15. 星祭り 1
恐ろしい凶兆が垣間見えた夏越の大祓から、数日が過ぎた。
今日は朝から、八重が私の部屋の掃除をしていた。八重は柄のついた雑巾で、板間を丁寧に拭いている。
ここで少しでも手伝う素振りを見せようものなら、すぐさまお叱りを受けるので、私は隅っこで静かに読書をしているのが恒例だ。
しかし、今日はその暗黙のルールを破らせてもらう。私はなるべく自然を装って、掃除をしている八重に質問を投げかけた。
「ねぇ、八重。なんか面白い話……最近、貴族のあいだで広まっている噂とか、知らない?」
努めて明るい口調で尋ねたつもりだったのに、八重は手にした掃除道具をぽとりと落とし、驚愕している。左目は見開いて肩は震え、顔色は悪いし声は小さい。
「し、靜子様!? 他の貴族に、ご興味が……?」
そんなにか。そんなに驚くことか。近頃は若干、忘れかけてたけれど……私ってば引きこもりの呪われ姫だもんね。
だけど、私だって情報収集くらいしておきたい。丸腰で「星祭り」を迎えたくはないからね。
「まぁ、そんなところ。ただの暇つぶしだから、深刻に受け取らないでよ」
実のところ、こうして八重を通して情報を得ようとしているのは、私が豆千世を使った活動を控えているせいだ。
前回の様子から察するに、おそらく未明は私の式神の存在を把握している。今はまだ脅威ではないと思われているのか、あえて見過ごされているのだろう。
それでも、確実に豆千世を星祭りに向かわせるために、苦肉の策として時間稼ぎをしている。
単なる取り越し苦労ならそれでいい。早いところ、この胸につかえた不安を解消したい。
「そうですか。私もあまり詳しくはないのですが……近頃、宮中で不審な活動をする者が増えている、という噂は聞いたことがあります」
「不審な活動、というと?」
「あくまで噂ですよ? 敵対していたはずの貴族同士が協力体制を築いたり、穏健派の大納言様が強権的になったりして……大きな謀がめぐらされているのではないか、という話です」
床に転がった掃除道具を拾い上げ、八重が声をひそめた。
「他には……とある弁官の娘で、若き歌人でもある姫君が、しばらく病床に伏しているそうです。それがどうにも、高名な薬師や治癒術師を呼び寄せても、快方に向かわないようで。よほど強い『呪』を受けたのか、という話も最近よく耳にしますね」
それはもしかして、彼女のことだろうか。曲水の宴では、横柄貴族オーラをまき散らしていた彼女だけど、今はそんなことになっていたとは。同じ呪われ姫の先輩として、何かできることは……ないなぁ!
途端に口数が減り、物思いにふけっている私をよそに、八重はテキパキと仕事をこなし、「ご用がなければ、私はこれで失礼します」と一礼してから部屋から去って行った。相変わらず、職務に忠実だ。
この世界では、怪我や病気の治療は二つの専門家が担っている。薬草や鉱物で物理的な治療を行う「薬師」と、水行の術で外傷を癒やす「治癒術師」だ。
両者が連携することで、ほとんどの外傷は治せるが、魂に作用する呪いや、原因不明の病は彼らの手には負えない。
呪いとは魂に直接干渉する高等な術で、対象に呪印という紋様を刻むことで発動する。
その呪印もないのに呪われ姫の噂がこれほど広く信じられているのは、父が私の部屋に「娘に害意を持って近づく者を心身共に退ける」という超強力な結界を張っているためだ。
昔、よこしまな考えで近づいた者が原因不明の高熱を出して倒れた事件があったらしく、そのおかげで噂は不動のものとなった……なってしまった。
「あーもう! まだまだ見たいイベントがあるのにっ!」
結局、私が豆千世を使って追えるのは学府の外部で発生するイベントだけで、学府の内部で起こるイベントは、さすがに鑑賞できない。
こうして私が自室で身もだえしているあいだにも、あんなことやこんなことが繰り広げられていると思うと……身もだえする。
「だからこその全力。次の星祭りも、全力で記録する!」
星祭り当日までには準備期間がある。ここでじっくり蓄えて、万全の状態で挑みたい。
私は息巻いて文机に向かい、お気に入りの和紙に必要なもの――霊力を高める道具や新しい紙など、ひとつひとつ書き出していった。
霊力の消費を抑えるお香に、霊力をわずかに回復する苦いお茶。それに、珍味やお菓子も欠かせない。
約一ヶ月を費やして集めた物資は、物置部屋の塗籠からはみだして、無駄に広々としていた私の部屋を徐々に圧迫していき、星祭りを間近に控えた頃には、すっかり要塞と化していた。
「――備えあれば憂いなし。行こう、豆千世!」
そしてついに迎えた、星祭り当日。私は久しぶりに中庭から豆千世を飛ばし、絵巻と筆を手にした。すでに空は暮れ始め、茜色から藍色へと美しく変わっていく。
