10. 曲水の宴 4
「――待て」
突然、腹に響くような低い声が聞こえて、私は悲鳴を上げて飛び起きた。
私と同じように寝起きで混乱しているであろう豆千世が、ブレながらも眼前の映像を送ってくれる。
絵巻に映し出されたのは、夕闇の中にたたずむ二人の人影。未明と、真日流ちゃんの姿だ。
未明ボイスは心臓に悪い目覚まし時計だったけれど、ちゃんと起きたのでよしとします。
歌会が終了したあと、普段着に着替えた真日流ちゃんは、例の貴族たちと鉢合わせしないように、時間をずらして帰ろうとしていた。その途中で未明に声をかけられる……というイベントが始まった。
ひぃー! 寝起きのドキドキが収まらないうちに、新しいドキドキがやってきた。頑張れ、私の心臓!
「あっ、未明様……こんばんは」
「同じ学府の生徒だろう。かしこまった態度はいらない」
クールな未明らしい素っ気ない返しにも、真日流ちゃんは律儀に微笑んでお辞儀をする。
ここは二人の会話がメインで、歌会ほど大きなイベントではない。歌会での裏話、補足的な内容だったはず。
「歌会のときは、どうもありがとうございました」
「僕はたいしたことはしていない。東雲に頼まれたことを、こなしただけだ」
じつは未明は、結界の維持管理を担当していただけでなく、真日流ちゃんのカンペ役も担当していた。東雲の先読みによる人員配置は的確だし、それに応えられる未明も素晴らしい。
「それにしても、君の浄化の力は本当に強力だな。君が詠んだ歌、その言霊の残滓が、今も周囲の霊脈を穏やかにしている。これほど純粋な霊質はめったにない」
ちなみに、普段の未明はこんなに他人に積極的に話しかけるタイプではない。相手が真日流ちゃんだから、ここまでお喋りになっているのだ。その正直すぎる温度差……嫌いじゃない。
「君の霊力は、水行だったな。術を発動する際の構成式は頭に描いているのか?」
「えっ? えーと……ただ、清らかになれ、と願うだけ……です」
こっちはこっちで、微妙な温度差が生じている。真日流ちゃんの浄化の力は、彼女が持つ感覚に依るものなので、他人に説明するのは難しいのかもしれない。
未明は真日流ちゃんが自分の力を深く理解していないことに驚きながらも、「だからこそ、か」と呟いた。真日流ちゃんはその様子を困ったように見つめている。
「ん……あぁ、引き留めて悪かった」
「いえ、私もお礼がしたかったので、会えてよかったです」
未明は気恥ずかしそうに頬をかいた。ほぉ……あれは、差分で見たことある表情のやつ!
「貴族というものには、少なからず厄介な奴がいる。今後しばらくは、一人で出歩かないほうがいい」
これは彼なりの不器用な気遣いだ。真日流ちゃんも……ついでに私も、しかと受け止めたよ! ベタで最高だね!
対する真日流ちゃんは「はいっ! 失礼します」と元気な返事をして、足早に帰路につくのであった。
真日流ちゃんの姿が見えなくなったところで、原作ゲームでのイベントは終了。そして、本日のノルマも無事に達成した。
「おつかれ、豆千世。おつかれ、私……」
その場で考え込んでいる未明から離れるべく、早いところ豆千世に帰還の指示を出そう。
暮れなずむ空を飛ぶために、豆千世の視界を暗視モードに切り替えてから、屋敷の方角へと誘導する。
そういえば、さっきの二人の会話のシーンも撮影するべきだったかな。でも、あそこはスチルにはないから別にいいか。
考えごとをしながら絵巻を眺めていると、庭園から繋がる小路で不審な人物を見つけてしまった。
「あれ? あそこに誰かいる?」
その人物は大きな布を頭から被っていて、あからさまに怪しい。背格好から察するに……男性?
