17. 星祭り 3
人と妖異がひしめき合う戦場を駆けること、数分。
地鳴りの発生源である大型の妖異の居場所は、すぐに見当がついた。というより、嫌でも目に入る大きさの妖異だった。
その高さは十六尺(約五メートル)を超えている。黒く短い毛に覆われた胴体から六本の脚が伸びて、蹄に相当する部分には鎌形の爪が生えている。角のある頭部は牛というより異形の鬼に見える。
「これが、牛鬼……」
小さく呟いた私の声は誰にも届かない。現場では東雲が言葉を失って立ち尽くし、真日流ちゃんの瞳には恐怖がにじんでいる。
「術師は呪文を合わせろ! 木行の術で拘束する!」
涼やかな、凜とした声が響く。声の主である未明が、手にした扇子を振りかざすと、地面からしなやかな蔓が現れて牛鬼に向かって一直線に伸びていく。
勇ましい号令に続いて、他の陰陽師たちも木行の術を用いて牛鬼を拘束する。
長い脚を封じられた牛鬼は低くうめいた。その隙を見計らって、武官たちが一斉に斬りかかる。曉は炎をまとわせた金砕棒を振り回し、急所であろう頭部に狙いを定めて軽やかに飛翔する。
「ぐ、あっ……!?」
曉の金砕棒は、たしかに牛鬼の頭部に命中したが、いとも簡単に弾かれてしまった。まともに反動を食らった曉が、地面に叩きつけられる。
武官たちによる猛攻撃など気にも留めない様子で、牛鬼はケタケタとあざ笑うような不気味な鳴き声を上げる。すると、脚に絡みついていた蔓に青い火がついて、術者の元へと燃え広がっていく。
「うわぁ! 燃える!」
「こいつめ、炎を使うのか!?」
恐れをなした陰陽師たちは、襲い来る延焼を防ごうとして次々と拘束の術を緩める。それを見た未明は整った顔をゆがめ、怒気を込めて叫んだ。
「この青い火は、ただのまやかし! 拘束を続けよ!」
孤軍奮闘もむなしく、みるみる蔓は解けていく。誰もが未明のように機転が利くわけではないのだ。ましてや、あの青い火が怪火――光るだけで熱がない幻であると、即断できるのは彼だけだろう。
ついに牛鬼は蔓を振りほどき、六本の脚で地面を踏み鳴らす。取り囲んでいた人々はふらつきながらも後ずさる。豆千世が留まっていた塀もぐらぐらと揺れて、一部が崩れた。
戦況は予想以上に厳しいようだ。ここに東雲と真日流ちゃんが合流して、好転するかどうか……。
そんな状況にあっても、曉を含む数人の果敢な戦士がさまざまな武器や術を駆使して牛鬼に攻撃を仕掛けている。
疲労感をあらわにする未明の近くに、東雲と真日流ちゃんが駆け寄った。見知った姿が目に入って気が緩んだのか、未明は弱々しく笑う。
「おやおや、君たちまで来たか。……なに、見てのとおりだよ。拘束したとて、決め手に欠ける。こいつに手間取っているせいで、境界の歪みを鎮めることもできない」
いつになく気落ちした彼の態度に、普段の様子を知る二人は戸惑っているようだ。それでも、東雲は戦局を見極めようと周囲に気を配り、真日流ちゃんは浄化の力を発揮しようと神楽鈴を構えた。
どうか一刻も早く解決してほしい。深呼吸して真日流ちゃんが呪文を唱えている姿を、私は祈るような気持ちで見つめる。
シャンシャンと、澄んだ音と無垢な浄化の光が彼女を中心として波状に広がっていく。急いで豆千世を上空に逃がすも、さすがに余波を受けたのか少しだけ映像が乱れた。
俯瞰してみれば、状況がよくわかる。兵士や小型の妖異には浄化の効果があったけれど、牛鬼はややひるむ程度で、あまり効いているようには見えない。未明の言うとおり、牛鬼が力の拡散を阻害しているのだろう。
原作ゲームでは真日流ちゃんの浄化の力が突破口になって、一気に形勢を逆転させていったんだけど……想像以上の強敵だ。
「増援しようにも、ここまで来る前に妖異だらけだからな」
「大路とはいえ、都の真っ只中で戦闘なんて……できることもできなくなる」
武器を構えた東雲と未明が、恨めしそうに牛鬼をにらんでいる。
――もう! 私は彼らがどう動けばいいかも、牛鬼の弱点も知っているのに!