今日は天の川が近づき、その霊力が最も高まる日。願い事を書いた短冊を笹に吊るし、陰陽師がそれを霊力で光に変え、天に届ける神事が行われる。要は七夕のようなものだけど、前世とは少し違っていて、織姫と彦星がうんぬんというロマンティックな概念はないようだ。
色気より食い気というか、夏越の大祓よりも出店や行商人が多くて活気がある。都では庶民は賑やかに歌い踊り、貴族は庭で優雅に星を眺めている。
「……綺麗」
私が小さい頃は、他の貴族たちと同様に屋敷の庭で宴を開いて、星空を眺めたりしていた。
それもここ数年は、私が乗り気でなくなったせいか、父の仕事が忙しくなったせいか、何もない静かな祭日が続いていた。
しかし、ひとたび都に出てみれば、きらびやかな装飾や不思議な音が、私を楽しませてくれる。そう、星祭りは夜になってからが本番だ。
前回のイベントから引き続き、今日の星祭りでも真日流ちゃんはさまざまな攻略キャラと出会う。学府の三人はもちろんのことながら、特筆すべき点は、隠し攻略キャラのチラ見せだろう。
彼――「与須殻」は一周目では攻略できない、よくある攻略制限があるキャラだ。与須殻は神出鬼没な大陰陽師。他のキャラのルートや都でのミニイベントで、時たま姿を見せてはヒロインを助ける。
五行のすべてを極め、体術にも優れた与須殻の助力があれば、今回の大禍刻は問題なく制圧できるだろう。とはいえ、気まぐれな彼を呼び寄せる術がない。私が知らないだけで、真日流ちゃんと面識があるかもしれないけど……望みは薄い。
「みんな……どうにか、乗り切って!」
今のところ、悪い予兆しか見ていない。それでも、学府の三人と真日流ちゃんが協力すれば、原作ゲームどおりに妖異も退けられるはず。
机の上に置いた皿に一本のお香を乗せて、慎重に火をつける。ポツリと小さく赤い光を放ち、白く細長い煙と甘く爽やかな匂いを漂わせる。
外灯や屋内の照明としては、蓄えた霊力を柔らかな光に変える「鬼灯石」という鉱石が主に用いられている。この石のおかげで、夜間でも活動している人間は多い。
加えて、今日は都のいたるところで催しがあるので、特に明るい夜になるだろう。
いろいろと見て回りたい気持ちをぐっと堪える。あくまで、私の目的は真日流ちゃんの奉納神楽を記録すること。向かう場所は夏越の大祓のときと同じ神社だ。
屋台の光や湿気を帯びた夜風をものともせず、豆千世は真っ直ぐに目的地へ向かう。
「うぅ……緊張してきたー」
神楽殿に着いた頃には、周辺での準備もあらかた完了していた。高床式の舞台は浅い池に向かって張り出し、揺らめく斎灯によってほの明るい。
残念ながら、今回の神楽はその重要性を鑑みて、観客は入れずに行われる。この場にいるのは、警備の武官か陰陽師か、神事に関わる者だけだ。
肝心の真日流ちゃんは支度中なのか見当たらない。おそらく、この近くでは未明と東雲、曉が警備の任に就いていることだろう。植木に留まった豆千世からも、数人の衛士の姿が確認できる。
喉の渇きと高鳴る鼓動を抑えようとして、私は用意しておいたぬるいお茶を一口すすった。
やっぱり苦い。苦いからこそ目が覚めるし、体にも効いているんだ。……そう思わないと、飲み込めない。
手にした絵巻と薄暗い自室、交互に視線をさまよわせる。たかが数分間が、今はとても長く感じる。
そうしてしばらく気を揉んでいると、絵巻の向こうから「シャンシャン」と、澄んだ鈴の音が聞こえてきた。
これは、神楽鈴の音――真日流ちゃんだ! 私は食い入るように絵巻に顔を近づけた。
舞台の後方から現れたのは、立烏帽子を被った演奏者が四人と、唇や目尻に紅をさした巫女が四人。巫女たちは夏越の大祓で見た装束よりも、華美なものをまとっている。
静々と歩くたびに鈴と榊が揺れる音が響き、薄手の千早が儚げになびく。真日流ちゃんは一番最後の登場だ。その表情はいつになく強ばっている。
無理もない。何でもそつなくこなせる真日流ちゃんでも難儀した大役、急ごしらえの巫女舞だ。
真日流ちゃんを含めた巫女たちは、それぞれの持ち場でかがんで開始の合図を待つ。その荘厳な美しさと張り詰めた空気感に圧倒されて、私は思わず息をのんだ。
星祭りと前世での七夕とで、大きく違う点。それは、天の川が運んでくる霊力を都中の結界に取り込み、その強度を維持するための重要な作業である、というところ。
彼女たちが奉納する舞は、膨大な霊脈を鎮めながらも的確に導く、責任重大な役割を担っている。
原作ゲームを遊んでいるときは何も思わなかったけれど、現実として目の当たりにすると、主人公だからと面倒な仕事ばかり背負わされるのは、少しだけ不憫に思えてくる。
「……いやでも、真日流ちゃんなら、大丈夫だから!」
絵巻の向こう側に届くことはないとわかっていても、無責任な激励を飛ばしてしまう。
代わりに豆千世が「チュリチュリ」と返事をした。




