監査官。賄賂は渡しませんが、「弱み」は握ります。
ボークス領の買収から一週間後。
アインホルン領に、王都から一台の馬車が到着した。
装飾の少ない、黒塗りの馬車。だが、そこに刻まれた「天秤と剣」の紋章を見た瞬間、街の空気は凍りついた。
「国庫院の『監査官』だ……」
「アインホルン様、大丈夫か? あいつら、難癖つけて貴族を潰すのが仕事だぞ……」
領民たちが不安げに見守る中、馬車は領主館の前で止まった。
降りてきたのは、神経質そうな眼鏡の男。
王都の財務官僚、ベルンハルトだ。
「……ここが、噂のアインホルン領か」
彼は懐から手巾を取り出し、埃を払う仕草をした。
その目には、地方貴族への隠しきれない侮蔑と、獲物を狩るような鋭い光が宿っている。
「案内したまえ。領主アルバートに『特別検分』の通達だ」
◇
応接室に通されたベルンハルトは、挨拶もそこそこに切り出した。
「単刀直入に言おう。貴殿には『不正蓄財』および『国家への反逆』の疑いがかかっている」
彼は机の上に、分厚い調査書を叩きつけた。
「隣領の買収。ダンジョン収益の異常な急増。そして周辺商人との専属契約……。一介の地方領主が、短期間でこれほどの財を成すなど、まともな手段ではあり得ない」
ベルンハルトが眼鏡の奥から私を睨みつける。
「違法な魔道具の密売か? それとも他国との内通か? ……正直に言えば、情状酌量の余地もあるが?」
典型的な揺さぶりだ。
私は優雅に黒茶を啜り、セバスチャンに目配せをした。
「心外ですね。私の領地経営は、すべて法に則った潔白なものですよ」
セバスチャンが、うず高く積まれた羊皮紙の山を台車で運んできた。
昨日まで私が徹夜で仕上げた『会計の控え帳』だ。
「これが当家の過去三年分の『出納記録』と『契約書の写し』です。全ての金貨一枚に至るまで、出入りを記録してあります。……どうぞ、お好きなだけお調べください」
「ふん、どうせ隠し帳があるのだろう……」
ベルンハルトは鼻で笑い、帳簿を手に取った。
だが――数分後。彼の表情が変わった。
「な……なんだ、これは……」
彼がめくっているのは、ダンジョンの資源回収記録だ。
魔石の採取量、換金額、作業員への給金、そして国への上納予定額。全てが完璧に計算され、一分の隙もなく記されている。
「スライム処理場の実入り……ボークス領からの麦の買取価格……全て市場相場と合致している。計算間違いはおろか、記載漏れ一つない……」
ベルンハルトの額に汗が滲む。
彼は玄人だ。だからこそ分かるのだろう。この帳簿が「捏造」で作れる域を超えていることが。
これは、徹底的な管理と合理化によってのみ生み出される、真実の記録だ。
「馬鹿な……。たかが地方貴族に、これほどの勘定能力があるだと……?」
「お褒めいただき光栄です。……いえ、昔取った杵柄ですので」
私は微笑んだ。前世で数多の倒産寸前の組織を再建してきた私にとって、領地一の帳簿整理など造作もない。
ベルンハルトは半日かけて全ての書類を検めたが、ついに不正の証拠を見つけることはできなかった。
彼は悔しげに帳簿を閉じ、私を睨んだ。
「……書類上は、完璧だ。だが」
彼は声を落とし、身を乗り出した。
「貴殿の勢力拡大は、王都の一部で危険視されている。……特に、軍を持たずに隣領を飲み込んだ手腕。あれを『野心』と見る者が多い」
「野心、ですか」
「そうだ。……もし、この検分を『異状なし』で通してほしければ、それ相応の『誠意』が必要だと思うがね?」
出たな。
賄賂の要求だ。
不正がないなら、因縁をつけて金をむしり取る。それが腐敗した官僚のやり方だ。
私は溜息をつき、懐から一枚の紙を取り出した。
「誠意、ですか。……では、私も貴殿に一つ、面白いものをお見せしましょう」
「なんだ、これは? ……!?」
紙を見た瞬間、ベルンハルトの顔から血の気が引いた。
それは賄賂の目録ではない。
私が独自に調査・推計した『王国財務の精査書』だ。
「近年の不作と、魔王軍への対策費で、国の金庫は空っぽですね? 王立銀行の発行する紙幣も、金との引き換えに不安が出始めている」
「き、貴様……! 国の秘事だぞ!」
「数字を見れば誰でも分かりますよ。……さて、ベルンハルト殿。貴殿は財務官僚として、頭を抱えているはずだ。『どこかから確実に税を絞り取れる場所はないか』と」
私は彼に顔を近づけた。
「ここにありますよ。優良な納め手が」
「……っ」
「私を『反逆者』として潰せば、国は一時的に私の資産を没収できるでしょう。ですが、それは一度きりだ。……逆に、私を生かせば、私は毎年、この帳簿にある通りの『莫大な税』を納め続ける」
私は帳簿の最終ページ――『上納予定額』の欄を指差した。
そこに書かれた数字は、小国の年勘定並みだ。
今の火の車の王国にとって、それは喉から手が出るほど欲しい「当ての立つ財源」だ。
「私を潰して、金の卵を産む鶏を殺すか。……それとも、私の『野心』に目をつぶり、国の財布を潤すか」
私は悪役の顔で笑った。
「これが私の『誠意』です。賄賂などというはした金ではない。……国を救うほどの、正当な上納だ」
「…………」
ベルンハルトは震えていた。
恐怖ではない。
彼は計算しているのだ。私を潰す損害と、生かす利益を。
彼は腐っているかもしれないが、無能ではない。数字の読める男だ。
長い沈黙の後。
ベルンハルトは深く息を吐き、眼鏡の位置を直した。
「……アインホルン卿。貴殿の領地経営は、極めて適正であると判断した」
「賢明なご判断に感謝します」
「ただし! 今後もその上納額を維持することだ。……もし一日でも遅れれば、次は軍を連れてくる」
「ええ、誓約を交わしましょう。……国のため、粉骨砕身働かせていただきますよ」
私たちは握手を交わした。
その手は冷たかったが、確かに力強かった。
これで国の中枢に、私の「利害を共にする味方」ができた。
彼は今後、私の防波堤となり、同時に私が国を飲み込むための「伝手」となるだろう。
黒塗りの馬車が去っていく。
それを見届けた屋敷の外の者たちの肩から、ふっと力が抜けるのが見えた。
ルーカスが呆れたように言った。
「あんた、国の役人まで丸め込むのかよ。……『弱み』って、国の借金のことだったのか」
「ああ。金のない権力者は脆いものだ。……それに、彼も優秀な男だ。いずれ私の手駒になってもらう」
私は窓の外、活気づく領地を見下ろした。
内の憂いは消え、外の禍も退けた。
地盤は固まった。
「さて、セバスチャン。準備はいいか?」
「はい、旦那様。会場の設営は完了しております」
次は、いよいよ第1章の締めくくり。
領民、部下、そしてかつての敵たちを集めた、盛大な「報告会と祝宴」の始まりだ。