歯噛みしながらも、必死に思考を巡らせる。どうにかして、彼らに私の意図を伝えられないだろうか、と。
頼みの綱は……やっぱり、豆千世しかいない。機能的に他人と意思疎通できるか自信はないけど、やってみなければわからない。
「どうかお願い! 行って、豆千世!」
筆に霊力を溜めて、絵巻に振り下ろす。戦場を突っ切って、真日流ちゃんのもとに飛んでほしい、という念を込めて。豆千世は命令に背くこともなく、一人を目がけて降下していく。
問題は真日流ちゃんの近くに行ったところで、どうやってコミュニケーションを図るか、という点なんだけど。
私の頭の中で懸念が渦巻いている最中、異変は起こった。
「――えっ……やだ、嘘!?」
焦るあまり、判断を見誤ったのかもしれない。調子よく降下していたはずの豆千世から送られてくる映像が、ぷっつりと途絶えてしまったのだ。
同時に、何の音も聞こえてこなくなった。焦って何度も絵巻を叩いてみるも、うんともすんともいわない。
「これは被弾した、ということ?」
体中からすうっと血の気が引いていく気がした。
これまでも、絵巻の映像が乱れることは何度かあった。でも、時間をかければ元通りに戻っていたはず。
「ま、豆千世……!?」
攻撃を受けたことで、霊力を維持できなくなった式神はどうなるんだっけ。たしか、次第に術式が解けて素体である形代に戻ってしまう、と師匠から教わったような。……つまり、術が解けた形代は紙切れも同然ということだ。
今だけは、こうして他人事みたいに距離を置いて考えないと、状況が理解できない。
緊張しきった体から、徐々に力が抜けていく。その代わりに無力感と罪悪感が胸を締め付けてくる。やがて鼻の奥がツンと痛み出して、視界が涙でぼやけていく。
あぁ、ついに罰が当たったんだ。調子に乗って好き勝手して、自業自得だ。所詮、引きこもりの私には何も変えられやしない。
静かな屋敷の中で、私のすすり泣きの声だけが響く。
……と思いきや、よくよく耳をそばだててみると、どこか遠くから人の声が聞こえてくる。
これは慌ただしく屋敷の守りを固める家人たちの声か、それとも大路を駆ける兵士の声か。
今さらになって、ようやく屋敷の外へと意識が向いた。
大禍刻による騒動はまだ続いている。それどころか、終息するかも怪しい状況で、遠く離れた場所での出来事ではない。
私は引きこもりらしく、部屋に閉じこもっていればいい。誰も咎めやしない。――でも、真日流ちゃんは? 未明に東雲に曉は?
彼らは今も懸命に戦っているだろう。豆千世を介さなくても、彼らの勇姿が脳裏に浮かび上がってくる。
式神であれば、形代を使って再構築できる。完全に同じ個体ではなくとも、式神とはそういうものだから。
でも、現在進行形で妖異に立ち向かっている人々は……失われたら元に戻らない。当たり前の話だ。
今の私には原作ゲーム知識という、唯一無二の武器がある。持っているものを使わないのは、ただの怠慢だ。
とうとう、なけなしの勇気の使いどころが来た。私の醜聞はどうあれ、彼らの歩みはこんなところで止まっていいはずがない!
ずるずると鼻を鳴らしてから、私は近くに置いてあったぬるいお茶を一気に飲み干す。鼻が詰まっているせいで味はしないが、どうせ苦いので丁度いい。
立ち上がった私は袴を脱ぎ捨てて、衣装入れである行李から袿を取り出した。無駄にたくさん持っていた着物が、今回だけは役に立ちそうだ。
単衣の上に頭からすっぽりと袿を被って袖を通す。それから、裾をたくし上げて腰紐で縛る。私は普通の貴族の娘ではないので、身支度ぐらい一人でこなせてしまうのだ。どんな不格好でも、とりあえず動きやすければオッケー!
「善は急げって……仏様も言ってたはずだしね!」
慣れない壺装束に違和感を覚えながらも、意を決して絵巻と筆を手にする。そして、自室を囲う厳重な結界を、内側から飛び越えた。




