21. まつろわぬ者 4
顔を覆っていた布を躊躇なく外した師匠は、涼しい表情で夜空を仰いだ。
一応、大勢の人がいる場では顔を隠していたけど、私と未明には即バレだったもんね。とはいえ、原作ゲームでその素顔が明かされるのは、もっと先のことだったような。
しかしまぁ、見れば見るほど綺麗な人だ。言動はちょっと浮世離れしているものの、立ち振る舞いや容姿が美しい。
いまだに私の頭の中では、数年前から交流のある師匠と隠し攻略キャラの与須殻が、同一人物だという事実を認められずにいる。
ふと、師匠の視線――すべてを見透かすような金色の瞳が私に向けられたので、思わず視線をそらした。すみません……まじまじと見すぎました。
今さらながら、気恥ずかしい。文字だから平然とやりとりができていたのであって、面と向かって話すとなると萎縮してしまう。なんて恐れ多いことをしてきたんだ私はー!
頭を抱えそうになる私の様子を見て、師匠が盛大な溜息をついた。……なぜに?
「なんだその反応は。肩肘を張らず、いつものように接してくれ」
「いや、それは……さすがに……」
返答に詰まり目を泳がせていると、師匠は気だるげに腕を組んだ。
「……まぁよい。あまり時間もないようだから、本題に入るとしよう」
先ほどの口ぶりから察するに、未明から探知されることを嫌がっているようだ。損害賠償の請求でもされるのだろうか。
もっとも、原作ゲームと同じ設定であれば、現在の与須殻は未明とは距離を置いている。未明は学生でありながらすでに天才陰陽師と認知されているし、与須殻自身も一つの場所にはとどまらない人物なのだ。
私は緊張しながらも首肯して、師匠の言葉を待った。
「ときに靜よ。そなたの式神と絵巻を使った記録――『撮影』とやらを、この場で我に見せてくれぬか」
「今ここで、ですか?」
予想外の提案に、私は困惑した。そして、握りしめていた片手を開いて「こんな状態になってまして」と、縮こまった形代を見せた。
師匠は目を細めて、しげしげと私の手のひらをのぞき込む。無駄に近いな……?
「偵察用の式神かと思っていたが、それにしては酷使したな。大禍刻の付近まで出張らせたとなると、この姿に戻るのも納得よな」
えぇ、実に師匠らしい的確な意見、ありがとうございます。耳が痛いです!
私が無言で沈んでいると、師匠は小さく笑って私の手の上に自分の手を重ねた。やがて、手のひらが少しずつ熱を帯びて、かすかな重みを感じる。もしかしてこれは、師匠の霊力?
状況を理解する前に、師匠の手が離れる。すると、そこには私の式神――くたびれた形代から復活を果たした豆千世がいた。これには豆千世自身も驚いているらしく、鳴き声を上げて飛び跳ねている。
「うむ、これで手筈は整った。絵巻は持っているのだろう?」
「はっ……はい!」
袿を被った頭に豆千世を乗せて、私は懐から絵巻物と筆を取り出した。師匠のおかげで、豆千世カメラも絵巻モニターも、以前と変わらず動きそう。次の問題は被写体を何にするか、かな。
絵巻を広げて周囲を見渡す私に向かって、師匠はこともなげに言った。
「せっかくなら、我を撮影してみてはどうだ?」
せっかくなら? その一言が脳内で反響する。さも当然のように、隠し攻略キャラを撮影して――原作ゲームに存在しないスチルを生み出してもいいの? オタク的思考がぐるぐると渦を巻く。
私の戸惑いを感じ取ったのか、頭上の豆千世が「チュリ!」と力強く鳴いた。……うん、私にとっても豆千世にとっても、師匠は恩人だもんね。その恩人たっての希望なら、叶えてあげないと。
「えーと……じゃあ、撮ります!」
本人の了承を得てからの撮影なんて、これが初めてのことだ。いや、それが普通なんだけどね。
意を決して、絵巻に霊力を纏わせた筆を押しつける。その瞬間、豆千世の瞳がキラリと光った。それから、じわじわと絵巻に画像が浮き出てくる。もはや慣れたものよ。
思い切り発光したにもかかわらず、目の前の師匠が気にする素振りはない。むしろ、感心している。
「ほほう、こんな式神の使い方は初めて見たな」
ご神体を背景に、真っ直ぐこちらを見据える師匠の姿が絵巻に焼き付く。その絵巻を眺める師匠の声は、少し弾んでいた。
「この絵巻と筆……しばらく、私に貸してはもらえぬか」
「は、え……? えぇっ!?」
さらにとんでもない事を言い出した! ていうか、この流れで断れるわけないでしょう!? 師弟関係、いきなり距離感詰めすぎだよ!?