そわそわと周囲を警戒しつつ小路を歩く、というより、何かから逃げるように移動している。
なんとなく、私の頭の中で紋子姫の父親が思い浮かんだ。
彼は悪役貴族の一人ではあるが、それでも、高位の貴族が単身で徒歩帰宅……というのは、大胆かつリスキーすぎる。
思わず豆千世の移動を止めて、不審人物の行き先を注視していると、急にガクンと大きく映像が揺れた。次いで、豆千世が飛び上がり「チルルルル」と警戒音を発している。
以前、ハヤブサを見かけたときでもこんな反応はしなかったのに。私がおそるおそる絵巻を広げてみると、
「う、嘘でしょ? ……妖異っ!?」
そこには、音もなくうごめく何かが映っていた。しかも、豆千世から近い場所にいる。
黒いもやのように輪郭がぼやけたそれは、ゆっくりと集まって形を成す。
「信じられない。こんなタイミング……こんな場所で……!」
未明も言っていたはずだ。庭園周囲の霊脈は穏やかだ、と。
霊脈が乱れることで発生する地湧きが、どうしてこんなところに……
「閃け……雷光!」
今は悠長に現状分析なんてしている場合じゃない。
私は豆千世に組み込んだばかりの、目くらましの術を使用する。パチンと静電気のような爆ぜた音がして、一瞬だけ視界が真っ白になった。
目くらましのわりには、意外と強力だったらしい。人型になりつつある黒い靄が、ひるんだように見えた。
「わっ! どうしたの、豆千世!」
私が次の指示を出すよりも早く、豆千世が薄暗い空へと急上昇する。
豆千世は索敵や危機察知に長けた式神ではあるものの、自らの意思で行動するのは珍しい。
結果的に、その選択は正しかった。眼下に展開される術式を見て、私は震え上がった。
「これは……未明の術式!?」
どこからともなく微風が吹いて、周囲に漂っていた重苦しい邪気が晴れる。
ヒュッと、空気を切って紙の形代が飛んできた。それはまるで弾丸のようで、いくつもの形代が妖異に突き刺さる。
少し遅れて、術者である未明が扇子を構えて現れる。
余裕綽々といった様子の彼は、ゆったりとした歩幅で妖異とその発生源に近づき、けだるそうに手にした扇子を閉じた。それが合図となって、形代が淡く光り出す。
「――――!」
瞬く間に形代が燃え上がり、妖異は炎に包まれた。人型未満な形をした妖異が、ぐずぐずと崩壊していく。
そのとき、赤い炎に照らされて、未明の精悍な顔つきがあらわになった。いつも冷静なはずの彼が、眉間にしわを寄せている。
ちなみに、未明の呪文は私にはほぼ聞き取れない。これは単純に彼の詠唱が早すぎるからであって、間違っても私の技量や豆千世の性能のせいではない。私、ただの一般引きこもりですからー!
何はともあれ、このように天才陰陽師の手にかかれば、ほとんどの地湧きは簡単に消滅する。仕事が早いのはいいことだけど、危うく巻き込まれるところだったよ……豆千世が。
これもまた、原作ゲームでは描かれなかったシーンということかな?
薄暗い小路に残されたのは、形代の燃えかすだけ。それを拾い上げた未明が辺りを見渡す。
私は急いで近くにあった塀の内側へと、豆千世を隠すように移動させた。今はできるだけ目立つ行動は避けたい。
「いったい、何が動き回っている? ……しかも、かすかにあの人の霊力を感じるのはなぜだ」
声の主である未明の表情は見えないが、その声色は少し苛立っている。
未明が言う「あの人」とは、先ほどの怪しげな人物のことかしら。状況的に限りなく犯人に近い。
何を隠そう、禎連京に妖異を解き放とうと画策するテロ組織――その主な構成員は、現体制に反感を持つ貴族たちが中心となっているのだ。
それにしても、時期が早すぎる。悪役貴族たちが本格的に動き出すのは、もっとシナリオが進展してからのはずなのに。
「これは見逃せない展開ね……いろいろと!」
こそこそ動き回っているのは私も同じだけど、私はあくまで健全なオタク活動だから! 都の治安を脅かすテロ活動なんて言語道断です!
攻略キャラたちに認知されないように立ち回るのは当然として、原作ゲームとの差異も看過できない。
これが良い方向への変化――魅力的なシーンが増えるのだとしたら万々歳。だけど、悪い方向への変化や予兆だとしたら? ……そうならないように、祈るしかない。
布が擦れる音がして、未明が付近を歩き回っていることがわかる。
あー……未明は気になったものは徹底的に調べないと気が済まない性格だったもんね。
もう今回だけは、瞬間転移術を使って豆千世を帰還させよう。私の霊力は消耗するけど、このまま息を潜めているよりはいい。
私は文机から紙の形代を取り出し、一筆書きで星形の印を描いた。それを絵巻にべたりと貼り付けて、思い切り霊力をこめて「置換転移」と唱える。
貼り付けた形代は発光しながら、次第に豆千世の姿へと変わっていく。そして、そのふわふわな手触りを確認した瞬間。私の視界はぐらりと歪んだ。
ついに霊力が尽きて、肉体的に活動の限界に達したようだ。一気に目の奥が重くなり、強烈な睡魔に襲われる。
私はそのまま、自室で倒れるように眠りこけてしまった。