私は口を開けたまま、おずおずと絵巻と筆をセットで差し出す。豆千世も小刻みに震えている。なんだこの状況。
「なに、式神までは取らぬ。絵巻も筆も、ちゃんとそなたの元に返すとも」
きっと、師匠には何か考えがあっての行動なのだろう。そう頭では理解できても、心のざわつきは収まらない。
「師匠……私のこと、軽蔑しないでくださいね。変人とか罪人とか……」
この絵巻を渡すということは、これまで撮ってきたスチル……その一部を見られるということ。よりによって師匠にまで引かれてしまったら、どうすればいいのか!
大真面目に悩んでいる私をよそに、師匠は明るく笑った。
「式神を密偵として使うのは当たり前のことだろう。我が気になるのは、そんなことではない。そなたの『記録する力』だ」
絵巻と筆を受け取った師匠は、それらを雑に懐にしまい込んだ。……いや、もっと丁寧に扱ってください!
私が抗議と疑問をぶつけようと前のめりになっていると、どこからともなく甲高い鳴き声と、軽快な足音が近づいてきた。
師匠は音のする方角を見やり、「やっと来たか」と呟いた。その視線の先には、疾走する黒犬と、低空飛行するハヤブサがいた。
「任務は無事に完了しました。主よ、次のご下命を」
「遅くなって悪いな、ご主人。鎮圧は問題なかったんだが、未明の追跡を巻くのに手間取ってな」
先にご神体の元へたどり着いたのは、未明が放った追手ではなく、師匠の優秀な部下――式神たちだ。
撮影機能に特化するために発声能力を削った豆千世とは違い、この式神たちはいたって普通に会話ができる。
「俺だけだったら、ここまで長引かなかったんだがな」
「ふん、上を飛び回っているだけで、たいして妖異の始末もできない鳥頭が何を言うか」
師匠の隣に帰還するなり、二体の小競り合いが始まった。どういうわけか、この式神たちは折り合いが悪い。たしか、名前は……
「――博参、実弥間。じゃれ合いもそこまでにしておけ。ほどなく、ここを発つぞ」
そうそう。闊達な性格のハヤブサが「博参」で、冷静な性格の黒犬が「実弥間」だ。
私は一歩離れた場所で、頬を緩めながら彼らの遣り取りを鑑賞する。そうこうしているうちに、私の存在に気づいた博参が「あっ」と声を上げた。
「やっぱり! アンタが例のお姫様だったのか」
お、おひー? 私は思わず首をかしげる。
なぜか博参は浮かれているようだけど、実弥間のほうは私に全く興味がなさそう。師匠の中で私はどういう扱いなのか……ちょっとだけ気になる。
博参からの好奇の視線を遮るように、師匠が私の前に立ちふさがった。そして、すっかり軽くなった懸守を持ち上げて、ふっと小さく息を吹きかけた。錫色の長い髪がはらりと垂れて、端整な顔に影を作って……うわぁ! 近いってば!
「簡単な隠形術を施した。これがあれば、しばらくのあいだ姿を隠せる」
高鳴る鼓動や赤らんだ頬を悟られたくないばかりに、私はすぐさま師匠から離れて背を向けた。もごもごと舌がもつれて、上手く返事が出てこない。
「今頃、父親は大騒ぎしているだろうよ。さぁ、そのまま屋敷へ戻るのだ。――ではな、また会おうぞ!」
そう言って師匠は踵を返した。おそらく、また空を飛んで移動するのだろう。その行き先は見当もつかない。
少し間を置いてから、私が振り返って夜空を見上げると、師匠と式神たちはすでにかなりの高度まで上昇していた。私を抱えて飛んだときは、気を遣ってペースを落としていたのか。
まともに別れの挨拶もできないうちに、師匠はあっさりと立ち去ってしまった。一騎当千な師匠がいなくなったことで、静かな小路が急に恐ろしいところに思えてくる。
私の弱気に同調するかのように、頭の上で豆千世が小さく鳴いた。はぁ……今はただ、早く帰って横になりたい。
絵巻も筆もなくなって身軽になったと自分自身を奮い立たせ、私はひたすら無心で夜道を歩き出した。




